
34.塩浜(5月8日土曜日)『近鉄急行名古屋行』13:49発
流石にこの辺まで来れば金券ショップの「株主券」1,500円分の元は取ったという感じで、今回の小旅行の大義名分は立ったようだ。w
35.四日市13:52発
私が小中学生の頃は「四日市ぜんそく」という言葉が教科書に載っていた。
停車中写真も撮ったが失敗が多かった。
36.富田13:57発
線路を跨ぐ跨線橋のアーチが同じ形をしていることに気づき、同時代同時期に造られた建造物は古墳だろうと高架だろうと同じ形に落着くのだろうと、とりとめもなく思った。
37.桑名14:05発
「その手は桑名の焼き蛤」は江戸時代からの地口であるが、私はあいにく食べたことがない。この辺り(四日市辺りからだが)充分に都会風で既に名古屋圏に入っているわけで、名古屋と言えば竹下景子であるから(はあ?)、私は駅の女学生たちを見ては「未来の竹下景子だな」と思ったりした。案の定近鉄名古屋駅通路には竹下景子のポスターが何種類もぺたぺた貼ってあった。伊勢志摩観光のCMポスターだった。
38.弥富14:12発
弥富市のHPには濃尾平野の西南端に位置する水郷の町だと書いてある。弥富と言えば金魚だと思っていたが文鳥の生産も日本一だそうである。
39.蟹江14:16発
この辺り小さな川がたくさんあり、最後に渡る大きな河は庄内川で、これはいわゆる木曾三川(木曽川・揖斐川・長良川)とは違う。これらの川が齎した肥沃な大地が一方では尾張藩の慢心を生み、やがては「時代劇の悪役と言えば(背後に)尾張藩」が定番となって行ったのである。ぁそ。
40.名古屋到着14:25
============
私は空腹を感じていたので手頃な食堂を探したが駅周辺や駅構内はどこも高そうだった。地下の食堂街も行きたかったが降り口がわからなかった。あちゃ。
近鉄・名鉄・JRが並ぶ駅前では「幸福実現党」のビラ撒き隊に混じって一人「岩国基地を大阪へ!」とプラカードで訴えている人がいた。私はてっきり普天間関連での橋下発言をベースに訴えているのかと思って少し話してみたら、彼の主張はもっと古い問題に根差したもので、2008年の岩国市長選で自公派の推す現市長に敗れた井原前市長への敵対発言に反発しての街頭行動だったのである。
「一地方の首長が、いちいち中央政府(←当時は自公政権下で悪名高き冬柴国交大臣の時代だった。w)のすることに反発するんじゃない」と橋下知事が言ったのだという彼の説明を受けて、私も微かに記憶を呼び覚ましたのだが確かにそのようなことがあった。橋下は今も昔も徹底した現実主義者であるから、食いつくなら政権与党で、野党と政策論議しても始まらないと思っているのである。笑。
名古屋の彼は岩国とはどういう関係なのか、一匹狼で勝手にやっているだけだと言っていた。主義主張は社民党っぽい感じの人だったが、隣の「幸福実現党」の街宣を少し気にしていたので、私は「こいつらは右翼だ。ファシストだ!」と大声で言って彼を励まし(?)写真も撮って別れた。敢て「自分は大阪から来た」とは言わなかったのであった。笑。
cf.岩国飛行場。
cf.井原勝介HP(前岩国市長)。
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彼や幸福党がいたのは名古屋駅東口だったが、広場があるのは新幹線口(西口)の方である。私は駅構内を抜けて西口に出た。
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本当に沖縄県民は鳩山首相を辞めさせたいのか
【政治・経済】
2010年5月24日 『日刊ゲンダイ』掲載
普天間 先送り決着舞台裏の暗闘と今後
スッタモンダした普天間移設問題は、代替施設を名護市辺野古周辺に建設、具体的な場所や工法は先送りすることで、時間稼ぎすることになりそうだ。鳩山首相は23日、こうした方針を沖縄県の仲井真知事や地元首長に表明、理解を求めたが、「極めて遺憾で、極めて厳しい」(仲井真知事)という反発の声が相次いだ。野党や大マスコミはさっそく、鳩山の政治責任を追及しているが、ちょっと待って欲しい。確かに、この間の迷走は情けないが、自民党案よりも沖縄の負担を増大させるわけではないのである。それなのに、極悪人のごとく叩かれ、辞任を迫られる鳩山政権――。沖縄県民の心を政争の道具にしているのは誰なのか。
●メディアが“作った”県民の怒り
「沖縄差別だ」「絶対許さない」
名護市を訪れた鳩山首相を待ち受けていたのは、こうしたプラカードと「出て行け」「辞めろ」というシュプレヒコールだった。
大マスコミはこれぞ、「沖縄県民の怒り」と報じているが、これには大きな疑問符がつく。
