祖母は相変わらずのマイペース
食べた事は どきどき忘れますが 進行は遅いようで
お金がなくなった!盗まれた妄想がなくなり一安心
ですがプチ徘徊が始まりました 自分の名前はまだ言えたので
変わった名前なので ご近所の方が家まで送ってくれたり(感謝)
市役所の生活保護課の担当の方から電話が来ました。
話しがあるので来てほしいと 祖母の状況など聞かれ
老人ホームに予約しませんか まだ30才位の若い担当の方
あなた一人なら面倒見れないでしょうからと親切に言って下さり
すぐには 入れませんから 申し込みだけでもと言われ
受付へ 歳の頃は定年まじかのジジィが1人座ってました。
あの~~老人ホームの申し込みをしたいんですけどと私が言った瞬間
なに~~~ここは姥捨て山じゃないんだぞ 何を考えてるんだと
大声で怒鳴られた私・・・そうでなくても 申し訳ない気持ちで
一杯なのに 怒鳴られて泣いてしましました(まだ若かったのね)
慌てて生保の担当の方が いえいえ この方はお孫さんです。
娘さんではありませんからと言ってくれましたが
くそジジィ聞いてるんだか?引っ込みがつかなくなったんだか
まったく今の若い奴は 何でも施設にいれれば いいと思って
と まだ文句を言ってる 市役所の職員ですよ
悔しくて 悲しくて 殴ってやりたかったけど
申し込み用紙だけは貰ってきましたよ・・・あんな奴が職員だなんて
しかも 施設の申し込み窓口のですよ 今なら信じられませんよね
いろいろ書いたり 戸籍謄本など持って 後解らない項目も
あったので また行かないと あのクソジジィ~に会うのが嫌だと
思いましたが仕方ない 勇気を出して行ったら いませんでした
中年の男性が受付してくれて とても親切で優しかったの
探したが怒鳴りつけたジジィ~は見当たらなかったわ
今なら苦情のメール書いて ガンガン送り付けてやるのに
結局 2年待ちと言われました・・・そんなに・・・
それまで どうしょうかと悩んでたら 運よく?かな?
アホ純二・・・父ですが帰って来ましたよ
事情を話 目を離さないように しっかり面倒見てねと
父が帰って来た事で 少し安心したのか 祖母も元気に
それから父に何度か 大変だと愚痴を聞かされましたが
母親なんだから 面倒見ろ~~と私
そうこうしてる家に 冬になり父が仕事行ってる間に
散歩に出た祖母が冬道で滑って転び 手と大腿骨を骨折
アホ父が 自分で何とか出来ると思ってテーピングしたけど
骨折ですから痛がる祖母 夜中に父から電話が すぐ来てくれと
見たら紫色になって腫れてるし すぐ救急車を呼び入院でした。
父は来ません・・・一緒に住んでるのがバレたか困るからだそうで
お蔭で 医師に虐待を疑われたわよもっと早く電話してくれたら
認知症なので どこで転んだか?いつ転んだか記憶にない祖母
結局 数か月入院するはずが 長くかかり認知症も進みまして
生保のお金は家賃 光熱費 病院でかかるものに使いましたが
担当の方から マンションを引き払ってほしいと言われまして
退院したら行くところないじゃないですかと言ったら
そのまま施設に入るようにしますのでと言うので
なくなく引き払い その頃 祖母は介護が必要な状態で
病院に泊まり込み24時間女性の方が付き添って介護してくれました。
(その頃は そういう方が沢山病室にいました)
市役所から雇われたと言ってました。 オシメの交換から
身体を拭いてくれたり介護すべてです。助かりましたね
なので生保のお金は1円も来なくなり
オシメ代や パジャマその他もろもろは私の持ち出しでした。
入院生活3年目に やっと施設から電話が来まして
私の家の近所で 母方の祖父も入ってました。
しかし 入る前に検査でするんですね・・・
祖母は食道ガンに侵されてる事が発覚し入所を断られました。
やっと近くに来れる 毎日でも行けると思ったのに
高齢でしたので 今すぐ どうこうはないけど
手術も不可能 自然に任せましょうと医師に言われ承諾
その2年前に 祖母の一人娘が(神戸の叔母48歳)が
食道ガンで 亡くなったのです。私は神戸まで行き10日間
病院で泊まり看病して最後まで見届けて来ました。
凄く仲良かったんです。子供がいない叔母夫婦は私の娘たちを
養子にしたいと言ってたくらい可愛がってくれました。
余命10日と言われたから 会いたがってるので
すぐ神戸に来てほしいと叔父から電話を貰った時は
ショクで車をぶつけてしまったくらいです
こういう時 認知症で祖母は良かったかも・・・
祖母に伝えましたが そうかと言ったきり無表情でした。
あんなに可愛がってたのに 祖母が愛する叔父 叔母の死
そして 祖母の長男も 次の年に亡くなりました。
皆さんが帰った時間帯に お通夜の時 お別れさせようと
祖母を連れて行きましたが・・・やはり無反応でした。
かえって 良かったかも 自分の子供達が次々亡くなり
もの凄いショックを受けたでしょうから この時は認知症で
良かったと心から思いました。それから数年後
危篤ですと病院から連絡をもらい慌ててかけつけると
私と娘が着いてたった10分で眠るように天国へ旅立ちました。
86才でした。もう老衰に近かったのかもしれません。
一週間前は とても元気でしたから 私と子供達と逢い行ったので
急だったと付き添いをしてくれた方も話してました。
苦しまずに 天国へ行けて良かった
私は 傍について悲しむまもなく 病院から葬儀会社はどこにする?
