百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

ドーバー海峡を臨むカレーに到着

2012-07-02 18:02:41 | ウオーキング

  7月2(月)  平成17年1月1日より 2,749日目
         歩いた歩数        その距離
本日     15,419歩     10、793m
総計 38,447,019歩 26,912,913m
ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランスパリ・カレーを経てロンドンに向かう、後 185、019m

         カ レ ー 到 着

カレーについてはドーバー海峡に接する港町で、イギリス側のドーバーとの間に「ユーロトンネル」で大陸とイギリスを結んで居るということしか知らないので、カレーを検索してみた。検索すると食べるカレーばかりが出るので、フランスのカレーと入力して改めて検索した所こんな逸話が出て来た。

                    
                       カレーの6人の市民像 (ロダン作)

 この像はロダン作の有名な彫刻の一つで1888年に完成したもの。百年戦争の時の1347年、カレーはイギリス軍に包囲されていた。イングランド王エドワード3世はクレシーの戦いで勝利を収めたのちカレーを包囲、フランスのフィリップ6世は支えきれず降伏。エドワード3世は、市の主要メンバー6人が自分の元に裸に近い格好で首に縄を巻き、城門のカギを持って歩いて来れば市民は救うという条件を出した。

 カレー市の指導者の一人ウスタシュ・ド・サン・ビエールが志願した所、5人の市民が後に続いた。彼らはズボンまで脱いでサン・ビエールを先頭に痩せ衰えた姿で城門へと向かった。これによって市民は救われた。ロダンは、これを題材に、この敗北、英雄的自己犠牲、死に直面した恐怖の交錯する瞬間を捉え迫力ある群像を作り出した。

この6名の運命は死によって終ることになっていたが、王妃の願いで許されたという。                    

 

 

 


長寿会定例会

2012-07-01 19:09:50 | 老人クラブ

  7月1(日)  平成17年1月1日より 2,748日目
         歩いた歩数       その距離
本日     13,903歩      9、732m
総計 38,431,600歩 26,902,120m
ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランスパリを経てカレーに向かう、後 1、238m

 訪中のブログは月末までには纏めようと努めたが、月を跨いでしまった。ウォーキングの後、午前中にと頑張ったが、良い写真に行き当たらぬままに長寿会の定例会が迫って来た。戸外を眺めると、傘を差して愛宕町の【奥信濃物産まつり】に向かう人たちを見た。雨が降ってるのだが、お祭りに何か撒くのだという。午後は本格的になる予報なので私は会長に電話して、「アジサイの手入れ」は7日の伊勢神社の清掃日まで伸ばしたらと提案した。快諾を得たのですべてを先送りして昼食をとった。

 昼食後、早めに公民館に向かった。小雨なので、公民館の庭のアジサイだけでも見栄えを良くしようと出掛けたのだが、会長も同じ考えのようで除草機で草を刈って居た。

 長寿会は会長が6月の事業報告をした後、7月の行事予定を知らせ参加を呼び掛けた。お茶会になって、会長から「先生は最近中国に行って来られたのだから、是非中国のはなしを・・・」と水を向けられた。今ブログで訪中団の記録をやって来たばかりなので、忘れぬ裡と思い、話をした。

 たっぷり一時間ほどお話したが、反響は無かった。しかし質問が有ったら…という呼びかけで、答えたが結構関心がある事が判って嬉しかった。

 解散の後、家に戻ると、くろねこ大和が訪中で破損したトランクを持って行ったと知らされた。


緑化協力・河北の旅 (6)

2012-07-01 16:14:42 | 日中友好

  6月17(日)  平成17年1月1日より 2,734日目
        歩いた歩数      その距離
本日       4,732歩       3,312m
総計 38,231,714歩 26,762,200m
ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランスパリを経てカレーに向かう、後 141,158m

