11月3日 (月)
平成17年1月1日より 1,403日目
歩いた歩数 その距離
本日 15,437歩 10,806m
総計 19,605,307歩 13,723,715m
北京より西安・蘭州・西寧・酒泉・嘉峪関・敦煌・哈蜜・吐魯番・ウルムチ・コルラを経てクチャ(庫車)に向かう。後 10,435m
今日は文化の日、飯山は恵比寿講の日だ。今年も賑わった。今年は特に賑わった。そこで飯山の恵比寿講を振り返って見た。
○ 文化の日は嘗て「明治節」と言われていた。そして戦前は明治節には雨は降らないと言われていたし、事実降らなかったように思う。それが戦後は「文化の日」と呼ばれるようになって、雨の降る日もあるし、雪の舞う寒い日もあるようになってしまった。残念!
○飯山の恵比寿講が一番早い恵比寿講ではないだろうか。恵比寿講は秋上げが終わって近在の農家の懐具合も良くなり、雪を前に町へ冬越しの準備に出かけて来る。それに合せて町の商店は恵比寿講の大売出しをしたもんだ。今は雪が降っても交通の支障は無いし、毎日のように大安売りのチラシが入るし、生活も向上して豊かな暮らしに特に恵比寿講に買い物をする必要が無くなってしまったようだ。消費者にも業者にも恵比寿講の魅力は薄れて来たのではないか。
○ 恵比寿講が終わると、各地で「りんごのもぎ取り」が始まる。飯山は雪が早いので3日、中野は15日、長野は23日。どうも昔から恵比寿講が晩生のりんごの収穫の目安のようだ。
○ 恵比寿講が復興したのはJA北信濃みゆきが大合併し、組織力が大きくなった事と恵比寿講対応の企画方針が当たったからだと思う。JAが飯山の北隅に進出してきたときには恵比寿講の前に大売出しをして恵比寿講を牽制する行動をとってきたが、今は恵比寿講を盛り立てる為の各種のイベントを企画し積極的に参加意欲を盛り上げている。
○ 私は嘗て魚沼地方に果実の卸売りをしていた。そこで長野県の恵比寿講と魚沼の恵比寿講にはまったく相反する考えのあることを知った。ある小出の商人は「恵比寿講は日頃店の発展のために活躍している店員に感謝するため、恵比寿講には閉店をして、地域の店員が公会堂に集まって慰労会をやってもらうのだ。」と聞いて信州の恵比寿講を機会に金儲けをするという好意に恥じ入った。今、日頃の贔屓に感謝するため地域へのサービスと地域の前進・友好の方向に向かっていることは頼もしいし、嬉しいことだ。
※ 私はウォーキングで恵比寿講に沸く市内を歩いて、西上町で呼び止められお神酒を頂いた。商店街の皆さんと交流して楽しいひと時を過ごし、そのエレルギーで元気に歩くことが出来た。イイ恵比寿講となった。