百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

田中知事ご苦労様

2006-08-31 18:57:31 | 政治

 8月31日  〔木〕  ①
           平成17年1月1日より608日目
                    歩いた歩数     其の距離
           本日     18,155歩       12,709m
                総計   8,690,868 歩   6,083,608 m
     武漢から九江・景徳鎮・黄山を経て南京を目指す。九江まで209,209m

  田中知事が2期の任期を満了して退任の日を迎えた。「ご苦労様でした。」と申し上げる。

  西沢・吉村と永い間に築かれた官僚体制をぶち壊して見事に新風をもたらした功績は何としても大きい。鬱積した県民の民意をエネルギーとして立ち上がって田中県政を築き上げたが、どうも勢い余ってアッチコッチと脱線して、「改革」がいつの間にか「独裁」となり、政策は県会との軋轢で実現されず、パフォーマンスのみが目立って、遂には良識有る県民から見放されてしまった。

 わたしは「田中台風」と称したい。「田中台風」は巨大な県民のエネルギーをもってさしも堅固な官僚体制の建物を難なく倒壊させが、台風だけあって「こわす」ことは上手だが「つくる」ことはダメで、淺川ダムやこども未来センター・廃棄物処理センターなどの大型事業を取りやめた。財政再建では同和対策事業の見直し・外郭団体の補助廃止・縮小など有効な手も打ったが、県職員の給与の削減で知事離れを招いたり、大型事業の中止で浮いた事業費で赤字改善をアピールした点などは褒められるものではない。

  台風の余波でいまも残っているものに、組織の改変でやたらに課や係りの名前がカタカナ文字や意味不明の外国語に切り替えたりしたことだ。困ったものだ。住民台帳のネット化では秘密裏にネットワーク進入実験を行ったり、住民票を県庁からはるか遠い泰阜村に移してみたり、個人の意向だけで山口村の越県合併を遅らせたり、果ては新党日本を結成して代表に就任したりと脱線も多く、次第に県民から見放されていった。田中台風も遂に低気圧になってしまった。わたしはホットしている。

 さあ、台風一過、青空の下、県民力を合わせて残骸を片付けてすっきりとして立ち上がろうではありませんか。

                    ★

  メダカが死んで一匹になってしまったと嘆いていたNさんに今年殖えた我が家のメダカを持って、N家を訪れた。驚いたことに家が新築されていた。

         
              荒船のNさんの家

        
               Nさんの家から見た飯山

  あの山の中に作っては「カタツムリ」じゃないからもう一生動くわけにはいかない。    おめでたいのか?気の毒というべきなのか?


                    

       


ススキの穂

2006-08-30 19:15:54 | Weblog

 8月30日  〔水〕  ②
           平成17年1月1日より607日目
                                  歩いた歩数      其の距離
           本日        16,701歩       11,691m
           総計   8,672,713 歩   6,070,899 m
     武漢から九江・景徳鎮・黄山を経て南京を目指す。九江まで221,918m

      

  「さくらが咲いたら春、すすきの穂が出たところで秋」これが盆栽の季節とわたしは今は亡き島田茂太先生から教えられた。日本は南北に長いし、標高差もあるので、暦通りに四季を決めて植物を扱ってはならない。その土地に見合う植物の成長に合わせて夫々に季節を決めてゆくことが大事、と教えられた。

 先生は国鉄の通信部の職員で、盆栽の流れである「栽景」にのめり込んで休暇を活用しては東京通いをした。やがて「教師」の資格をとり、国鉄を退職して長野市で「栽景教室」を開設した方で、生徒には国鉄の職員が沢山いた。

 妻が結核で若槻に入院してしまい、目標を失っていたわたしは心の隙間を埋めようと「栽景教室」に通い始めた。先生からは「根張り・こけ順・立ち上がり」「丸鉢の正面と盆栽の正面の一致を」などから「盆栽展への出展・鑑賞・発言の心得」「広さ・深さ・余韻」など盆栽を通して多くの人生訓を教えられた。処世に大きな教訓を得たありがたい先生である。

 時は流れて、今は栽景教室は無く、大きなビルが林立する大通りに変わってしまった。

     
           箒のある花壇

 


壺中天

2006-08-30 08:07:18 | Weblog

 8月29日  〔火〕  ②
                        平成17年1月1日より606日目
                                  歩いた歩数      其の距離
           本日        14,148歩         9,904m
           総計   8,656,012 歩   6,059,208 m
     武漢から九江・景徳鎮・黄山を経て南京を目指す。九江まで233,609m

  昨夜、クレージーキャッツの谷啓が骨董の紹介をしているテレビに驚いた。谷啓が紹介をしている場面で、床の間に飾られている掛軸に「壺中天」と書かれていた。その書は梁小六さんから貰った邯鄲の書家の筆跡そのものものだった。

