百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

チベット騒乱と北京オリンピック(2)

2008-04-30 21:43:48 | Weblog

  4月30日  (水) 
                          平成17年1月1日より 1,216日目
                                        歩いた歩数      その距離 
                          本日           13,888歩          9,722m
                          総計   16,940,987歩  11,858,691m
  北京より西安・蘭州・西寧・酒泉・嘉峪関・玉門鎮を経て莫高窟に向かう。後 228,459m

            
                    ポダラ宮

  私はダライ・ラマは聖火の安全を期待しオリンピックを支持しているものと信じていたので、聖火の妨害の指導者はダライ・ラマであるという中国の主張は根拠の無い虚言と考えていたが、凌星光教授の論説で何を信じてよいのか判らなくなってしまった。

 私はチベットについて殆ど何も知らないことに気付いた。そこで、横浜国立大学の村田忠嬉教授が提供した「チベット問題を知るための資料」に目を通した。

 私のブログは映像が1メガ以内、文字が1万字以内という制限があるため、総てを転載できないので何回かに別けて披露することにした。

  チベット問題を考えるための資料
チベットの地理
 中国の西南辺境に位置し、面積は122.84万平方キロ。全国の8分の1。ミャンマー、インド、ブータン、シッキム、ネパールと国境を接しており,国境線は4000キロほど。平均で海抜4000メートル以上。7000メートル以上の山が50以上ある。自治区政府の所在地 ラサは 海拔3658メートル、気圧は平地の64.35%しかない。日照時間は年間3021時間。天候のよい日は年間で363日。紫外線が強く、東部平原地帯の2.3倍になる。自然状況が厳しく、漢民族の定住は不可能。漢民族の女性は内地に戻って出産しないと子供が死んでしまうとのこと。天気の良い日が363日?ホントかな? 漢民族の定住は不可能?漢民族の女性は内地に戻って出産しないと子供は死んでしまう?ほんとかな?

 これ以上、何回入力しても受け付けてもらえないので本日はこれまで。

 

 


チベット騒乱と北京オリンピック(1)

2008-04-29 18:38:41 | Weblog

  4月29日  〔火〕  ①
                          平成17年1月1日より 1,215日目
                                        歩いた歩数      その距離
                          本日           14,540歩        10,178m
                          総計   16,927,099歩  11,848,969m
    北京より西安・蘭州・西寧・酒泉・嘉峪関・玉門鎮を経て莫高窟に向かう。後 238,181m

    ダライラマ14世は「私はチベットの独立は望んでいないし、聖火リレーを妨害するような行為は行わないように、どうしても決行するなら、私は辞職する。」という声明まで出して、中国政府に平和的な話し合いを求めたが、中国政府は「聖火リレーを妨害する行為を煽動している元凶はダライラマである。」と決め付けてダライラマの呼びかけに応じる気配は無かったが、聖火の歴訪地でチベット問題は人権抑圧だという世論に抗し難く、遂に中国政府は「ダライラマと話し合う用意がある。」と折れて来たと認識してきた。

 今日、長野県日中友好協会のホームページで[HOT SPOT」を見て、全く相反する論説を拝見、ものには裏表がある、立場が変えて見ればこうも違うものかと驚いた。

  [チベット騒乱と北京オリンピック」と題する福井県立大学凌星光教授の記述の一部を掲載する。

  「・・・先ず、今回の騒乱が起こった原因を考えてみよう。直接的な原因は、ダライ・ラマが昨年、欧州で「2008年は鍵となる年、北京オリンピックはチベットの最後のチャンス」と語ったこと、またチベット国民民主党のヤンドルン代表が今年3月に「オリンピックが近づき、国際社会が中国を注視する時期、チベット問題を訴えるよい機会だ」と語ったことから窺えるように、間違いなく、ダライ・ラマ集団が仕掛けたものである。<o:p></o:p>

ではどうしてダライ・ラマが「最後のチャンス」と焦りを感じたのであろうか。それには次のような背景があったと考える。

1)ダライ・ラマは70歳を越し、転生の定めによれば、次の指導者はダライ・ラマが亡くなってから、少なくとも20年はかかる。その間に「亡命政権」は完全に行き詰まるため、時間的余裕がなくなっている。

2)チベットの経済発展は目覚ましく、インドの「亡命政権」所在地との経済格差は拡大している。また、経済条件の改善と共に、チベット族の教育レベルも急速に向上しており、ラマ僧はともかくとして、一般チベット人のダライ・ラマ離れは避けられない。

3)中国とインドとの関係が改善し、インド政府の「亡命政権」への態度が厳しくなった。「亡命政権」の将来性はますますジリ貧傾向にある。

4)青海チベット鉄道が開通し、チベットの閉鎖性は過去のものとなった。チベットはますます漢民族や世界各国人民との交流が深まっていく。それは、とりもなおさず、ダライ・ラマ集団の影響力が弱まっていくことでもある。

5)ダライ・ラマはノーベル賞をもらったばかりでなく、昨年10月、米国議会から金メダルを授与された。欧米日先進国が支持してくれており、今こそ事を起こして「国際世論」(実際には先進国世論)を味方につけるチャンスと見た。

