1.今回は7時過ぎに寺田町から入場し何故か天王寺に向かって、天王寺から「関空・紀州路快速」(途中まで連結)に乗ったのが7:15であるが、この電車はラッシュ時はまずすわれないのでうんざりして最初の停車駅「堺市」で降りてしまった。あちゃ。若いうちならまだしも、今の私には「各駅停車の旅」を(快速でも!)立ったまま続ける発想はないのである。
この後「鳳(おおとり)」という駅でも快速への乗換えを試みたが、これも満席だったので断念した。快速への乗換えが成功したのは終点まで20分の「和泉砂川」という駅である。このように和歌山までの紀州路は快速も各駅停車(鈍行)も本数が多いので大阪から苦労なく行けるが問題はその先である。
観光客はその先は(というか京都・大阪からでも)特急を利用して行くが、この「紀勢本線(きのくに線)」では地元の人たちは、たとえ電車が1時間待ちだろうと2時間待ちだろうと、その時刻表に合わせた生活を送るしかないのである。いいも悪いもない「田舎の路線バス」と同じである。
「廃線にならないだけマシと思え」ということか、「複線化推進」どころの話ではなく、料金設定にしても急激に撥ね上がる区間が多いのである。
私は自慢じゃないが和歌山から先はまだ行ったことがなかったから、いずれは鈍行で紀伊半島を一周しなければならないと思ってはいたが、ついにその日が唐突にやって来たわけである。常々時刻表を見ていると和歌山から先は間歇的にしか電車が出ないので(!)これまでずっと「決行」を尻込みしていたのである。
思うに鈍行で紀伊半島を一周するのはざっと見て「一日仕事」であり、私のように「熊野詣」等を一切省略してただ乗るだけでも12時間では到底納まらない。「連絡が悪い」などというレベルの話ではなく、本数が極限にまで間引きされてしまっているのである。
大阪から半日も時間をかけるのなら東は東京まで、西は広島まで、山陰は岡山経由で鳥取まで、四国なら高知まででも楽に行ける。
まさに「近くて遠い紀州路」なのである。追い追い書く予定だが、実際今回亀山ー奈良経由で日帰りを目指した私は途中一回の失敗と複数のアクシデントがあって見事この試みは失敗に終わったのである。あちゃ。
2.終点和歌山駅に着いたのが8:48で、約30分後普通列車御坊行に乗った。
9:20 5番線から普通列車御坊行。この列車はまだワンマンカーではなかったが9:41に加茂郷を出て暫くすると急停車し、
「只今線路上に犬を発見し、運転士が追い払いに行っています」
と車掌から数度に亘るアナウンスがあった。「線路に犬」とは(野犬か飼い犬か知らないが)なんとも「のどか」というか「たわけ」というか、私には初めての体験で、このアクシデントは幸い5分の遅れで済んだため大事には至らなかったが、その後夜になってもっと凄いことが起きた。w
私は後ろの方の車両にいたのだが、今考えてみると一番前まで行ってどういう様子か確かめて写真の1枚も撮っておけば良かった。w
3.「特急」なしでは存続が危ぶまれるような鄙びた区間ではワンマン列車が多く、私は今回の小旅行ではこれに何度も乗り合わせる展開となった。「二人分も人員コストはかけられない」という意味だろうが、あれは究極の人員削減で、運転士が料金徴収も安全確認も全て一人でやらなければならないというのは見た目にも大変な作業だった。
10:10 広川ビーチ。カタカナ英語を使った変な名前の駅だった。有田郡広川町である。
10:24 4分遅れで終点御坊2番線到着。
11:01 3番線から紀伊田辺行。30分待ちはいいとして、親切な駅員さんがくれた簡易時刻表パンフレットで、新宮に着くのは15:50であることがわかり、新宮でその時間では帰りは相当遅くなるだろうと観念した。
11:37-41 南部(みなべ)。終点まで間もないが、ここで「特急くろしお5号白浜行」の通過待ちである。
後から来たのに追い越され
泣くのが嫌なら
さあ歩け (水戸黄門主題歌)
確かに後から来た電車に追い抜かれるのは不愉快だが、そんなこと言っていたら各駅停車には乗れない。(笑)女子高生らが大量に乗り込んで来た。