辺野古案に対する反対運動を続けている住民グループは今年2月、報道機関向けの意見表明文を公表した。そこに書かれていたのは、こういうことだ。
〈新聞の社説などが、基地問題の先送りが日米同盟を揺るがすとの理由で一刻も早く辺野古沿岸域案を確定するべきと主張するのはおかしい〉〈日米両政府間で13年間も協議して現行案が定まったのだから、今さら議論は無用という論調はない〉(要約)
要するに、結論はどうあれ、現行案見直しに取り組んでいた鳩山の姿勢は、沖縄県民から「評価」されてきたのである。4月の県民大会の司会を務めた宜野湾市出身のミュージシャン、KEN子さん(35)もこう言う。
「前政権下では県民は基地問題を話題にすることもできなかった。それが政権交代で『基地反対って言ってもいいの』という雰囲気に変わってきた。これだけでも大きな前進なのに、そういう県民の思いは報じられません。『普天間を国外・県外に』という趣旨で開かれた県民大会が『民主潰し』のように利用され、鳩山首相の来県時に感極まって泣いた私の姿も『泣いて抗議する県民』という扱いで報道されました。内地メディアは鳩山首相に対する否定的な意見だけを取り上げ、それ以外は一切報じない。県民は鳩山潰しを誰も望んでいません。内地メディアには『怒りを利用するな』と言いたいのです」
鳩山はメディアや野党の責任追及にひるむことなく、沖縄県民と真摯(しんし)に向き合い、基地負担の軽減を目指せばいい。基地問題なんかに関わらず、フタをしておけばよかったなどという論調に屈したらダメだ。
============
このような『鳩山容認』論の噴出に前もって応えるかのように、夕方の読売テレビのニュース番組の論調は一転気持ち悪い程鳩山に同情的・妥協的だった。
今後の推移を決定付ける最大最強の要因は、一にも二にも沖縄県民の出方次第である。県民があくまで抵抗~拒否を続けるならば今回の『日米合意』などどこかへ吹っ飛んでしまうだろうと私は見ている。民主主義の基本は当事者主義にあるからである。
戦後65年に及ぶ沖縄県民の闘いの総決算・正念場はまさにこれから迎えるのである。
ヤマトンチューとアメ公の『合意』など糞食らえでいいのだ。
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(続く)
流石にこの辺まで来れば金券ショップの「株主券」1,500円分の元は取ったという感じで、今回の小旅行の大義名分は立ったようだ。w
35.四日市13:52発
私が小中学生の頃は「四日市ぜんそく」という言葉が教科書に載っていた。
停車中写真も撮ったが失敗が多かった。
36.富田13:57発
線路を跨ぐ跨線橋のアーチが同じ形をしていることに気づき、同時代同時期に造られた建造物は古墳だろうと高架だろうと同じ形に落着くのだろうと、とりとめもなく思った。
37.桑名14:05発
「その手は桑名の焼き蛤」は江戸時代からの地口であるが、私はあいにく食べたことがない。この辺り(四日市辺りからだが)充分に都会風で既に名古屋圏に入っているわけで、名古屋と言えば竹下景子であるから(はあ?)、私は駅の女学生たちを見ては「未来の竹下景子だな」と思ったりした。案の定近鉄名古屋駅通路には竹下景子のポスターが何種類もぺたぺた貼ってあった。伊勢志摩観光のCMポスターだった。
38.弥富14:12発
弥富市のHPには濃尾平野の西南端に位置する水郷の町だと書いてある。弥富と言えば金魚だと思っていたが文鳥の生産も日本一だそうである。
39.蟹江14:16発
この辺り小さな川がたくさんあり、最後に渡る大きな河は庄内川で、これはいわゆる木曾三川(木曽川・揖斐川・長良川)とは違う。これらの川が齎した肥沃な大地が一方では尾張藩の慢心を生み、やがては「時代劇の悪役と言えば(背後に)尾張藩」が定番となって行ったのである。ぁそ。
40.名古屋到着14:25
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私は空腹を感じていたので手頃な食堂を探したが駅周辺や駅構内はどこも高そうだった。地下の食堂街も行きたかったが降り口がわからなかった。あちゃ。
近鉄・名鉄・JRが並ぶ駅前では「幸福実現党」のビラ撒き隊に混じって一人「岩国基地を大阪へ!」とプラカードで訴えている人がいた。私はてっきり普天間関連での橋下発言をベースに訴えているのかと思って少し話してみたら、彼の主張はもっと古い問題に根差したもので、2008年の岩国市長選で自公派の推す現市長に敗れた井原前市長への敵対発言に反発しての街頭行動だったのである。
