フーテンの寅さんみたいな自由奔放で(良く言えば)
自分の事しか考えてない父純二に愛想をつかし
さっさと離婚を決めた母 私を自分の両親に預け
田舎へ働きに そこで知り合った義父と再婚(3人の子持ち)
まぁ~あの父なら離婚されても仕方がない
カテゴリーの中に 純二伝説があります。面白いので
ぜひ読んでみてください 父の破天荒ぶりが解ります
母の両親に預けられてましたが ある日 私を養女に出す話があり
それを聞きつけた父は 私を連れ出し 祖母へ預ける
そこまでは良かった・・・しか~し 父は破天荒
タバコを買いに行くと言ったきり3年間行方不明とかザラにあり
仕送りもしてくれないので 私と祖母はボンビーでした。
昭和の写真モノクロ
ウクライナ人だった祖母は髪を黒く染めて 回りにバレないように
していました。あの頃は ひどい差別がありましたからね。
愛情をたっぷりかけてもらいました。赤ちゃんから
育てて貰ったので 父が行方不明の時は 叔父と叔母が助けてくれて
父の弟と妹です。ともに40代で病気で亡くなりましたが
今でも感謝しています。お墓参りも行ってます。
なので祖母との幼いころからの思い出は沢山ありましたが
母とは ありません。 たま~に逢いに来る優しいおばちゃんだと
思ってました。母が祖母にお金を渡し 私と合わせて貰ってたようです。
デパートに連れて行ってくれて 好きな玩具を買ってくれる
優しい おばちゃんだと思ってました。祖母を母だと
信じ込んでましたので 小学6年で違うと解りましたが
若い頃は父も母とも疎遠でした。逢いたくなかった。
私を捨てた人達と言う認識でした。
今はね~もう私が歳ですから いろいろ事情も分かり
普通に接してますけど 父とは病院のICUから電話が来るまで
絶縁してました。市内にいないと思ってましたので
祖母の香典泥棒したので 二度と逢うもんかと思ってたのに
病院って探すんですね~~夜に電話来て驚きましたよ。
よっぽど そんな人知りませんと切ってやりたかったけど
最初に出た旦那が妻の父ですと言ってしまって
心筋梗塞でした。のちに心臓バイパス手術を受けますが
70才で心筋梗塞で亡くなりました。
親には恵まれませんでしたが 友達には恵まれました。
私が困った時 いつも助けてくれる友人達がいた
若いときも 現在も 私は恵まれてると思います。
ブログの読者さんも 私の友達だと勝手に思ってます。
だって困ったら 的確なアドバイスくれて助けてくれる
そのお陰で孫育て 何とか頑張ってこれました。
年に1回のオフ会でパワーためて 元気玉をもらい
また1年間 その繰り返し 唯一の息抜きでした。
昨日もLINEで 逢いたいね~と秋には ピークが終わってれば
オフ会やりたいね~とLINEしてました。
またオフ会に行くために 健康でいなくては
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