百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

好奇心の衰えた人を老人と言う

2011-02-28 22:23:15 | 随想

   2月28  (月) 
          平成17年1月1日より 2,249日目
                  歩いた歩数        その距離
          本日      14,160歩      9,912m
          総計   31,790,778歩   22,253,559m

  イラン・トルコ、ギリシャを経てイタリアシシリー島のカタニアに向かう。後758,737m
 

 長野県長寿社会開発センター北信支部高齢者地域活動会議が飯山庁舎で開かれた。打ち合わせでは午前10:20に来庁されたいと決められていたので定刻に会場に行くと、会議は10:00から開催されていた。到着すると会議を中断して、私を紹介して登壇を促された。

 見渡せば、地方事務所長をはじめ、各市町村から健康福祉課長、社会福祉協議会からは各事務局長、各地区老人連合会長、各地区公民館長にシニア大学・地域いきいき実践塾修了生代表と錚々たる肩書きの名士がづらり。顔見知りも結構いる。

 自己紹介の後、各位に敬意を表し、年齢を問うた。私は最年長であることを述べて講演に入った。先ずアイホーンを掲げて「これをお持ちの方は居るか?何というものか?どんなことに使うものか?」と聞いたが答えは無かった。そこですっかり気軽になって昨夜の構想に従って講演をした。要旨を終わって内閣府からのアンケートに答えた内容を披露して講演を終了すると、地方事務所長が「好奇心の衰えた人を老人と言うと言われたことが身に沁みた。」と述べられた。

 講演を終わると、包み物と会議資料を貰って退場させられた。家に帰って資料を見ると、高齢者の地域活動の推進について エイジレス・ライフ実践者の発表「中国の人々のために熱き思いを胸に農民のともしびを目指してボランティア」という題名になっていて驚いた。そして手渡された包みには封筒に643円が入れてあり、洋菓子が包まれていた。主催者の意図が何処にあったのか見当もつかなかった。

 私が退場した後の会議は蜂の巣を突っついたような騒ぎになったろうと独りほくそ笑んだ。

 

 

 


明日の講演の構想は

2011-02-26 23:54:46 | 随想

   2月27  (日) 
          平成17年1月1日より 2,249日目
                  歩いた歩数        その距離
          本日      14,918歩      10,443m
          総計   31,776,638歩   22,243,647m
  イラン・トルコ、ギリシャを経てイタリアシシリー島のカタニアに向かう。後758,737m

 明日28日飯山庁舎で長寿社会開発センター北信支部の【高齢者の地域活動の推進】と言うことで「エイジレス・ライフ実践者」として意見発表をして欲しいと頼まれていた。構想が纏まらないまま、いよいよ迫って来たのでこんな風に纏めてみた。

 自己紹介の後、アイホーン4を示して、持っている者が居るか?名前は知ってるか?どんな機能があるか?と問いかけてアイホーンの多機能ケイタイの機能を紹介する。これを活用して大学入試でカンニングをした者も出た。ニュージーランドの大地震では引率の先生が、富山県の兄に知らせて数少ない救助に貢献もした。私は物好きでこのほかにも常時デジカメ・ラジオ・歩数計を持ち歩いてる。また区内の老人クラブ・末広会公民館の26パソコン同好会・吹き矢のチーム的・飯山市の日中友好協会・NPO日中友好日中友好育英基金。変わった所では滋賀県人会にも入っている。大変な物好きだ。

 私は誰からも「父ちゃん」と呼ばれているが、好奇心が旺盛だからだ。【好奇心の衰えた人を老人と言う】が高齢者は常にもっと好奇心を持ち続けて欲しい。これがいきいき人生の原動力だ。また、この携帯電話が、世界の独裁政権を打倒する最大の武器として役立っているが、将来の歴史家から、これが21世紀の最も強力な文明の利器と評価される時が来るのではないか、と語りかけたい。話題を変えて、昔同級生に作ってくれた背広の話をし、中国の日本語を勉強している学生たちにこの背広が着られるのは青年時代と同型だからだ。それは【歩いて世界一周】を休みなく継続して来たからだ。「やればできる」と上杉謙信の詩の精神を講演、女子学生からサイン攻めにあった話をする。

