百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

自分史の取組は

2011-11-10 17:34:38 | 自分史

  11月10日(木) 平成17年1月1日より 2,514日目
              歩いた歩数          その距離
本日      1 4,329歩        10,030m
総計 35,038,502歩  24,526,951
 墺・伊国境ブレンナー峠を越えてミュンヘンに向かう。後151,463m

 自分史に取り組み始めて半月近く、骨組みを組んできたが、やっと昭和30年になった。記憶を辿りながらやって来たが、食うに困って始めた八百屋稼業も行商から三輪車買って上越方面へのリンゴの振り売り,魚沼地方への卸しを経て、荷造場を造ってリンゴの旅出し、損得の繰り返しから市場経営に踏み切った15年程は、無我夢中で働いた。

 働いたというより博打稼業が面白くて、東奔西走、関東平野の青果市場から山梨県・新潟県・富山県石川県と飛び歩き、昼も夜も無く車を走らせた。滅茶苦茶な人生だったが、今となっては取引した名刺が残るばかりで、何歳の時に何をしたかの記録が無いのには参った。

 八百屋の手引きをしてくれた宮崎さんも今年亡くなってしまったし、沢山有った飯山には3軒きりになってしまい、それも代が代わって話は通じない。そこで旧宅を貸すことになったので、整理のイイチャンスを利用して探して見た。

 しかし、出て来るものは、市場を立ち挙げてからの資料ばかりで、人生で最も騒いだ25年~40年の間の面白い場面の証拠になる物は見つからない。出て来たのは今のところ、名刺帳と「私のデータ」の2冊だけ。

 名刺帳はどうやら年代順に貼られているようだし、「私のデータ」の中には、【自分史】の項があった。このほか写真はあちこちからで出て来た。日付は無いがこれを参考に骨組みを作って行こうと思う。

自分史の冒頭にこんなことが書いてあった。

1992年1月2日、いよいよ自分史に取り組むことにした。自分の来し方を振り返って見るとき、小学校へ入学した時に満州事変が始まり、高等小学校に変わった時には支那事変が勃発し、終戦の年には成人となり、終戦によって民主国家として方向転換した時は思ってもみなかった八百屋稼業に迷い込み、東京オリンピックの時には青果市場を経営し、昭和の繁栄と機を一にするように合併を繰り返しながらその規模を拡大して来た。そして昭和天皇崩御の時には、自分も人生の第一幕を引く決意をするときとなった。

 今から20年前にも【自分史】を書こうなんて思ったこともあったんだなぁと振り返った。


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