この地は、江戸名所図会に「松橋弁財天窟」、広重の名所江戸百景に「王子 瀧の川」として描かれている。大正の頃の写真も見ることが出来た。
それらを参照すると、川が蛇行してできた渓谷の下流に松橋が架かり、水辺に弁財天を祀った石窟、その上流に滝が落ちている。茶店や水遊びをする人も見られる。崖上にあるのは金剛寺である。
江戸期には、夏場の避暑のための行楽地でもあり、紅葉の名所としても賑わった。
台風による水害を防ぐために昭和50年、護岸が行われ、全くその面影は失われてしまった。最初は両岸ともに完全なU字排水溝型の護岸だったが、近年水辺に降りられるようなすり鉢状の公園に改修されている。
しかし何事も失ったものは戻らない。かつての江戸の行楽地とは、似ても似つかぬものと言わざるを得ない。
小林清親も当地を描いているようだが、これはまだ見ない。
NIKON FE, 4Omm/F2.0
それらを参照すると、川が蛇行してできた渓谷の下流に松橋が架かり、水辺に弁財天を祀った石窟、その上流に滝が落ちている。茶店や水遊びをする人も見られる。崖上にあるのは金剛寺である。
江戸期には、夏場の避暑のための行楽地でもあり、紅葉の名所としても賑わった。
台風による水害を防ぐために昭和50年、護岸が行われ、全くその面影は失われてしまった。最初は両岸ともに完全なU字排水溝型の護岸だったが、近年水辺に降りられるようなすり鉢状の公園に改修されている。
しかし何事も失ったものは戻らない。かつての江戸の行楽地とは、似ても似つかぬものと言わざるを得ない。
小林清親も当地を描いているようだが、これはまだ見ない。
NIKON FE, 4Omm/F2.0
朝より晴れて、気温上がり、春めいた1日。
板橋から歩き始め、中山道を横断し、坂を下ると、石神井川に突き当たる。
川沿いに滝野川から王子、飛鳥山と歩く。
飛鳥山で都電荒川線に乗り、学習院下まで移動。
今度は神田川沿いに、西早稲田、馬場、目白台下、小日向とたどり、江戸川橋まで下った。
板橋から歩き始め、中山道を横断し、坂を下ると、石神井川に突き当たる。
川沿いに滝野川から王子、飛鳥山と歩く。
飛鳥山で都電荒川線に乗り、学習院下まで移動。
今度は神田川沿いに、西早稲田、馬場、目白台下、小日向とたどり、江戸川橋まで下った。
関口芭蕉庵の西側にある水神社は猫の天国だ。
石段を登り切ると、2本の大きな銀杏の木が立っていて、人気のない、日当たりのいいこの場所が猫の特等席である。
神田川を見下ろしながら、満足げに日向ぼっこをしている。
それにしても芭蕉は、深川の庵といい、この関口の庵といい、庵を結ぶポジショニングがやはり抜群にうまい。
石段を登り切ると、2本の大きな銀杏の木が立っていて、人気のない、日当たりのいいこの場所が猫の特等席である。
神田川を見下ろしながら、満足げに日向ぼっこをしている。
それにしても芭蕉は、深川の庵といい、この関口の庵といい、庵を結ぶポジショニングがやはり抜群にうまい。
横須賀、尾道、呉という町に共通の特徴は、港に直に山が迫るような構造の地形であるということだ。
いずれも港湾には軍事施設か造船所があり、山側の斜面にはぎっしり住宅が建てられている。
歩いていると、海岸の営みから、山の斜面の集落の生活へと、短時間で垂直に変化する。
このダイナミックな地形の変化に惹きつけられる。
いずれも港湾には軍事施設か造船所があり、山側の斜面にはぎっしり住宅が建てられている。
歩いていると、海岸の営みから、山の斜面の集落の生活へと、短時間で垂直に変化する。
このダイナミックな地形の変化に惹きつけられる。