 結論として、拾年ごとの夢のある目標の設定。後期(光輝)高齢者の話。年金に対する新しい発想と、残り少ない人生を、健康に留意し、常にプラス思考で、世のためヒトノために尽くそうと話し、締め括ると決めた。

 


2・26事件を想う

2011-02-26 18:18:36 | 随想

  2月26日  (土) 
          平成17年1月1日より 2,248日目
                  歩いた歩数        その距離
          本日      15,675歩      10,973m
          総計   31,761,720歩   22,233,204m
  イラン・トルコ、ギリシャを経てイタリアシシリー島のカタニアに向かう。後769,180m

  昭和11年2月26日、私はその時西神田小学校の5年生だった。この朝、東京は珍しい大雪で登校したが、クラスの児童は少なく、不安げに話をしていた。「内閣総理大臣が殺された」と言うのだ。そして先生から休校を言い渡されて家に帰って来た記憶がある。

 家に帰ると、大渕菓子屋の兄さんが【近衛兵が土嚢を積み上げて宮城を守っている。見に行かないか】と誘われ竹橋へ行った。土嚢の上には機関銃が据え付けられていて、兵士に帰るよう怒鳴られた。殺気立って居た。夕方には駿河台の方にも軍隊がやって来て戦いが始まるかもしれないからコンクリートのビルの裏に隠れるような事も言われた。えらいことになったとは思ったが何か心は躍っていた。これが2・26事件の思い出だ。

 2.26事件を検索すると「反乱軍となった青年将校率いる近衛兵の行動を善とする見方と悪とする考え方が錯綜していて、当時軍部の皇道派と統制派の争いであるとか、新興財閥と三井三菱ら大財閥との闘争であるとか、いう議論もあって真相や正邪は未だ霧の中のようである。ただ言えるのは【皇道派の青年将校らがクーデターを起こして、当時の政治を司どっていた指導者や財閥を排除して天皇親政の理想国家を興す】ことを目指したが、逆に天皇から反乱軍と認定されて挫折し、処刑されたのが実情だ、と思うがどうだろう。

 先年、和歌山県のミカンの取引会議で偶々秋田県の市場の役員(専務級)にあった時、【私は2・26事件の時、近衛の新兵だった。非常呼集で武装して出兵したところ反乱軍とされ、事件後北満の僻地に転属させられて死に目に会った。中隊の大多数は帰らぬ人となった。」としみじみ述誡された。それにしても九死に一生を得て、よくも市場の重役にまでなったもんだと感心した覚えがある。

 

 


助けてもらってしまった

2011-02-25 18:17:06 | 随想

 2月25日  (金) のち
         平成17年1月1日より 2,247日目
                歩いた歩数     その距離
          本日      15,044歩        10,531m
          総計   31,746,045歩  22,222,232m
  イラン・トルコ、ギリシャを経てイタリアシシリー島のカタニアに向かう。後780,153m

  ニュージーランドのクライストチャーチ市を中心とする大規模地震で、富山外国語専門学校の生徒らが被災、日本の国際緊急援助隊の必死の捜索活動の中でも未だ28名の安否不明者が居る。

 その中で、瓦礫に挟まれた右足を切断して助けられた19歳の専門学生は「生きて居られるだけでイイ」とVサインを出して気丈に救助された喜びを語っていたが、もう一人の女性は「助けられてしまった」と語ったという。

 ビルの倒壊で一瞬にして奈落の底に突き落とされ、真っ暗な闇の中、身体の自由をきかず圧迫され締め付けられる苦痛、食べ物も飲む水さえない中、何時かきっと助けられると互いに励ましあって居た中で、幸運にも助け出された19歳の女性(黒田奈瑠美さん?)が最初に口から出た「助け出されてしまった」という言葉に驚かされた。

