菅首相退陣は6月中、との認識?…鳩山前首相
読売新聞 6月2日(木)16時54分配信
鳩山前首相は内閣不信任決議案否決後、国会内で「2次補正予算に関しては、6月いっぱいくらいに中身が決まる。すなわちメドが立つというような状況が出てくるのではないか」と述べ、菅首相の退陣時期は6月中の見方を示した。
============
民主党茶番 菅噴飯 退陣表明
【政治・経済】
2011年6月2日 『日刊ゲンダイ』掲載
造反議員拡大と鳩山前首相の説得でついに観念
「震災対応に一定のメドがついた段階で、若い世代の皆さんに責任を引き継いでいただきたい」
不信任案可決が決定的とみられていた菅首相は2日午後、採決直前に開かれた代議士会で唐突に退陣の意向を表明した。
メドとはいつのことなのか。とりあえず、不信任案可決を回避するための口先退陣表明ではないか。
こうした疑問、懸念が浮かぶが、代議士会では菅の後に鳩山前首相が発言。菅の退陣表明を評価し、不信任案の採決では「一致して行動してほしい」と訴えた。
鳩山は小沢一郎元代表とともに不信任案に賛成することを明言。これが決定的となり、造反議員が拡大した。この日の朝まで不信任案の可決は確実視され、民主党の大分裂は不可避とみられたが、土壇場で菅が退陣表明し、鳩山もとりあえず矛を収めたことで、分裂は回避されることになった。
鳩山は「先ほどの菅総理のご挨拶は重大な決意と理解している。こちらに参るまで菅総理と官邸で30分ほど話をした。復興に国を挙げて努力しなければならない。そのようなときに停滞は許されない。一定の仕事を果たされた暁に、身を捨てていただきたい、職を辞していただきたい、とお願い申し上げた」と語り、自分が菅に鈴をつけたことをアピールした。「メド」については復興基本法案の成立や第2次補正予算の道筋がついた段階で合意していることを示唆した。退陣時期は6~8月と言う関係者もいるが、不透明だ。
一方、朝から国会近くのホテルに40人以上が集まり、不信任案可決に向けて電話作戦を続けていた小沢グループも菅の退陣表明を受けて、不信任案には一致して否決する方針を決めた。小沢元代表は「今までなかった発言を引き出したのだから自主的判断でいい」と語った。
これに対し、自民党は「これは茶番だ。一体いつ一定のメドがつくのか何も言及していない」(谷垣総裁)と批判を強めている。大島理森副総裁も「しぶしぶ、進退に言及し、臆面もない方針転換をする。コロコロ変わるのは菅総理そのもの。今すぐお辞めなさいよ、信念なきご都合主義だ」と切り捨てた。
公明党の山口代表も「不信任案を否決に導くために、このような不確定なことを言うのはまったくの茶番だ」と批判した。
●不信任案は152対293で否決
菅はいつ辞めるのか、よく分からないまま始まった不信任案の採決は自民、公明、たちあがれ日本、みんなの党が賛成。民主党は反対し、社民党と共産党は棄権した。賛成152票、反対293票で、不信任案は否決された。民主党の中では小沢が欠席、田中真紀子は棄権、松木謙公前農水政務官が賛成票を投じた。
民主党はとりあえず、分裂を回避したが、この後、野党が参院で問責決議案を出すのは必至。政局の混乱は不可避で、原発、震災対応も遅れる。スッカラ菅を何カ月間も続けさせることにどういう意味があるのか。分裂回避のためとはいえ、あまりに場当たり的でスッキリしない結末となった。
●党内情勢が読めず、大量造反に気づいたときには手遅れだった
「内閣不信任案」をめぐる政治情勢が二転三転したウラで何が起きていたのか。
菅首相が「辞意」を固めざるを得なくなったのは、6月1日の夕方からだ。それまで菅や岡田執行部は、「造反の動きは広がらない」とみて、「除名」の脅しで逃げ切れると踏んでいた。
