75年前 飛行機と電車の連携という試みがあった。
1937(昭和12)年6月 当時の琴平電鉄は日本航空輸送研究所(大阪府堺市)と提携して 空陸連絡こんぴら参り切符を販売した。
堺 ~ 琴平間(高松経由) 12円
高松市林町に旧空港ができたのは大戦中の1944年で 当時の高松には空港がなかった。
いったいどこに降りたのか?
飛行機はすべて水上飛行機で高松西浜港に発着場があった。
週1回の定期便で19人乗りの大型飛行艇もあり 大正終わりから開戦前まで15年ほど運行した。
1937(昭和12)年6月 当時の琴平電鉄は日本航空輸送研究所(大阪府堺市)と提携して 空陸連絡こんぴら参り切符を販売した。
堺 ~ 琴平間(高松経由) 12円
高松市林町に旧空港ができたのは大戦中の1944年で 当時の高松には空港がなかった。
いったいどこに降りたのか?
飛行機はすべて水上飛行機で高松西浜港に発着場があった。
週1回の定期便で19人乗りの大型飛行艇もあり 大正終わりから開戦前まで15年ほど運行した。