「一地方の首長が、いちいち中央政府(←当時は自公政権下で悪名高き冬柴国交大臣の時代だった。w)のすることに反発するんじゃない」と橋下知事が言ったのだという彼の説明を受けて、私も微かに記憶を呼び覚ましたのだが確かにそのようなことがあった。橋下は今も昔も徹底した現実主義者であるから、食いつくなら政権与党で、野党と政策論議しても始まらないと思っているのである。笑。
名古屋の彼は岩国とはどういう関係なのか、一匹狼で勝手にやっているだけだと言っていた。主義主張は社民党っぽい感じの人だったが、隣の「幸福実現党」の街宣を少し気にしていたので、私は「こいつらは右翼だ。ファシストだ!」と大声で言って彼を励まし(?)写真も撮って別れた。敢て「自分は大阪から来た」とは言わなかったのであった。笑。
cf.岩国飛行場。
cf.井原勝介HP(前岩国市長)。
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彼や幸福党がいたのは名古屋駅東口だったが、広場があるのは新幹線口(西口)の方である。私は駅構内を抜けて西口に出た。
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本当に沖縄県民は鳩山首相を辞めさせたいのか
【政治・経済】
2010年5月24日 『日刊ゲンダイ』掲載
普天間 先送り決着舞台裏の暗闘と今後
スッタモンダした普天間移設問題は、代替施設を名護市辺野古周辺に建設、具体的な場所や工法は先送りすることで、時間稼ぎすることになりそうだ。鳩山首相は23日、こうした方針を沖縄県の仲井真知事や地元首長に表明、理解を求めたが、「極めて遺憾で、極めて厳しい」(仲井真知事)という反発の声が相次いだ。野党や大マスコミはさっそく、鳩山の政治責任を追及しているが、ちょっと待って欲しい。確かに、この間の迷走は情けないが、自民党案よりも沖縄の負担を増大させるわけではないのである。それなのに、極悪人のごとく叩かれ、辞任を迫られる鳩山政権――。沖縄県民の心を政争の道具にしているのは誰なのか。
●メディアが“作った”県民の怒り
「沖縄差別だ」「絶対許さない」
名護市を訪れた鳩山首相を待ち受けていたのは、こうしたプラカードと「出て行け」「辞めろ」というシュプレヒコールだった。
大マスコミはこれぞ、「沖縄県民の怒り」と報じているが、これには大きな疑問符がつく。
辺野古案に対する反対運動を続けている住民グループは今年2月、報道機関向けの意見表明文を公表した。そこに書かれていたのは、こういうことだ。
〈新聞の社説などが、基地問題の先送りが日米同盟を揺るがすとの理由で一刻も早く辺野古沿岸域案を確定するべきと主張するのはおかしい〉〈日米両政府間で13年間も協議して現行案が定まったのだから、今さら議論は無用という論調はない〉(要約)
要するに、結論はどうあれ、現行案見直しに取り組んでいた鳩山の姿勢は、沖縄県民から「評価」されてきたのである。4月の県民大会の司会を務めた宜野湾市出身のミュージシャン、KEN子さん(35)もこう言う。
「前政権下では県民は基地問題を話題にすることもできなかった。それが政権交代で『基地反対って言ってもいいの』という雰囲気に変わってきた。これだけでも大きな前進なのに、そういう県民の思いは報じられません。『普天間を国外・県外に』という趣旨で開かれた県民大会が『民主潰し』のように利用され、鳩山首相の来県時に感極まって泣いた私の姿も『泣いて抗議する県民』という扱いで報道されました。内地メディアは鳩山首相に対する否定的な意見だけを取り上げ、それ以外は一切報じない。県民は鳩山潰しを誰も望んでいません。内地メディアには『怒りを利用するな』と言いたいのです」
鳩山はメディアや野党の責任追及にひるむことなく、沖縄県民と真摯(しんし)に向き合い、基地負担の軽減を目指せばいい。基地問題なんかに関わらず、フタをしておけばよかったなどという論調に屈したらダメだ。
============
このような『鳩山容認』論の噴出に前もって応えるかのように、夕方の読売テレビのニュース番組の論調は一転気持ち悪い程鳩山に同情的・妥協的だった。
今後の推移を決定付ける最大最強の要因は、一にも二にも沖縄県民の出方次第である。県民があくまで抵抗~拒否を続けるならば今回の『日米合意』などどこかへ吹っ飛んでしまうだろうと私は見ている。民主主義の基本は当事者主義にあるからである。
戦後65年に及ぶ沖縄県民の闘いの総決算・正念場はまさにこれから迎えるのである。
ヤマトンチューとアメ公の『合意』など糞食らえでいいのだ。
============
(続く)