先程、DIVIS JABOTABEKに勤務する友人から、Depok新車両基地に留置されている車両の写真を送っていただきました。また、後日、Bogor、Depok、Bukit Duri、Balai Yasaなどの車両基地所属の運用表を頂けるかもしれませんので、公開できるようでしたら公開したいと思います。
ちょっと青梅線の古い話題でもということで、昭和57年頃に撮影しました写真を掲載します。青梅・五日市線では新性能化は101系ではなく103系により行われ、101系の方が影が薄いですが、特別快速「おくたま、みたけ、あきがわ号」にはこの当時101系が充当されておりました。この写真の場所は桜で有名な古里~鳩ノ巣のカーブで撮影したもので、撮影されている方がこの場所に大勢おりました。不幸にも私の連れがこの場所で電車を止めてしまい、運転士にこっぴどく怒られていました。周りから白い目で見られ、堪らず怒られた連れといっしょにここをすぐに離れました。ちなみに私は電車を止めたことがありません。(自慢することではないですが)
先日の続きで浜川崎線の思い出も少々述べたいと思います。尻手と浜川崎を結ぶ通称浜川崎では、昭和55年11月までクハ16+クモハ11の17m車旧型国電が活躍しておりました。昭和51年4月1日現在の中原電車区からの編成表を見ると4本分在籍しておりました。編成は以下のとおりです。(左の番号は編成番号で、実際に札を付けて使用されるものではありません)
20 クハ16007 クモハ11270
21 クハ16215 クモハ11244
22 クハ16211 クモハ11248
23 クハ16003 クモハ11222
思い出としては鶴見線の73系に乗りに行く時に、何回かこの旧国に乗車しましたが、朝5時頃に武蔵中原発浜川崎行きが昭和50年過ぎあたりまで設定されていたため、当時私は小学生でしたがどうしても乗車したくて、朝早く起きて鹿島田から尻手まで乗車しました。たしかこの数分前に川崎行きがあったため、乗客はほとんどいなかったと思います。尻手駅の1番線に到着するとゆっくりと浜川崎を目指し、静かに去っていったと思います。また、浜川崎線の下り最終列車は尻手到着後、中原電車区まで回送扱いとなっておりました。私はダイヤ改正のたびに、この武蔵中原発浜川崎行きがなくなるのではと危惧しておりましたが、新しい時刻表を見て浜川崎行きの表示がなくなってしまった時は、とてもショックであったことを覚えております。将来的に復活されることを望みますが、おそらく復活は難しいでしょうか。
この他、本線用の附属編成として使用されることがあったり、極稀に本線の基本編成で使用されていたかと思われます。(73系の晩年の頃見たような記憶があるのですが、記憶違いだっったら申し訳ありません)
20 クハ16007 クモハ11270
21 クハ16215 クモハ11244
22 クハ16211 クモハ11248
23 クハ16003 クモハ11222
思い出としては鶴見線の73系に乗りに行く時に、何回かこの旧国に乗車しましたが、朝5時頃に武蔵中原発浜川崎行きが昭和50年過ぎあたりまで設定されていたため、当時私は小学生でしたがどうしても乗車したくて、朝早く起きて鹿島田から尻手まで乗車しました。たしかこの数分前に川崎行きがあったため、乗客はほとんどいなかったと思います。尻手駅の1番線に到着するとゆっくりと浜川崎を目指し、静かに去っていったと思います。また、浜川崎線の下り最終列車は尻手到着後、中原電車区まで回送扱いとなっておりました。私はダイヤ改正のたびに、この武蔵中原発浜川崎行きがなくなるのではと危惧しておりましたが、新しい時刻表を見て浜川崎行きの表示がなくなってしまった時は、とてもショックであったことを覚えております。将来的に復活されることを望みますが、おそらく復活は難しいでしょうか。
この他、本線用の附属編成として使用されることがあったり、極稀に本線の基本編成で使用されていたかと思われます。(73系の晩年の頃見たような記憶があるのですが、記憶違いだっったら申し訳ありません)