  「助けて頂いて感謝しています。救助隊のみなさま、ご心配を頂いたみなさまに心からお礼を申し上げます」というのがお礼の言葉だが、「助け出されてしまった」という言葉が出たということは、【苦しんでいる仲間を置いて、自分だけが助けられてしまった、心苦しい。恥ずかしい。大勢の仲間と一緒で助けて欲しかった。何人か助け出された後であればなお良かったのだが…】と感じたからの言葉ではなかったかと思う。

 「今時の若者は・・・」とよく批判する声を聞くが、自分の幸せを喜ぶ前に、仲間を心配するこの気持ち、心がけに拍手を贈りたい。ありがとう!

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            お ら ほ の 方 言   NO.61 

       

               来週になればお雛様。私の家は男ばかりで女の子が居ないから
      お雛様は無いが、御婆ちゃんは寂しいと言って、お内裏様とお姫
               さまだけ買って来て毎年眺めていたが、今年は飾る元気もない   
              ようだ。女房は毎年、中野の土びなに「行こう!行こう!」と言って
               る。 春だなぁ~   ”ポカ ポカ”

     

                                                                                                                                                                                          


祝寿

2011-02-24 06:50:04 | 随想

2月24日  (木) 
        平成17年1月1日より 2,246日目
                歩いた歩数         その距離
        本日       16,116歩       11,281m
          総計   31,731,001歩  22,211,701m
  イラン・トルコ、ギリシャを経てイタリアシシリー島のカタニアに向かう。後790,683m  

        
              肖さんから送られてきた歓迎宴の写真

  昨日、中国の【承徳市対外友好協会】の肖振嶺さんから私の誕生日を祝って4通ものメールが届けられた。【お誕生日おめでとう】の言葉に一昨年訪中した時の盛大な歓迎宴の写真やバースディケーキなども添えられていた。そしてまた私のブログ「86歳になりました」を読んだ石家荘市の邢春さんからもコメントを頂いた。

          Unknown (邢春)

2011-02-23 22:30:52
祝诞生日愉快,身体健康,万事如意。

 このお二人とは第一回飯山市友好訪中団で訪中した時に通訳をして頂いて以来の老朋友だからもう二十数年になる。わたしの誕生日を覚えていてメールやコメントを送ってくれるなんて嬉しいことだ。これも情報社会になってインターネットで世界中と交信できる世の中になったからだが有り難い限りだ。

 それに、ガリバーから宅急便で【私の名入れのカレンダー】を作って贈ってくれた。贈呈先の名入れのカレンダーを貰うことはあるが、わざわざ私の名前を入れた特製のカレンダーには頭が下がった。ガリバーは全国にネットを持つ自動車販売の会社だが、昨年の秋、わたしはこのガリバーからインターネットで乗用車を購入した。これで終わったと思って居たが、私の誕生日の日に私の名入れのカレンダーを作って贈って呉れるなんてこんな嬉しいしことは無い。これもインターネットの取り持つ縁からだ。それにしてもここまでしての情報提供によるサービス精神には頭が下がる。

       
               ガリバーから送られてきた【名入れカレンダー】

 21世紀の最大の進化の一つに情報社会の進化が入るのではないだろうか。スマートフォンの多機能の素晴らしさもあるが、ケイタイの普及によって一人の学生が政府の政策に抗議して焼身自殺をしたことを契機に、民衆が立ち上がり遂にチュニジアの大統領を国外逃亡に追いやるという成果を上げた。しかも武力を使わないデモでだ。これが口火となってエジプトに飛び火し、30年続いた独裁政権を倒し、さらにアフリカやアラビア中近東にまで拡大し全世界の独裁政権打倒の勢いさえ見せている。

 私たちは情報システムの進歩のお蔭で幸せな楽しい生活をエンジョイしているが、独裁政権の中で圧迫されてきた国家の民衆が立ち上がって変革を求めている混乱は大変な事態だ。平穏な裡に一日も早く平和な日常生活に戻ることを望んで支援の声を挙げて行こう。