奴は敵だ、敵は殺せ(埴谷雄高)的諸問題を、つまり、ここに例えば【索敵】を考える。ジャングルを歩む歩兵隊のように、疑心暗鬼に捕われつつも執拗に敵をサーチし続ける(探す)ということである。何でもいいから取り合えず『敵を探す』のである。これはこの地上の全ての国家や民族が日常的に、何の躊躇いもなくやってのけていることで、そのための困難なハードルなど一つもない。
頭の足りないネトウヨたちも、敵を作り、それへ向けて世論を煽り糾合することなら大得意にしている。というか、元々それくらいしか能がない浅薄な連中なのである。自公はそこまで馬鹿ではないだろうが、自公を(つまりは安倍ポンを)支持しているのはそういう馬鹿どもなのである。
「和を以って貴しと為す」というのが戦乱の時代を生き悲運の死を遂げた聖徳太子の言であり、これはわが国古来の主要な伝統文化の一つを今尚形作っている。大切なのは敵を作ってその敵を撲滅することではない。こっちがそうなら相手だってそうなるのだからこの喧騒・諍いにはきりもなければ終わりもない。選択が安易過ぎるのだ。
「奴は敵だ。敵は殺せ」の連鎖、攻撃と報復の連鎖・連環は止まるところを知らない。有史以来、我々人類は愚かにもずっとこれをやって来たし、今もやっている。止めようとなどしたことがない。
そろそろ我々もこういう愚の骨頂は廃絶した方がいいのではないか。(止められるかどうかは別として!)敵を探すのではなく味方を探すことに全ての民族・国家は本腰を入れた方が賢いのではないか。索敵ではなく索友だ。ちょっと探せばすぐ見つかる「敵」をではなく、探しても探してもなかなか見つからない「友」をこそ我々は求め続けなければならないのだ。発想の転換である。殺し合いを止めたいのならそうするしかない。
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何故か突如として『中国新聞』からの引用になるが、9/7(日)付『中国新聞』14面の「著者に聞く」欄に加藤典洋の「人類が永遠に続くのではないとしたら」と題する一文が掲載されていた。以下はそこからの恣意的抜書きである。 ↓
・・東京電力福島第1原発の保険契約の更新を、保険会社グループが打ち切ると伝えていた。巨大産業事故のリスクを、社会が回収できなくなったことを意味していた。
・・チェルノブイリ原発事故後、ドイツの学者は、生産と事故リスクのバランスが崩れると産業が成り立たなくなると指摘した。
・・生産を際限なく増やし、需要を次々と生む消費社会は、環境や資源という「地球の有限性」に直面した。3・11は、産業や技術などの人間活動を含んだ「世界の有限性」を明らかにした。秘密に覆われ、買い替えもできない原発からは、技術革新の恩恵も得られない。
・・人間は死ぬ。人類もいつか滅ぶ。それでもその後、生命種は残る。
・・責任と賠償という一対一の関係が壊れ、リスクがいつまでも解消されない今後の社会。
・・・・・というわけで、原発事故は一旦起きたら誰も責任など取れない不可逆的事故に他ならない。
頭の足りないネトウヨたちも、敵を作り、それへ向けて世論を煽り糾合することなら大得意にしている。というか、元々それくらいしか能がない浅薄な連中なのである。自公はそこまで馬鹿ではないだろうが、自公を(つまりは安倍ポンを)支持しているのはそういう馬鹿どもなのである。
「和を以って貴しと為す」というのが戦乱の時代を生き悲運の死を遂げた聖徳太子の言であり、これはわが国古来の主要な伝統文化の一つを今尚形作っている。大切なのは敵を作ってその敵を撲滅することではない。こっちがそうなら相手だってそうなるのだからこの喧騒・諍いにはきりもなければ終わりもない。選択が安易過ぎるのだ。
「奴は敵だ。敵は殺せ」の連鎖、攻撃と報復の連鎖・連環は止まるところを知らない。有史以来、我々人類は愚かにもずっとこれをやって来たし、今もやっている。止めようとなどしたことがない。
そろそろ我々もこういう愚の骨頂は廃絶した方がいいのではないか。(止められるかどうかは別として!)敵を探すのではなく味方を探すことに全ての民族・国家は本腰を入れた方が賢いのではないか。索敵ではなく索友だ。ちょっと探せばすぐ見つかる「敵」をではなく、探しても探してもなかなか見つからない「友」をこそ我々は求め続けなければならないのだ。発想の転換である。殺し合いを止めたいのならそうするしかない。
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何故か突如として『中国新聞』からの引用になるが、9/7(日)付『中国新聞』14面の「著者に聞く」欄に加藤典洋の「人類が永遠に続くのではないとしたら」と題する一文が掲載されていた。以下はそこからの恣意的抜書きである。 ↓
・・東京電力福島第1原発の保険契約の更新を、保険会社グループが打ち切ると伝えていた。巨大産業事故のリスクを、社会が回収できなくなったことを意味していた。
・・チェルノブイリ原発事故後、ドイツの学者は、生産と事故リスクのバランスが崩れると産業が成り立たなくなると指摘した。
・・生産を際限なく増やし、需要を次々と生む消費社会は、環境や資源という「地球の有限性」に直面した。3・11は、産業や技術などの人間活動を含んだ「世界の有限性」を明らかにした。秘密に覆われ、買い替えもできない原発からは、技術革新の恩恵も得られない。
・・人間は死ぬ。人類もいつか滅ぶ。それでもその後、生命種は残る。
・・責任と賠償という一対一の関係が壊れ、リスクがいつまでも解消されない今後の社会。
・・・・・というわけで、原発事故は一旦起きたら誰も責任など取れない不可逆的事故に他ならない。