ごん太ジイジの旅日記

リタイヤしたのを機に何か記憶に残るものにしたいと思い、ここに忘備録として愛犬ゴン太目線で旅の記録を残すことにしました。

仁徳天皇陵古墳と千利休ゆかりの地

2015年06月27日 | 旅行
【23日目】6月1日(月)

天候 晴れ

昨日、紀宝町に差し掛かったときに5,000kmだったが、これまでの走行距離は、5,260.9kmに達していた。
昨夜の親父と母ちゃんは、大阪堺市にある娘婿のご両親のお家に宿泊させてもらった。
ご両親には子供さんが三人いて、そのうちの一人が親父たちの娘の婿になるわけだが、お兄さんと妹は、それぞれ堺市に家庭を持って子供もいる。

お兄さんは仕事の都合で、後から来ることに。お兄さんのお嫁さんと子供達、妹夫婦と子供達が最初に来てくれて、にぎやかな夜となった。
今回の旅行の報告や世間話をしながら、ワイワイ言ってお酒を飲み交わし、お兄さんが来た頃には、親父はすっかり出来上がっていた。母ちゃんの話だと、目が座った親父を2階に寝せるため、お兄さんと妹の旦那さんと二人で階段を押上げてくれたようだ。親父は、お兄さんが来てくれたことと、お尻を押してもらったような記憶は少しあるが、全体的によく覚えていないと言っている。

今日は、夜のフェリーで九州に戻るのだが、その前にご両親が堺の町を案内してくれるということで、菖蒲が咲いている近くの公園と仁徳天皇稜古墳と堺と言えば千利休が有名なので、ゆかりの地を訪れることになった。

近くの公園には、スイレンと菖蒲が咲き誇り、簡易レフ板を持って写真を撮りに来ている人たちが目についた。親父たちが見物している所に大きな鳥が舞い降りてきて近くに止まったので、見物客がビックリしていた。

(写真を撮ってる人たち)

(スイレン)

(菖蒲1)

(菖蒲2)

(大きな鳥1)

(大きな鳥2:手すりに止まる瞬間)

(大きな鳥3)

仁徳天皇陵古墳には、男女のボランティアの説明員が二人いて、おっとりとしゃべる女性が説明してくれた。
この古墳は、宮内庁管轄のようで、前方部を南に向けた墳丘は、全長約486mあり、三重の壕に囲まれた日本最大級の前方後円墳だそうだ。

(表示板)

(仁徳天皇陵古墳:拝所)

仁徳天皇陵古墳を後にして、「さかい利晶の杜」に行った。ここは、千利休と与謝野晶子の資料館であった。
千利休は、堺の人ということはよく知っていたが、与謝野晶子が堺の人とは知らなかった。
与謝野晶子の生家は、「駿河屋」と言って羊羹で有名な和菓子商だったようだが、その店舗を再現した展示もあった。また、この旅で訪れた伊香保温泉の365段の長い階段に記されていたのを思い出した。

千利休の屋敷跡は、「さかい利晶の杜」のすぐ隣にあって、ボランティアの説明員が既に別の観光客に説明していた。説明が始まったばかりだったので、横で聞くことにした。千利休の屋敷はかなり広かったらしく、その一部とみられる井戸と灯篭があった。この場所は、昔は丈の長い雑草で覆われていて、人が寄り付くようなところではなかったようだ。この井戸が発見されたことで利休の屋敷跡ということが分かった。と説明してくれた。

(利休宅跡1)

(利休宅跡2:奥にある灯篭)

帰る時間が来たため、一度ご両親宅へ戻り、荷物を積んでお兄さんの到着を待つ。お兄さんがフェリー乗り場まで先導してくれたお蔭で、渋滞に合わずに済んだ。着いてから時間が来るまで、母ちゃんとお母さんは、沖縄へ一緒に行くことを約束したり、世間話をしながら過ごした後、お兄さんと一緒に見送ってくれた。

フェリーに乗った後、くつろいでいたら明石大橋の下を通るとの船内放送があったので甲板に出た。写真を撮ろうと、絞りとシャッター速度を調整したが、エンジンの振動で船が小刻みに揺れるので、あまり良い写真が撮れなかった。

(フェリーから明石大橋を望む)

大阪のご両親そして、そのご家族の皆さん大変お世話になりました。

明日は親父の誕生日だ。誕生祝いと旅行の慰労を兼ねて、旅の途中で予約した阿蘇の温泉宿に行くことにした。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