これは次女が亡くなって 半年位でしょうか?
2時間位で作りました。フォトムービーです。DVDにして 欲しいと言う方に
差し上げました・・・久しぶりに見ました。
もう二度と作れないだろうなぁ~ あの時間だけは 娘が生まれて
生きてきた事を残したくて アルバムから写真を写し作ったけど
今回はDVDを写メで写したので画像は悪いけど
昭和57年10月10日生まれ 黒目が大きい子でした。
初めての雛祭り 5ヶ月 これに乗り室内を暴走してました
2才上手く指が出来ない 5才の誕生日 誕生会は毎年お友達を呼び賑やかに
1年生チビリンだったね 大好きだったロシア人の曾ばあちゃんと温泉へ
ナナちゃん小さいね すっぴんです。18才くらい?
写真なんていらないと言う娘を説得して写した成人式
21才で怪獣を産みましたね、痛いと言わず偉かったよ
怪獣の入園式 この笑顔からまもなく・・・
2月3日が命日 葬儀は友人葬に近い感じで・・・ 5月納骨しました。
やっぱり この写真が好き
義姉に変な頭ね!と言われムッとしましたが誰が何を言おうと好き
怪獣が10才になったのでハーフ成人式にと家族写真も写しました。
生きてる時に 写したかったね
まだあったのですが 抜粋して 音楽が流れ次々写真が変わり
何度見ても泣いてしまいます。 1枚1枚に私の文章を添えて
作ってる時は夢中で泣きもしませんでしたが
出来上がったデジブックを見た時は号泣しました。
同じ物を作れと言われても もう出来ません。
あんな どん底の時に よく作れたなぁ~と思います。
空から娘も力を貸してくれたのかな?
写真選ぶ時も まったく悩まず すぐ決まったし
あっという間に完成したんです。
怪獣と私の宝物です。作っておいて良かった
空から怪獣の事 見守っていてね
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どんな音楽を選ばれたのでしょう。
きっと泣きます、私。
私はまだまだ写真の整理が出来ていません。
大人になってからの写真がすくな過ぎて、学生時代のものも ないんです。
だから 今更ですが
家族写真を撮りました。
その中から一気に選び 作りました。
音楽は そこの会社の(デジブック)オリジナルでした。
自分の好きな曲を選べるそうです。
ピアノ演奏だけの凄くいい曲でした。たまたまこのブログに
そういう物を作る事が出来ますよ~と書いてたので
やってみよう!と 写真を撮るのが好きでそれが のちに仕事に役立つなんて(写真店ラボに18年勤務)
ますます写真は増えて行きました。
大人になってからは やはり少なくて
雑誌の表紙になった写真が1番好きです
見たとうり かなりヤンチャ?でしたので
ずっと親をハラハラさせてくれました。
生活のため 夜の仕事をしてましたが
8年間 長続きしたと思います。
葬儀の時は 娘のお客様 いろんな会社の社長さん達も来てくれて
私に挨拶に来てくれました。娘がいつもお世話になりまして ありがとうございましたと・・・・私も挨拶を
新聞に載せてと言われてましたので
田舎の母の反対にあいましたが本人の遺言にも書かれてたので 堂々と新聞の死亡欄に・・・
大勢の方が 葬儀に来てくれました。
200名以上の方が・・・ ほぼ娘の知り合いです。
お花を飾る場所がないくらい 沢山届いて
どういう順番に置きますか?と聞かれても
どういう知り合いか解らず 娘の友人達に聞いて
並べてもらいましたが・・・不器用な娘なのに
見送って下さる方が 沢山いて 安心しました。
親戚はいませんので 親戚の席の方にも座って頂きました。 立ってる方もいたそうです。
結構大きな会場だったんですけど
家も 怪獣が10才になったのでハーフ成人式の写真を
撮りにスタジオへ 私と怪獣が娘の遺影を持ちまして
家族写真も写しました。遺影額も反射しないタイプに
リボン付いた可愛いのに変えて(TVドラマで同じのを使ってたので 嬉しかったです)
本当の家族写真になりました
昨夕、読ませて頂きましたが、涙が溢れボロボロでコメント
を書けるような状態ではなく、今頃になりました。
もう、ボロボロです。
次のブログに行きます。
まったく思わずに 娘がこの世に存在していたことを
知っててほしい 忘れないでほしいと言う思いだけで
生まれた瞬間の写真から~写しました。
まだへその緒が繋がってます。産婦人科の先生が
カメラを構えてウロウロしてたのを覚えてます、
奥様が取りあげてくれて 元気な産声が記憶に
残ってます。 悲しいけど 娘の生きてきた証
作っておいて 良かったと思います。
今の方が 作るパワーが残ってません。
でも前向きに頑張ってます。