 中国当局は台湾問題と新疆ウイグル族独立派のテロへの警戒に注意力が奪われ、チベットに対してはほとんど無防備状態にあったようだ。それは、事件発生後の対応から見て取れる。ダライ・ラマへの非難は感情的で、文革的言語さえ使用された。しかし、時間が経つにつれて、一定の余裕が出てきて、ダライ・ラマ集団の発した虚偽情報への反撃が行われるようになった。欧米のマスメディアもことの真相がだんだん分かるようになり、反省する雰囲気が出てきた。ここで重要なことは、中国当局及び中国国民が、西側先進諸国政府及びマスメディアへの過度の不信感を取り除き、国際社会の理解と支持が得られるよう努力することである。<o:p></o:p>

確かに欧米日のマスメディアには公正さに欠ける面があったが、それは中国当局の対応のまずさに原因しているところもあった。また国際的反中国勢力がダライ・ラマ集団を支援して、中国への圧力を強化し、内部崩壊を企てる、即ち中国版「イエロー革命」を画策することもあったであろう。しかし、それを過大評価するのは的を射ていないと考える。説得力のあるダライ・ラマ批判を行い、中国当局と国民が世界の有識者と共に努力すれば、8月に差し迫った北京オリンピック大会を成功させる可能性は十分にあるだろう。・・・」<o:p></o:p>

  


 

 


後期高齢者

2008-04-28 18:40:41 | Weblog

  4月28日  (月〕 
                      平成17年1月1日より 1,214日目
                                     歩いた歩数      その距離
                       本日           19,221歩        13,455m 
                       総計   16,912,559歩  11,838,791m
         北京より西安・蘭州・西寧・酒泉・嘉峪関・玉門鎮を経て莫高窟に向かう。後 248,359m

                    

                                  昔むかし 〔Ⅱ〕  NO.28

           ちっと前じゃ、70・80才なんて言えば、まったくお
                          爺さんとお婆さんというのが前の時代。バイクには
                          乗るし、軽トラも乗りこなす。婆さん隣に温泉めぐり、
                          勿論家では作大将、息子がお金がなけりゃ年金お
                          ろして貸してやる。孫の自転車だって任しとけ。日本
                          農業の代表責任者・・・(といったところだ。)この方々
                          を後期高齢者・・・とは失礼な!

                 まったく!!


玉門鎮到着

2008-04-27 18:40:44 | Weblog

  4月27日  (日) 
                          平成17年1月1日より 1,213日目
                                     歩いた歩数      その距離 
                         本日         15,868歩        11,108m
                         総計  16,893,338歩  11,825,337m
  北京より西安・蘭州・西寧・酒泉・嘉峪関・玉門鎮を経て莫高窟に向かう。後 261,813m

                 玉 門 鎮 到 着

  中国では市の中に県があり、県の中に鎮があるのが当然だから、玉門鎮は玉門市の中にあるものと考えていたが、この常識は間違えであることが判った。

              
                                                              玉門鎮

  玉門市と玉門鎮は離れている。嘗て玉門関の守備隊が匈奴に襲われて撤退して皇帝の怒りをかい、水の豊かなオアシスに住みついたのが玉門鎮だという。玉門鎮には最近風力発電の施設が建設されているとの事。この位の知識しかない。

              

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   4月の下旬には飯山市消防団の出初式が行われるのが恒例だ。市中行進の後担当区域内では団員による華やかに梯子乗りが行われ、春のエネルギーを感じた。

              
                                               出初式 (ノーブル前)

 


聖火リレーに思う

2008-04-26 18:09:17 | Weblog

  4月26日  (土)  ②
                          平成17年1月1日より 1,212日目
                       歩いた歩数      その距離
                          本日           15,296歩       10,707m
                          総計   16,877,470歩  11,814,229m
  北京より西安・蘭州・西寧・張液・酒泉・嘉峪関を経て玉門鎮に向かう。後 5,921m

             

   朝からはらはらしながらテレビで長野を走る聖火リレーを見ていた。画面には北京オリンピックを応援する大勢の中国人とチベット問題に抗議する人たちで溢れ、警備の厳重さが目立ち、平和と友好というムードではなかった。

 聖火リレーが中国にとっては国威発揚の場、チベットにとっては人権問題を政界に訴える場となってしまったことは何としても残念至極だ。

 しかし聖火は堅い警備陣に守られて、周囲の喧騒に災いされることも無く、コースを変更したり停滞することも無く無事若里公園到着したことでほっとした。

  私は、ルートの途上、幾つかのトラブルも発生したが、善光寺の出発点の返上で警備上の難点が解消されたこと、リレー当日のチベットの犠牲者の追善供養を行って、逸るチベット支持者のガス抜きをしたこと、オリンピック支援の中国人とチベット支援の人たちの摩擦が日本の警備陣によって引き離されたこと、厳重な警備で見え難い聖火が先導する車の映像で、聖火を運ぶ走者の姿が鮮明に映し出されたことなど、幾多のアイデェアによってリレーが恙無く行われたことは評価されて良いと思う。