遂に帰国の日がやって来た。起床5:30 朝食6:00 ホテル発7:30 空港着7:40

 ここは空港に近いというだけでサービスも悪く、食事も拙い。既定の時間になっても副食品が揃わない。驚いたことにフロントの時計が狂って居たことだ。空港に近いホテルの時計が合ってないとは恐れ入った。

  総ての手続きが済んで、いよいよ梁さんとお別れだ。梁さんは今回の私たちの接待のすべての責任者だ。酒は滅法強く、私を常に【有名人】と評価して呉れた。有り難かった。ただ、高齢者として健康に気を遣って呉れたのには少々参った。乾杯の折りには「先生は随意で」と声を掛けて呉れた。これも彼の誠意の表れだと思った。お気遣い有難う!再見!

 空港のロビーは歩いて行くには遠く、車が来て乗らないかという。サービスなのかと二人で乗ると下り際に10元と言った。北京空港発9:50日本が見えたのは 12時、急に国会の模様が気になりだした。しかしニュースは入って来るが国会の動きは聞こえて来ない。キット小沢氏に反対されて動かないのだろうと勘ぐった。

 空港で島崎さんと私はトランクの事故申告をしたため、皆に迷惑を掛けることになった。長野の皆さんは明るい裡に着いたが、私達は薄暗くなってしまった。午後7:40無事家に到着。全員に迎えられ、祝杯を挙げた。

 

 


緑化協力・河北の旅 (5)

2012-07-01 16:10:41 | 日中友好

  6月16(土)  平成17年1月1日より 2,733日目
        歩いた歩数      その距離
本日     14,949歩     10,464m
総計 38,226,982歩 26,758,887m
ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランスパリを経てカレーに向かう、後 144,471m

   
    武烈河畔の遊具で             老朋友 李豊さん(左)         普寧寺 参観

 今朝は遥々平泉県から李豊さんが訪ねてくると肖さんから聞いていたのでウォーキングを取り止めた。李豊さんは1990年初めて平泉県を訪れた時の科学技術委員会の青年技師。私の身の回りの面倒を見て呉れた人、その後独立して企業家となってきのこ産業に励んだ。途中販売委託した金が入らないと口説いて来たことがあったが、その後の消息は途絶えていた。今、私の前に姿を現した李豊さんは見違える程に成長していた。

 委託した未回収の金の後始末について訊いたが、【忘れました】というのみで答えはなかった。今は成功して大社長になってそんな端下金はどうでもよい身分になっていたのだ。食事の後、私たちの普寧寺参観に同行して一眼レフのカメラで盛んにシャッターをきってくれた。20年前の事を忘れずに遥々面会に来てくれた誠意に頭が下がった。ありがとう!

 主命が総べて円満に処理できて今回の訪中は大成功。いよいよ帰途に着く。帰途は念願の「金山嶺の万里の長城」に登ることだ。金山嶺では栾城県の皆さんが待って居て、万里の長城を観る前に、お昼の宴会となってしまった。かなり吸い上げてからの長城見物。ここは八達嶺の長城と違い、建物も通路も総べてレンガ造り。通路の段差は2枚のレンガが積み重ねられている、しかも砦に近づくに従って急な勾配となっているので三段積みだ。白酒でふらついている上に、最後の登りが3段重ねとあって、苦しいこと。それでもやっと登り切った。長城を征服した満足感と絶景にしばし酔った。

 さて下りとなって下を見ると思いのほか急勾配。酔った私が躓けば下まで転げ落ちてしまう。躊躇している私を見た人がやって来て、そっと私の脇腹を抱えて呉れた。大丈夫と言ったもののこの助っ人にはホッとした。中国の人はみなこんな所作をしてくれる。素晴らしい習わしと思う。私は好意に甘んじて3段積みの急場は抱えられて下った。2段目になって自力で下ると言い張って下ったが、3段目になるとまた来て支えて呉れた。そして無事長城見物を終わることが出来た。感謝!   

