たとえば葬儀とか 地元は親戚が
ほぼいなかったので 私が送り出したのは祖母、父、次女ですが
祖母と父は家族葬みたいな感じで 誰も文句を言う人がいなかったので
疲れましたが 物事はたんたんと進みました。
次女の時は遺言通り大きな斎場でやったので 大勢来てくれました。
ただショックであまり覚えてません。葬儀会社の方が進めてくれたので
ただ決めればいいだけだったような・・・・
嫌なのは田舎の葬儀です。こちらと 全然違うので戸惑います。
母の方には 山のように親戚がいますので 複雑な家庭環境なので
嫌ですね~~母が札幌に行ってくれたら 少なくていいけど
皆様 高齢で来れないでしょうし
あと一つ苦手な事は 軽く閉所恐怖症です。
頭のMRI撮る時は 心臓はバクバク いや~~と叫びだしたいのを
堪えるために何度も深呼吸して 息を整え早く終わってと願います。
原因は解ってます。父が若すぎて(21才の時に私が生まれた)
すぐに癇癪おこす人で 子供を可愛がるって言うのも出来ない人で
遊んでと父に言っても 最初はふざけてたんでしょうけど
よく布団蒸し巻き
にされました
あれって 熱くて苦しくて 意識が
だんだん薄れていくんですよね。出して~~やめて~と叫べは叫ぶほど
体力を消耗して汗だくになり 息が出来なくなり 真っ暗で怖かった。
死ぬんじゃないかと何度も思いました。意識が無くなる寸前で止めてくれたけど
きっとそれがトラウマになったと思ってます。
ロクでもない父は あれが遊びお仕置き
おふざけ
だったのかな
私が結婚して妊娠しても 何か意見したら箸や茶碗が飛んで来ましたからね
大嫌いでした。だからタバコを買いに行くと行って家出したら
私は喜んだもんです(3~5年は帰らなかったから経済的は大変だったけど)
絶対に面倒みないと決めてたのに 疎遠になってたのに
病院って身内を意地でも探すんですね深夜に病院から電話が
ICUにいますので来てくださいと・・・私は行かないと言ったのに
旦那が行こうと 強引に連れてかれた
心不全をおこし倒れたそうで その後心臓のバイパス手術うけましたけど
俺はお前の世話にはならない 野垂れ死にすると言ったのに
しっかり私の世話になりましたよ 葬儀もお墓も建ててやったし
父のためではなく育ててくれた祖母のためでしたけど
祖母の夫に息子たち3人 分骨した たった一人の娘(神戸の叔母)も
一緒に14才で亡くなった叔父は わざわざ掘り起こして(昔は土葬でした)
私の生まれる前でしたので 何も出ないかと思いましたがベルトのバックルとか
いろいろ出て来たので 一緒に埋葬しました。家族全員一緒に出来て
本当に良かった。天国で祖母が1番喜んでるね
これも祖母が大好きだった次女のおかげでもあります。
一緒のお墓にしてと遺言があり 墓地が広かったので
立て直し 隣同士にしたんです。破格の値段で
何かが手助けしてくれてたのかな 皆に言ったらえ~~と
驚かれる価格です。もちろん値切りましたが
怪獣がお墓参りしてくれるでしょう。
私も娘のお墓に入るつもりです
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