こちらから紹介すると言われましたが 虫の知らせですよね
4~5日前に仕事中 もし急に祖母が亡くなったら
どこの葬儀会社にしたらいいんだろう?金額はいくらかかる?と
突然思いまして電話帳から 数件探して電話して話を聞きました。
同僚が おばあちゃん具合悪いの?と聞かれましたが 元気だよ~
一応 念のために いざとなったら慌てないようにと思ってさ~と
ちょうど祖母が亡くなった日に 一番感じの良かった葬儀会社の方と
お会いして詳しく話を聞く予定だったんです。
すぐその会社に電話したら いや~~こんな偶然あるんですねと
びっくりしてました。祖母は熱心なロシア正教ハリストス教会の信者でしたので
教会にも連絡して 綺麗な教会で葬儀をあげる事が出来ました。
教会であげるさい 市役所の方と言い合いなりましたが
仏教じゃなきゃダメみたいな事を言うので 人それぞれ信仰するものは
違うでしょう?なぜ教会だとダメなんですか?と揉めましたが
生保でしたので 予算オーバーは私が出すという事で話はつきました。
軽度認知症になってから6年たってました。
私と娘たちの顔は最後まで覚えてました。 名前も
年齢は10分おきに 娘達に聞いてましたが
天国で自分の子供達や夫 そして私の次女と一緒にいるのかな?
だったら賑やかでいいね
コメント投稿は コメント( )内の数字クリックしてね
祖母もそれで動けなくなったのですが、認知症で徘徊→転倒・骨折→要介護…は、典型的なパターンですよね。とあるケアマネさんは言ってました。確かに、おむつ交換やその他大変になりますが、動ける認知症のほうが徘徊も酷くなったりして、大変ですと…。
それにしても役所の方、対応悪すぎです。…ってか、その怒鳴った人、人工衛星になったかもしれませんねぇ。一回の粗相で本所を飛ばされ、出先機関を転々と…
介護の世界には”行政措置”があります。祖母はそれを利用して数カ月で施設入居が決まりました。(いや、そういう条件をたくさん両親に挙げさせて、そうさせました)付き添いの方は、その”措置制度”の一環だったのでしょうね…
おむつや被服代が自己負担なのは、昔も今も変わらないのですが、それが凄い金額になるんですよねぇ。有料老人ホームのチラシやパンフレットに”月々これだけです”って書いてるのを見ては、ウソこけ~。おむつ代とか他に、結構かかるんじゃん?って、一人で突っ込みいれてます。私の場合、実家の両親のそういった場合を考えないとなぁ…
本当にそうでした。 20年以上前は
まったく知識がなかったので 想像もしてませんでした。
子育て 仕事に忙しかったんです。
運悪く?その頃の夫に東京転勤の辞令が
祖母を置いていく事が出来ず単身赴任してもらいました。
のちに それが離婚理由の一部にもなったんだけどね。
葬儀には 東京からすぐ帰って来てくれて助かったけど・・・・
オムツ代って 結構かかりますね?
あの当時で 月1万以上かかった気がします。
最後の 最後 祖母のお墓を作ってあげれて 良かったです。
偶然 飛び込みで入った墓石業者のお店で 最低限でいくらで作れますか?と
聞きましたら社長さんが出て来て
事情を聴いてくれて 今時 孫が祖母のお墓を建ててあげたいなんて
なんて いい話なんだ 払えるだけでいいよと言ってくださり
お金持ちから沢山貰うから・・・内緒だよ・・・と
格安でお墓を建てる事が出来ました。
小さなお墓でしたが 私は安心して祖母を眠らせてあげる事が出来ました。
最後に恩返しが出来たような気がします。
二度と見る事はなかったから
どこか遠くへ飛ばされたのでしょうか
自分は偉いと勘違いされてる ジジィでしたぞ!
昔はいたわ そんな勘違いした市の職員が・・・
今なら ガンガン文句いってやったのに~