国会デモは終わりTV各局は何事も無かったかのようにお馬鹿さん番組に舞い戻った。
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『日刊ゲンダイ』はこのところ次回選挙での自公両党の惨敗予測を連載しているが、両党同時の大敗北が望ましいのは当然ながらその公算・可能性が必ずしも高くはないと仮定したなら、ではどちらが先に敗北するかと言えば「綻びは弱い環から崩れる」という原則に照らせば先に負けるのは公明党である。
創価学会票の大幅な離反を招いた公明は無事では済まされない。結果公明の惨敗で一旦は自民が助かる可能性はある。三色旗を掲げて国会デモに参加した学会員たちの票は野党5党のいずれかに流れると考えるのが自然だが、それが5党間の票の取り合いになって仕舞うと、自民を利するだけで終わる。それで野党は今から《候補者の調整と統一》に動いている。これが功を奏し自公両党も負けじと統一を図るということになれば、擬似的ではあるが選挙戦は《拮抗する二大政党の闘い》に転換するかも知れない。
「それがどうした?」と問われても別段どうもしないのだが、ただ次の参院選と加えて次の衆院選の結果に拠っては、一気に政権交代に突き進むかも知れないのだから、この国もまだまだ見捨てたものではないかも知れないのだ。
というわけで自公暴走の参院本会議はどうなるか、そして今後国会デモはどうなるのかである。国会デモには右翼系の馬鹿オヤジ達も数人邪魔しに来た。デモ隊からは「帰れ!帰れ!」の罵声が飛んだ。両派の衝突を恐れた警視庁機動隊は堪らずアホな安倍派の右翼を排除した。
衆院でも内閣不信任案が提出された。これが出されると全ての審議が停まるから弱小野党にとっては最終最後の抵抗手段である。因みに内閣不信任案というのは参議院からは出すことが出来ない。自分たちが選んでいるわけではないから提出可能なのは問責決議案までである。
☆これでアホで不細工な国会山の手続きは一応全て終了する。民主党などは「これは民主主義ではない。単なる多数決主義だ」などと言っているがこんなのは同義反復の戯れ言でしかない。民主主義イコール多数決主義だからだ。自公に多数を与えた。それが全てではないか。
我々の与えた300議席を悉く溝に捨てた民主党の言うことではない!
《立憲主義》というものも怪しい限りだ。戦後70年、日本国憲法は既に手遅れなほど瀕死の重傷を負っており、それは自民党の手に拠って何度にも亘っていたぶられ続けて来たからだ。それに手を貸して来たのが旧社会党などの野党勢力である。その末裔が現在の弱小野党諸派である。ここに《諸派》と言っても民主・共産・社民より「左」の勢力は一つも存在しない。あるのは「自民党の右足」如き勢力ばかりだ。(注釈:分裂した維新は東京派は民主の右足、大阪派は安倍の尻の穴に割れたとしか言いようがない。)
《世界の自由と民主主義の守護神》であるかの如く標榜し振舞っているアメリカだが、この《世界の憲兵》にやむなく追従した諸国が今どういう状態にあるか、少しは考えてみた方がいい。辛うじて相対的独自性を保っているEU諸国連合を除けば、「これが民主主義国家かよ?!」と思わず問い返したくなる国々ばかりではないか!?
安倍はそれでいいと言っている。米国の属国で構わないと言っているのである。
「自衛隊の諸君、アメリカンの手先となり代役となって海外で殺されて来い、殺して来い」と言っているのである。
☆「安倍は権力をハイジャックしクーデターを起こした」(民主党:辻元清美)との指摘が正しいとするなら山本太郎が御焼香を上げた相手は自民党ではなく、日本国憲法第九条である。
憲法九条が「日本国は国際紛争を解決する手段としては戦力の行使は永遠にこれを放棄する」と規定しているからには、安倍自民党の今回採った行動は憲法第九条を遂に扼殺したに等しい。
安倍は既に瀕死の重傷を負っている憲法第九条を絞め殺した暗殺団の頭領である。これに手を貸したのは自公両党の議員達だけでも無ければ法案に賛成票を投じた三野党だけでもない。事態が此処にまで立ち至るまで放置していた他の野党勢力にも、更には指を咥えてこれを眺めていた我々日本国民全体にも責任があるのだ。
「不正なる制度を黙認することはそれに手を貸しているのと等しい」(故マーチン・ルーサー・キング牧師)のである。「今更大騒ぎするなんてちゃんちゃらおかしいわ♪臍が茶を沸かすぜ♪」と安倍ポンは腹の底では嘲笑っているに違いない。
安倍は「今後も丁寧な説明を続ける」と我々を心底見下した「上から目線で」ものを言っている。まるで勝利宣言だが、これを有難く拝聴する日本国民が一体どれだけいるか。独裁者安倍は九条を扼殺しておいて翌朝(9/19)にはふざけやがって「法的基盤が整った」である!