            金山嶺の万里の長城

      

          

 此処で、肖振鈴さんと別れることになった。古北口までが昔は熱河省。今もここまでが承徳の範囲なのだろう。肖さんには20年来、お世話になりっぱなし。幾ら礼を言ってもものの数ではない程世話になっている。只々感謝あるのみだ。握手する身も目頭が熱くなる。謝々!再見!

 これからは河北省の梁さんの指揮。少々雨に打たれながら北京を目指して南下する。梁さん、買い物をと気遣って百貨店に寄って呉れたが、目ぼしいものがなく空振り。明日の帰国に備え、空港に近いホテルに泊まる。安宿の感じで設備も食事も今迄のホテルとは大違いで良くない。明日の朝は早いので白酒は程ほどにして部屋に戻り、身の回りの整理をする。島崎さんとは常に同宿だったので何から何まで面倒掛けた。シャワーも浴びずにベッドに入ったが訪中の思い出が走馬灯のように廻って中々寝付けない。

 

人が


緑化協力・河北の旅 (4)

2012-07-01 15:47:27 | 日中友好

  6月15(金)  平成17年1月1日より 2,732日目
        歩いた歩数      その距離
本日       4,222歩       2,955m
総計 38,212,033歩 26,748,423m
ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランスパリを経てカレーに向かう、後 154,935m

 今日の日程 易県~北京経由~承徳 (緑化)=避暑山荘~外八廟~承徳歓迎会
                         (育英)=隆化~存瑞小~董存瑞陵園~隆化歓迎会~承徳

     
        密雲県でしゃぶしゃぶの昼食                 伸び行く承徳市
    

 起床6:30 昨夜の白酒が祟って早朝のウォーキングは出来ず、ホテル内の散歩で終わる。今日はバスで長距離走。ホテル発8:00高速道路に乗り保定を通らずに涿州に出る。10:25。高麗営で高速を降り、片側4車線の広い国道を走って密雲県へ着き、ここでしゃぶしゃぶの昼食。福辰肥牛というレストラン。美味くて腹いっぱい。再び高速に乗って承徳に向かう。途中金山嶺の万里の長城の見える辺りから栗林が目立ちはじめる。長城を挟んでの両側の山地の栗は皮離れが良く、天津港から輸出されるので【天津栗】の名で通っている、と皆さんに説明する。承徳着は15:20

 承徳で正装に着替え、緑化グループと別れ、16:00肖振鈴さんの案内で一路隆化へ。承徳着の予定は14:00だったので肖さんはジリジリして待って居た由。

          
            存瑞小学校 会議室で 里子と             董存瑞陵園にて

 存瑞小学校到着は5:00 児童は既に下校したのではないかと心配したが、100人からなる鼓笛隊が盛大に私たちを迎えて呉れて大感激。広い校庭を演奏の中感激に心を奮わしながら歓迎会場に向かう。新築の校舎は6階建て、生徒は3千人を超えるという。3階会議室で県長・教育長・校長・里子親子に迎えられて歓迎式典。歓迎と感謝の言葉を聞いた後、木島小学校から託された感想文と写真を添えて存瑞小学校に渡して、再び存瑞小学校の児童からの便りを期待する旨申し上げ、友好の絆の更なる交わりを期待する。教育委員会に育英資金を渡す。

 終わって董存瑞陵園を訪れ、歓迎の宴会に臨む。宴の中で、校長先生から「頂いた天体望遠鏡を使い、吹き矢を今でもやっている」と告げられ、前回蒔いた吹き矢の種が芽をふいたことに感激した。日本の吹き矢協会にも伝えようと思った。

 歓迎会の後、承徳に戻り、本隊に合流、更に2次会となる。ここでは接待役が主役になって呑み始めた。そしてとうとう酒豪争いとなって、小杯を止めコップでやりだした。梁さんと肖さんの一騎討は肖さんに軍配が上がった。主客転倒とはこのことか。皆も酔ったが私も酔った。