ところが、「造反」を表明する民主党議員が一気に表面化。1日夜の小沢グループの会合には、71人の衆院議員と6人の代理人が駆けつけた。副大臣3人と政務官2人も首相に辞表を叩きつけ、不信任案への「賛成」を表明。大量の造反者が出るのは確実になったのだ。
「民主党内の『倒閣ムード』に勢いをつけたのは、党の創設者である鳩山前首相や顔が知れた原口前総務相まで不信任案賛成に回ったことです。原口前大臣は、前日まで不信任案には反対すると表明していただけに、インパクトは大きかった。鳩山前首相が動けば、鳩山グループへの影響も大きい。倒閣は、小沢氏の私闘ではなくなった。それが大きかった」(民主党関係者)
中間派の若手議員がこう言う。
「もともと、民主党内は『菅さんが自発的に辞めてくれればいいのに』という議員が9割近くです。首相に対する不満が渦巻いていた。本気で支えようという議員はほとんどいない。それなのに、執行部は党内融和をはかるそぶりも見せず、『造反したら除名だ』と露骨に締めつけた。以前の小沢さんの政治手法を独裁的と批判してきたのに、言うこととやることが全然違った。あれが完全に逆効果でした。とくに5月31日菅首相と2時間話し合った鳩山さんは、菅首相が最後まで自分の非を認めず、政権にしがみつく態度だったのを見て、これはダメだと判断したようです」
そうやって、菅降ろしの造反がどんどん広がったのだ。
============
*管はタルトコには「若手」の一言をチラつかせてこれを簡単に釣り上げ、鳩山には「党を割らない」「自民には政権は渡さない」云々と、その相手が一番気にしていることを口頭の口約束だけで提示して歓心を得るという術策(マヌーバ)を大の得意としている。
こういう詐術をどこで覚えて来たのかと思うが、市川学校でそんなことを教える筈はないから、それ以前の全共闘時代か政界入りしてからということになるが、かつての管の同志で今は野宿をしている某氏の証言によれば、管はあるとき(←市川房江がメディアの脚光を浴びたときである)いつの間にかカメラの真ん前にするするとしゃしゃり出て来たので「ああ、管さん、やる気だな」と思ったと言うのである。この証言に嘘がなければ、管は学生時代から術策で政敵を陥れ自分だけが目立ちたがる性情の持ち主だったということになる。管のこの悪党ぶりは今に始まったことではないのである。
私はなぜ岡田がこれほどまで管に忠誠を誓うのか、その意味が今一つ明瞭でなかったが、そういう管であってみれば、その理由もわかる。岡田は既に管に釣り上げられているのである。「自分の後継は君だ♪」とか何とか、口約束だけの甘言で岡田はすっかりその気になっているとしか考えられないではないか。
国民を騙し続けて平然としていられる管にとっては鳩山だのタルトコだのに「一服盛る」のは朝飯前のことである。一服盛られてもまだそれに気づかない民主党員がいるとしたら、そいつらは次の選挙で全員落選させるべきだし、それでなくても民主には逆風が吹き荒れている現況を見れば事実落選するだろう。
*私期待の原口も甘かった。彼らは党内では議決権のある公的機関「両院議員総会」開催を要求していた筈だが、それがいつの間にか単なる茶飲み話の場・「代議士会」(衆院のみ)に摩り替えられても通してしまった。
============
*管一派に絶望ばかりもしていられないので、不信任案が否決されて一つだけ良かったことを挙げておくと、解散総選挙が実施されなかったことである。
普通の政治家だったなら、被災地のそれも避難場所における総選挙などあり得ない話だが、管ではこれをやりかねないからである。
管を筆頭に、大本営発表の枝野といい、アホ丸出しの安住といい、売国奴岡田といい、最早奴らは「国賊」の名に値すると言っていいと私は思う。
============
*「被災地を政争の具に使うな!」などとメディアはまたしても「正義の味方」面して大音声で叫んでいるが、果たしてそうか?