11:50 終点紀伊田辺3番線到着。新宮行は同じ3番線から13:01発なのでまだ1時間以上あった。私は改札を出て駅前周辺を散策した。ここは武蔵坊弁慶とか囲碁の高川秀格とかの、各界の著名人を輩出した町だそうである。
4.紀伊田辺駅前は「いかにも」という感じの「観光地の(それもあまり流行らない!)駅」だった。どこか食堂で食事することも考えたが、どこもかしこも千円前後の価格設定なので止めにした。ラーメン屋のチャーハンが500円で一番安かったがサンプルを見ると「小チャーハン」という印象だったので止めた。
外食チェーンにしてもビジネスホテルチェーンにしても、ある程度採算ベースに乗らないことには容易に進出して来ない。これでは過疎化は進む一方である。地元が寂れれば若者は離れる。爺ちゃん婆ちゃんだけでは町興しは出来ない。
私は駅と連結したベーカリーで、1つだけ売れ残っていた3個一袋のお徳用パンセットを買った。これが250円。飲料は隣のキヨスクで2本買った。うち1本は牛乳だったのでビン代10円を取られてこれが240円だった。合計すればラーメン屋のチャーハンといい勝負だったが、どっちが良かったかは謎のままである。w
5.ここからいよいよワンマンカーの新宮行に乗る。
13:01 紀伊田辺3番線発新宮行。到着予定時刻は15:50だから2時間50分の行程である。基本的に岩場と砂浜の海岸線を進むのだが、電車はじきに緑鬱蒼たる切りとおしや短いトンネルの中へ突っ込んで行くので「絶景かな!」というような景色はほんの瞬間で、撮影も「いい!」と思ったときには見えなくなっているので欲求不満が募った。
男女の高校生が大勢乗り合わせていた。下校の時間には早過ぎたが試験の最中だったのだろうか。それはいいとして、私の目の前にちょっと不良っぽい男子高校生3人組が陣取って大騒ぎしてくれたのにはいささか閉口した。遠巻きに彼らを睨みつけている女子高生もいたから、彼らの「蛮行」(という程でもなかったが)は毎度のことなのだろうと推測した。乗り合わせるのが嫌だったらもう2時間待たないと次の電車は来ない。駅と電車は彼ら高校生たちの重要な、日々の社交場なのである。w
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この後「鳳(おおとり)」という駅でも快速への乗換えを試みたが、これも満席だったので断念した。快速への乗換えが成功したのは終点まで20分の「和泉砂川」という駅である。このように和歌山までの紀州路は快速も各駅停車(鈍行)も本数が多いので大阪から苦労なく行けるが問題はその先である。
観光客はその先は(というか京都・大阪からでも)特急を利用して行くが、この「紀勢本線(きのくに線)」では地元の人たちは、たとえ電車が1時間待ちだろうと2時間待ちだろうと、その時刻表に合わせた生活を送るしかないのである。いいも悪いもない「田舎の路線バス」と同じである。
「廃線にならないだけマシと思え」ということか、「複線化推進」どころの話ではなく、料金設定にしても急激に撥ね上がる区間が多いのである。
私は自慢じゃないが和歌山から先はまだ行ったことがなかったから、いずれは鈍行で紀伊半島を一周しなければならないと思ってはいたが、ついにその日が唐突にやって来たわけである。常々時刻表を見ていると和歌山から先は間歇的にしか電車が出ないので(!)これまでずっと「決行」を尻込みしていたのである。
思うに鈍行で紀伊半島を一周するのはざっと見て「一日仕事」であり、私のように「熊野詣」等を一切省略してただ乗るだけでも12時間では到底納まらない。「連絡が悪い」などというレベルの話ではなく、本数が極限にまで間引きされてしまっているのである。
大阪から半日も時間をかけるのなら東は東京まで、西は広島まで、山陰は岡山経由で鳥取まで、四国なら高知まででも楽に行ける。
まさに「近くて遠い紀州路」なのである。追い追い書く予定だが、実際今回亀山ー奈良経由で日帰りを目指した私は途中一回の失敗と複数のアクシデントがあって見事この試みは失敗に終わったのである。あちゃ。
2.終点和歌山駅に着いたのが8:48で、約30分後普通列車御坊行に乗った。