 「壺中天」の物語は、むかし、中国に費長房という役人がいて、何気なく市場の窓から往来を眺めていると、一人の老人が薬を売っていた。老人は、店をしまうと、横に置いていた、壷の中にハッと入って見えなくなってしまった。費長房は仙人でなないかと思い、神秘なものを見せてもらおうと考えた。次の日の夕方、そこへ出かけていって、昨日壷の中に入って消えたところを見てしまったと告げた。是非とも今日は自分を一緒に壷の中へ連れていってくれないかと頼んだ。壷の中へ入って驚いたことには、パット天地が開けて、その中には美しい山水があり、金殿玉楼があって、美女たちから下にも置かない歓待を受けたという話である。

  このことから日常の生活の中に一つの別天地を持つことを「壷中の天」という。 終戦の詔勅に「万世の為、太平を開かんと欲す」と加筆されたという思想家安岡正篤先生の六中観に「死中、活有り。苦中、楽有り。忙中、閑有り。 壺中、天有り。意中、人有り。腹中、書有り。」の項がある。

 この「壺中の天」に

人間はどんな境遇にあろうとも、自分だけの壷中の天を創りえるものである。我々のまわりにも「えっ、この人にこんな趣味、奥床しい芸があったのか。」 という事がよくある。自分の別天地を持っている人は、いかなる逆境にあろうとも、救われる人である。スポ-ツ、音楽、文学、芸術、哲学、信念、信仰等を持つことによって、意に満たない俗生活から解放され、救われる。壺の中にも天があるとは、自分の現実生活のに別天地を持てという事である。自分だけの世界を持ち、深めていく努力、道すがらが尊いのである。苦難にあっても、心に余裕を持って生きていく時間、夢中に生きる時間が、「壷中に、天有り。」である。・・・

 わたしは早速アマゾンに "安岡正篤一日一言―心を養い、生を養う"と"論語に学ぶ"を注文した。   

     
        わたしはこんな自然石の墓が欲しかった。  

 




 

 

 


思い違い

2006-08-28 19:16:41 | Weblog

 8月28日  〔月〕 
           平成17年1月1日より605日目
                                   歩いた歩数   其の距離
           本日        13,770歩         9,639m
           総計   8,641,864 歩   6,049,305 m
     武漢から九江・景徳鎮・黄山を経て南京を目指す。九江まで243,512m

  午後、」市役所で「集落サロン」の(打ち合わせ会)に出席した。驚いたことは受付で現金が渡されたことである。先に送金先・口座名義人の申請書を社協に提出したばかりであるし、第一市役所から個人で現金など貰ったことはない。戸惑いながらも会場に入ると、席は名入れの記録日誌によって決められている。「集落サロン」というのは老人クラブが区民を集めて自由に会合を開いて高齢者の楽しみ会をする。そのとき、市からもらった助成金でお茶菓子などを出して接待する会だ。」と聞いていたので、こちらから区長さんに立候補の挨拶をして実現したものと理解していた。

  市の「地域包括支援センター」のT主任の説明によれば、集落サロンは区単位に世話人を中心にして高齢者が元気で地域を支え合うことを目的に、健康志向で増えつつある「看護保険」の支出を抑えようという意向で、老人クラブが主体で運営する事業ではない。差し上げた報酬は「世話人活動費」なので、受取人の所得になるので確定申告が必要です。活動に必要な消耗品は年間5千円までは支出しますが、茶菓子代は参加者から徴収してほしい、と。

  自分の思いと支援センターの説明の違いに驚くと共に、私にこの構想を説明してくれた先輩の思い違いにも驚いた。

 世話人を引き受けたからには、この目的に見合う仕事に心も新たに打ち込もうと思う。

       
             小佐原入り口に立つ庚申塔

  二月に一度巡ってくる庚申(かのえさる)の日に同志が集まって親睦を深めたと言われています。

 


第7回日中友好レットゴルフ大会

2006-08-27 19:19:00 | Weblog

 8月27日  (日)  ③
                        平成17年1月 1日より604 日目
                                   歩いた歩数     其の距離 
                        本日        16,080歩       11,256m
                        総計   8,628,094 歩   6,039,666 m
               武漢から九江・景徳鎮・黄山を経て南京を目指す。九江まで253,151m

  第7回日中友好マレットゴルフ大会が開催された。友好協会の大きな行事のひとつで中国から帰国された残留婦人・家族や中国から来られたお嫁さんたちとの交流だが、それに地元のゴルフ愛好家が加わっての友好競技だ。

       

  私は17番ホールからのオーナーとして出場したが、パートナーの深堀信夫さんが1位、文夫さんが5位に入賞してくれた。カウントが正確でゴマすりのなかったことが、なんとしても嬉しく楽しかった。

       

  大会の後は、会場を移して表彰式。そして恒例の「焼肉パーティー」となった。話が弾み、用意した飲み物はすべて飲みつくされてしまった。お開きになったときには日は沈み薄暗くなっていた。

      

  談たまたま市長候補に及んだが、あまり気の進まない人物の名前が出てきて驚いた。