我々は総じて忘れっぽい民族なので困るのだが、最初に被災地を政争の具に使ったのは管なのである。3/11前の政治状況を我々は思い出すべきである。
選挙をやれば連戦連敗、「負ける」ことが出来るだけまだマシで、候補者すら立てられない選挙区はどれだけあったか。震災を見舞われた直後、私は不謹慎にも「これで管だけはホッとしただろう」というような意味のことを言ったが、今回の騒動で、今もその思いを強くしているくらいである。
「これで《管降ろし》どころではなくなった!」と管は思ったに違いない。笑みさえ浮かべていた可能性もある。それが福島へヘリを飛ばして自分だけが目立つという「はしゃぎぶり」に直結しているのである。震災を政争の具に使っているのは自公では断じてない。
*あとメディアは「被災者の声」などとさも得意げに報道するのだが、これは政治関連では意味のないことである。「被災地だから不偏不党」などということはあり得ない。被災者の中にはA党支持者もいればB党支持者もいるのであるから、報道はそういう「特別扱い」はしてはならないのである。
============
cf.分家ヤースケ伝
============
読売新聞 6月2日(木)16時54分配信
鳩山前首相は内閣不信任決議案否決後、国会内で「2次補正予算に関しては、6月いっぱいくらいに中身が決まる。すなわちメドが立つというような状況が出てくるのではないか」と述べ、菅首相の退陣時期は6月中の見方を示した。
============
民主党茶番 菅噴飯 退陣表明
【政治・経済】
2011年6月2日 『日刊ゲンダイ』掲載
造反議員拡大と鳩山前首相の説得でついに観念
「震災対応に一定のメドがついた段階で、若い世代の皆さんに責任を引き継いでいただきたい」
不信任案可決が決定的とみられていた菅首相は2日午後、採決直前に開かれた代議士会で唐突に退陣の意向を表明した。
メドとはいつのことなのか。とりあえず、不信任案可決を回避するための口先退陣表明ではないか。
こうした疑問、懸念が浮かぶが、代議士会では菅の後に鳩山前首相が発言。菅の退陣表明を評価し、不信任案の採決では「一致して行動してほしい」と訴えた。
鳩山は小沢一郎元代表とともに不信任案に賛成することを明言。これが決定的となり、造反議員が拡大した。この日の朝まで不信任案の可決は確実視され、民主党の大分裂は不可避とみられたが、土壇場で菅が退陣表明し、鳩山もとりあえず矛を収めたことで、分裂は回避されることになった。
鳩山は「先ほどの菅総理のご挨拶は重大な決意と理解している。こちらに参るまで菅総理と官邸で30分ほど話をした。復興に国を挙げて努力しなければならない。そのようなときに停滞は許されない。一定の仕事を果たされた暁に、身を捨てていただきたい、職を辞していただきたい、とお願い申し上げた」と語り、自分が菅に鈴をつけたことをアピールした。「メド」については復興基本法案の成立や第2次補正予算の道筋がついた段階で合意していることを示唆した。退陣時期は6~8月と言う関係者もいるが、不透明だ。
一方、朝から国会近くのホテルに40人以上が集まり、不信任案可決に向けて電話作戦を続けていた小沢グループも菅の退陣表明を受けて、不信任案には一致して否決する方針を決めた。小沢元代表は「今までなかった発言を引き出したのだから自主的判断でいい」と語った。
これに対し、自民党は「これは茶番だ。一体いつ一定のメドがつくのか何も言及していない」(谷垣総裁)と批判を強めている。大島理森副総裁も「しぶしぶ、進退に言及し、臆面もない方針転換をする。コロコロ変わるのは菅総理そのもの。今すぐお辞めなさいよ、信念なきご都合主義だ」と切り捨てた。
公明党の山口代表も「不信任案を否決に導くために、このような不確定なことを言うのはまったくの茶番だ」と批判した。
●不信任案は152対293で否決
菅はいつ辞めるのか、よく分からないまま始まった不信任案の採決は自民、公明、たちあがれ日本、みんなの党が賛成。民主党は反対し、社民党と共産党は棄権した。賛成152票、反対293票で、不信任案は否決された。民主党の中では小沢が欠席、田中真紀子は棄権、松木謙公前農水政務官が賛成票を投じた。
民主党はとりあえず、分裂を回避したが、この後、野党が参院で問責決議案を出すのは必至。政局の混乱は不可避で、原発、震災対応も遅れる。スッカラ菅を何カ月間も続けさせることにどういう意味があるのか。分裂回避のためとはいえ、あまりに場当たり的でスッキリしない結末となった。
●党内情勢が読めず、大量造反に気づいたときには手遅れだった
「内閣不信任案」をめぐる政治情勢が二転三転したウラで何が起きていたのか。
菅首相が「辞意」を固めざるを得なくなったのは、6月1日の夕方からだ。それまで菅や岡田執行部は、「造反の動きは広がらない」とみて、「除名」の脅しで逃げ切れると踏んでいた。