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『日刊ゲンダイ』はこのところ次回選挙での自公両党の惨敗予測を連載しているが、両党同時の大敗北が望ましいのは当然ながらその公算・可能性が必ずしも高くはないと仮定したなら、ではどちらが先に敗北するかと言えば「綻びは弱い環から崩れる」という原則に照らせば先に負けるのは公明党である。
創価学会票の大幅な離反を招いた公明は無事では済まされない。結果公明の惨敗で一旦は自民が助かる可能性はある。三色旗を掲げて国会デモに参加した学会員たちの票は野党5党のいずれかに流れると考えるのが自然だが、それが5党間の票の取り合いになって仕舞うと、自民を利するだけで終わる。それで野党は今から《候補者の調整と統一》に動いている。これが功を奏し自公両党も負けじと統一を図るということになれば、擬似的ではあるが選挙戦は《拮抗する二大政党の闘い》に転換するかも知れない。
「それがどうした?」と問われても別段どうもしないのだが、ただ次の参院選と加えて次の衆院選の結果に拠っては、一気に政権交代に突き進むかも知れないのだから、この国もまだまだ見捨てたものではないかも知れないのだ。
というわけで自公暴走の参院本会議はどうなるか、そして今後国会デモはどうなるのかである。国会デモには右翼系の馬鹿オヤジ達も数人邪魔しに来た。デモ隊からは「帰れ!帰れ!」の罵声が飛んだ。両派の衝突を恐れた警視庁機動隊は堪らずアホな安倍派の右翼を排除した。
衆院でも内閣不信任案が提出された。これが出されると全ての審議が停まるから弱小野党にとっては最終最後の抵抗手段である。因みに内閣不信任案というのは参議院からは出すことが出来ない。自分たちが選んでいるわけではないから提出可能なのは問責決議案までである。
☆これでアホで不細工な国会山の手続きは一応全て終了する。民主党などは「これは民主主義ではない。単なる多数決主義だ」などと言っているがこんなのは同義反復の戯れ言でしかない。民主主義イコール多数決主義だからだ。自公に多数を与えた。それが全てではないか。
我々の与えた300議席を悉く溝に捨てた民主党の言うことではない!
《立憲主義》というものも怪しい限りだ。戦後70年、日本国憲法は既に手遅れなほど瀕死の重傷を負っており、それは自民党の手に拠って何度にも亘っていたぶられ続けて来たからだ。それに手を貸して来たのが旧社会党などの野党勢力である。その末裔が現在の弱小野党諸派である。ここに《諸派》と言っても民主・共産・社民より「左」の勢力は一つも存在しない。あるのは「自民党の右足」如き勢力ばかりだ。(注釈:分裂した維新は東京派は民主の右足、大阪派は安倍の尻の穴に割れたとしか言いようがない。)
《世界の自由と民主主義の守護神》であるかの如く標榜し振舞っているアメリカだが、この《世界の憲兵》にやむなく追従した諸国が今どういう状態にあるか、少しは考えてみた方がいい。辛うじて相対的独自性を保っているEU諸国連合を除けば、「これが民主主義国家かよ?!」と思わず問い返したくなる国々ばかりではないか!?
安倍はそれでいいと言っている。米国の属国で構わないと言っているのである。
「自衛隊の諸君、アメリカンの手先となり代役となって海外で殺されて来い、殺して来い」と言っているのである。
☆「安倍は権力をハイジャックしクーデターを起こした」(民主党:辻元清美)との指摘が正しいとするなら山本太郎が御焼香を上げた相手は自民党ではなく、日本国憲法第九条である。
憲法九条が「日本国は国際紛争を解決する手段としては戦力の行使は永遠にこれを放棄する」と規定しているからには、安倍自民党の今回採った行動は憲法第九条を遂に扼殺したに等しい。
安倍は既に瀕死の重傷を負っている憲法第九条を絞め殺した暗殺団の頭領である。これに手を貸したのは自公両党の議員達だけでも無ければ法案に賛成票を投じた三野党だけでもない。事態が此処にまで立ち至るまで放置していた他の野党勢力にも、更には指を咥えてこれを眺めていた我々日本国民全体にも責任があるのだ。
「不正なる制度を黙認することはそれに手を貸しているのと等しい」(故マーチン・ルーサー・キング牧師)のである。「今更大騒ぎするなんてちゃんちゃらおかしいわ♪臍が茶を沸かすぜ♪」と安倍ポンは腹の底では嘲笑っているに違いない。
安倍は「今後も丁寧な説明を続ける」と我々を心底見下した「上から目線で」ものを言っている。まるで勝利宣言だが、これを有難く拝聴する日本国民が一体どれだけいるか。独裁者安倍は九条を扼殺しておいて翌朝(9/19)にはふざけやがって「法的基盤が整った」である!