北の大地の かあちゃん日記

北の大地のように逞しく 反抗期の孫育ては終了15年長かった。膝に人工関節 軽い脳梗塞にもなり頑張ってます。

母との幼い頃の思い出はあまりないんです。

2022年02月08日 | 母のこと

 私が生後半年の頃

 フーテンの寅さんみたいな自由奔放で(良く言えば)

自分の事しか考えてない父純二に愛想をつかし

さっさと離婚を決めた母 私を自分の両親に預け

田舎へ働きに そこで知り合った義父と再婚(3人の子持ち)

まぁ~あの父なら離婚されても仕方がない

カテゴリーの中に 純二伝説があります。面白いので

ぜひ読んでみてください 父の破天荒ぶりが解ります

 

母の両親に預けられてましたが ある日 私を養女に出す話があり

それを聞きつけた父は 私を連れ出し 祖母へ預ける

そこまでは良かった・・・しか~し 父は破天荒

タバコを買いに行くと言ったきり3年間行方不明とかザラにあり

仕送りもしてくれないので 私と祖母はボンビーでした。

 昭和の写真モノクロ

ウクライナ人だった祖母は髪を黒く染めて 回りにバレないように

していました。あの頃は ひどい差別がありましたからね。

愛情をたっぷりかけてもらいました。赤ちゃんから

育てて貰ったので 父が行方不明の時は 叔父と叔母が助けてくれて

父の弟と妹です。ともに40代で病気で亡くなりましたが

今でも感謝しています。お墓参りも行ってます。

なので祖母との幼いころからの思い出は沢山ありましたが

母とは ありません。 たま~に逢いに来る優しいおばちゃんだと

思ってました。母が祖母にお金を渡し 私と合わせて貰ってたようです。

デパートに連れて行ってくれて 好きな玩具を買ってくれる

優しい おばちゃんだと思ってました。祖母を母だと

信じ込んでましたので 小学6年で違うと解りましたが

 

若い頃は父も母とも疎遠でした。逢いたくなかった。

私を捨てた人達と言う認識でした。

今はね~もう私が歳ですから いろいろ事情も分かり

普通に接してますけど 父とは病院のICUから電話が来るまで

絶縁してました。市内にいないと思ってましたので

祖母の香典泥棒したので 二度と逢うもんかと思ってたのに

病院って探すんですね~~夜に電話来て驚きましたよ。

よっぽど そんな人知りませんと切ってやりたかったけど

最初に出た旦那が妻の父ですと言ってしまって

心筋梗塞でした。のちに心臓バイパス手術を受けますが

70才で心筋梗塞で亡くなりました。

 

親には恵まれませんでしたが 友達には恵まれました。

私が困った時 いつも助けてくれる友人達がいた

若いときも 現在も 私は恵まれてると思います。

ブログの読者さんも 私の友達だと勝手に思ってます。

だって困ったら 的確なアドバイスくれて助けてくれる

そのお陰で孫育て 何とか頑張ってこれました。

年に1回のオフ会でパワーためて 元気玉をもらい

また1年間 その繰り返し 唯一の息抜きでした。

昨日もLINEで 逢いたいね~と秋には ピークが終わってれば

オフ会やりたいね~とLINEしてました。

またオフ会に行くために 健康でいなくては

 

 

 

 

コメント投稿はコメントの文字をクリックしてね

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 母が87才の誕生日を迎えました。 | トップ | オミクロン株が猛威を・・・ »

コメントを投稿

母のこと」カテゴリの最新記事