ところが、「造反」を表明する民主党議員が一気に表面化。1日夜の小沢グループの会合には、71人の衆院議員と6人の代理人が駆けつけた。副大臣3人と政務官2人も首相に辞表を叩きつけ、不信任案への「賛成」を表明。大量の造反者が出るのは確実になったのだ。
「民主党内の『倒閣ムード』に勢いをつけたのは、党の創設者である鳩山前首相や顔が知れた原口前総務相まで不信任案賛成に回ったことです。原口前大臣は、前日まで不信任案には反対すると表明していただけに、インパクトは大きかった。鳩山前首相が動けば、鳩山グループへの影響も大きい。倒閣は、小沢氏の私闘ではなくなった。それが大きかった」(民主党関係者)
中間派の若手議員がこう言う。
「もともと、民主党内は『菅さんが自発的に辞めてくれればいいのに』という議員が9割近くです。首相に対する不満が渦巻いていた。本気で支えようという議員はほとんどいない。それなのに、執行部は党内融和をはかるそぶりも見せず、『造反したら除名だ』と露骨に締めつけた。以前の小沢さんの政治手法を独裁的と批判してきたのに、言うこととやることが全然違った。あれが完全に逆効果でした。とくに5月31日菅首相と2時間話し合った鳩山さんは、菅首相が最後まで自分の非を認めず、政権にしがみつく態度だったのを見て、これはダメだと判断したようです」
そうやって、菅降ろしの造反がどんどん広がったのだ。
============
*管はタルトコには「若手」の一言をチラつかせてこれを簡単に釣り上げ、鳩山には「党を割らない」「自民には政権は渡さない」云々と、その相手が一番気にしていることを口頭の口約束だけで提示して歓心を得るという術策(マヌーバ)を大の得意としている。
こういう詐術をどこで覚えて来たのかと思うが、市川学校でそんなことを教える筈はないから、それ以前の全共闘時代か政界入りしてからということになるが、かつての管の同志で今は野宿をしている某氏の証言によれば、管はあるとき(←市川房江がメディアの脚光を浴びたときである)いつの間にかカメラの真ん前にするするとしゃしゃり出て来たので「ああ、管さん、やる気だな」と思ったと言うのである。この証言に嘘がなければ、管は学生時代から術策で政敵を陥れ自分だけが目立ちたがる性情の持ち主だったということになる。管のこの悪党ぶりは今に始まったことではないのである。
私はなぜ岡田がこれほどまで管に忠誠を誓うのか、その意味が今一つ明瞭でなかったが、そういう管であってみれば、その理由もわかる。岡田は既に管に釣り上げられているのである。「自分の後継は君だ♪」とか何とか、口約束だけの甘言で岡田はすっかりその気になっているとしか考えられないではないか。
国民を騙し続けて平然としていられる管にとっては鳩山だのタルトコだのに「一服盛る」のは朝飯前のことである。一服盛られてもまだそれに気づかない民主党員がいるとしたら、そいつらは次の選挙で全員落選させるべきだし、それでなくても民主には逆風が吹き荒れている現況を見れば事実落選するだろう。
*私期待の原口も甘かった。彼らは党内では議決権のある公的機関「両院議員総会」開催を要求していた筈だが、それがいつの間にか単なる茶飲み話の場・「代議士会」(衆院のみ)に摩り替えられても通してしまった。
============
*管一派に絶望ばかりもしていられないので、不信任案が否決されて一つだけ良かったことを挙げておくと、解散総選挙が実施されなかったことである。
普通の政治家だったなら、被災地のそれも避難場所における総選挙などあり得ない話だが、管ではこれをやりかねないからである。
管を筆頭に、大本営発表の枝野といい、アホ丸出しの安住といい、売国奴岡田といい、最早奴らは「国賊」の名に値すると言っていいと私は思う。
============
*「被災地を政争の具に使うな!」などとメディアはまたしても「正義の味方」面して大音声で叫んでいるが、果たしてそうか?
我々は総じて忘れっぽい民族なので困るのだが、最初に被災地を政争の具に使ったのは管なのである。3/11前の政治状況を我々は思い出すべきである。
選挙をやれば連戦連敗、「負ける」ことが出来るだけまだマシで、候補者すら立てられない選挙区はどれだけあったか。震災を見舞われた直後、私は不謹慎にも「これで管だけはホッとしただろう」というような意味のことを言ったが、今回の騒動で、今もその思いを強くしているくらいである。
「これで《管降ろし》どころではなくなった!」と管は思ったに違いない。笑みさえ浮かべていた可能性もある。それが福島へヘリを飛ばして自分だけが目立つという「はしゃぎぶり」に直結しているのである。震災を政争の具に使っているのは自公では断じてない。
*あとメディアは「被災者の声」などとさも得意げに報道するのだが、これは政治関連では意味のないことである。「被災地だから不偏不党」などということはあり得ない。被災者の中にはA党支持者もいればB党支持者もいるのであるから、報道はそういう「特別扱い」はしてはならないのである。
============
cf.分家ヤースケ伝
============