本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

縄を綯(な)う人のように。

2015-06-11 00:40:53 | 
 自分は「縄を綯う人のように後退りしながら生き続けていたくはないんだ」と自著の中で述懐していたのはドイツの哲学者F・ニーチェであるが、彼はまた別の所では「自由に死ね」とも檄を飛ばしている。
 今彼自身がどんな人生を送った人だったかは問わないが、私は自分のこれまでの人生を振り返ったとき「そんな人いるのかよ!?」と思わず聞き返したくなる衝動を禁じ得ないのである。

 「一般論」として逃げてしまうなら、人はある時点までなら確かに「行け行けドンドン♪」で「まっしぐらに前進あるのみ!」と突き進んで行くことも或いは可能なのかも知れない。が、それだけで生涯を完結せしめる事など多分大方の人には不可能ではないかと推測(⇦邪推?)してしまうのであり「俺って後退りのエキスパートかな?」と自分でも思ってしまう情けない御老人なのである。

 私は大阪に来てからだけでも随分「後退に次ぐ後退を繰り返して来たな」👙😊😍と自認せざるを得ない。一寸前に書いたブログを読み返してみても「何だ随分まともな事を言ってるぜ♪😅😱😉」と自画自賛して座布団一枚進呈したくなってしまう程である。
 頭が壊れつつあるせいかも知れないが、今より5年前10年前のときの方が自分はもっとまともな事を書いていたように思われて仕方ない。「老いる」ということは自分が壊れつつある事を日々追認して行く事なのだろうか?


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