9:20 5番線から普通列車御坊行。この列車はまだワンマンカーではなかったが9:41に加茂郷を出て暫くすると急停車し、
「只今線路上に犬を発見し、運転士が追い払いに行っています」
と車掌から数度に亘るアナウンスがあった。「線路に犬」とは(野犬か飼い犬か知らないが)なんとも「のどか」というか「たわけ」というか、私には初めての体験で、このアクシデントは幸い5分の遅れで済んだため大事には至らなかったが、その後夜になってもっと凄いことが起きた。w
私は後ろの方の車両にいたのだが、今考えてみると一番前まで行ってどういう様子か確かめて写真の1枚も撮っておけば良かった。w
3.「特急」なしでは存続が危ぶまれるような鄙びた区間ではワンマン列車が多く、私は今回の小旅行ではこれに何度も乗り合わせる展開となった。「二人分も人員コストはかけられない」という意味だろうが、あれは究極の人員削減で、運転士が料金徴収も安全確認も全て一人でやらなければならないというのは見た目にも大変な作業だった。
10:10 広川ビーチ。カタカナ英語を使った変な名前の駅だった。有田郡広川町である。
10:24 4分遅れで終点御坊2番線到着。
11:01 3番線から紀伊田辺行。30分待ちはいいとして、親切な駅員さんがくれた簡易時刻表パンフレットで、新宮に着くのは15:50であることがわかり、新宮でその時間では帰りは相当遅くなるだろうと観念した。
11:37-41 南部(みなべ)。終点まで間もないが、ここで「特急くろしお5号白浜行」の通過待ちである。
後から来たのに追い越され
泣くのが嫌なら
さあ歩け (水戸黄門主題歌)
確かに後から来た電車に追い抜かれるのは不愉快だが、そんなこと言っていたら各駅停車には乗れない。(笑)女子高生らが大量に乗り込んで来た。
11:50 終点紀伊田辺3番線到着。新宮行は同じ3番線から13:01発なのでまだ1時間以上あった。私は改札を出て駅前周辺を散策した。ここは武蔵坊弁慶とか囲碁の高川秀格とかの、各界の著名人を輩出した町だそうである。
4.紀伊田辺駅前は「いかにも」という感じの「観光地の(それもあまり流行らない!)駅」だった。どこか食堂で食事することも考えたが、どこもかしこも千円前後の価格設定なので止めにした。ラーメン屋のチャーハンが500円で一番安かったがサンプルを見ると「小チャーハン」という印象だったので止めた。
外食チェーンにしてもビジネスホテルチェーンにしても、ある程度採算ベースに乗らないことには容易に進出して来ない。これでは過疎化は進む一方である。地元が寂れれば若者は離れる。爺ちゃん婆ちゃんだけでは町興しは出来ない。
私は駅と連結したベーカリーで、1つだけ売れ残っていた3個一袋のお徳用パンセットを買った。これが250円。飲料は隣のキヨスクで2本買った。うち1本は牛乳だったのでビン代10円を取られてこれが240円だった。合計すればラーメン屋のチャーハンといい勝負だったが、どっちが良かったかは謎のままである。w
5.ここからいよいよワンマンカーの新宮行に乗る。
13:01 紀伊田辺3番線発新宮行。到着予定時刻は15:50だから2時間50分の行程である。基本的に岩場と砂浜の海岸線を進むのだが、電車はじきに緑鬱蒼たる切りとおしや短いトンネルの中へ突っ込んで行くので「絶景かな!」というような景色はほんの瞬間で、撮影も「いい!」と思ったときには見えなくなっているので欲求不満が募った。
男女の高校生が大勢乗り合わせていた。下校の時間には早過ぎたが試験の最中だったのだろうか。それはいいとして、私の目の前にちょっと不良っぽい男子高校生3人組が陣取って大騒ぎしてくれたのにはいささか閉口した。遠巻きに彼らを睨みつけている女子高生もいたから、彼らの「蛮行」(という程でもなかったが)は毎度のことなのだろうと推測した。乗り合わせるのが嫌だったらもう2時間待たないと次の電車は来ない。駅と電車は彼ら高校生たちの重要な、日々の社交場なのである。w
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