祖母はウクライナ生まれでしたが 今と同じような戦争に
巻き込まれお父さんと兄が銃殺され 残った母と4姉妹はチリジリに
ウクライナから逃げ出しました。祖母が行きついたのは
北方領土の樺太でした。そこで日本人の祖父と知り合い結婚
6人の子供が生まれました。3番目が父です。
本名はチョノールダリアと言います。祖母の発音だと
チョノウバと聞こえます。日本語は読めません
かろうじてカタカナだけ読み書き出来ました。
明治の最後1912年生まれでした。とても厳しい祖母に
育てられましたが 愛情も沢山貰いました。
祖母の料理で大好きな物があります
ボルシチです。祖母が作ったのは最高に美味しかったです。
ボンビーでしたので こんなに具は入ってませんでしたが
食の細かった私は いつもお代わりしてました。
もう一つ 日本の餃子に似たワレニキという食べ物
中にはイチゴジャムとか キャベツをバターで炒めた物が
入っていて 一度湯がいて バターを絡ませます。
これも美味しくて おかわりしました。
ボルシチは今でも作ります。そのためにトマトカット缶は
いつも常備してます。旦那が嫌がらず食べてくれるので
嬉しいです。 ワレニキも作りたいのですが
餃子の皮なら薄すぎて 皮から作らないといけません。
それと魚のすり身から ハンバーグを作ってくれました。
私は ず~と肉だと思い込んでましたが
確かサバをおろして細かくして すり身みたいにして
作ってた記憶が薄っすらあります。
そろそろ ボルシチを作ってみます。
祖母はボルシチの具をフォークで潰し パンと一緒に
食べてました。パンが大好きで紅茶が大好きで
一人暮らししてからはパンしか食べてませんでした。
洋画の面白さを教えてくれたのも祖母です。
見るTVは 全部洋画 ディズニーとか
故郷を思い出してたのでしょうか・・・・
私にお金があったらウクライナに連れて行きたかった。
離れ離れになった母親や姉妹に逢いたかったでしょう。
絶対にその頃の話はしてくれませんでしたが・・・
大好きだった祖母86才まで看取る事が出来て
お墓も守ってるので 天国で満足してくていてくれるかな?
祖母の味のボルシチまでは なかなかなれなくて
毎回 悩んでます いつか祖母の味のボルシチに
なれますように
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