写真はJR寺田町駅前のFM(コンビニ)とイズミヤ(スーパー)が合体した24時間営業の店である。開業当時は話題になったが、今の人気はどうなのか私は知らない。私が夕方3時頃行ったときは店員二人でせわしなく品出しをしていたから、そこそこの売り上げはあるのだろう。隣にローソンも写っている。今日はここで買い物をした。買ったものは:
食パン、牛乳、卵L6ケ、ピーチtea、メンチカツ&フライ
・・・の以上6点で、締めて707円だった。安からず高からずだろうか。サラダオイルも買う予定だったが、まだ炒めものをするわけではないので辞めた。peach-teaは気紛れで買っただけで本来は野菜ジュースにするところだった。卵は普段は買わないが今回は即席《チャーハンの素》を買ってあるので必要と感じただけのことだ。毎日毎日食糧の調達には熱心なオヤジである。
この店のポイント制度は他と違っていて、(月単位の集計で)購入金額が増えないとランクが上がらない。最初はブロンズで1倍、次がシルバーでポイントは2倍、更に増えるとゴールドで次月は3倍になる。私は今回は始動が遅かったので来月のシルバーは無理だ。1倍ということは例えば今日などは707円の買い物で3ポイント(つまり金額にしてたったの3円)しか付かなかったのだから微々たるものだ。以前はよく買っていたので毎月ゴールドに到達していたから何か拍子抜けした。
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4/28(ヨンテンニイハチと読む)というと今から46年前の1969年には沖縄返還を巡って巨大なデモンストレーションが展開された日である。社会・共産の指導する所謂『祖国復帰協議会』(略称復帰協)のデモは「安心ですよ、怖くないですよ♪」という腑抜けした行動だったが、他方『三派系全学連』や『反戦青年委員会』の指揮したデモは新橋駅から東京駅迄の線路上をデモ行進して長時間JR線をストップさせた。このデモ行進には『威力業務妨害』『凶器準備集合』『公務執行妨害』等々の罪名が冠せられ、この罪で逮捕~勾留された学生たちを私は何人も知っている。彼らは裁判所の判決を待たずに、この時期何ヶ月も拘置所に放り込まれてしまうのが普通だった。謂わば『判決なき実刑判決』だったのである。
三派系学生運動家達は、最初は『暴力学生』と呼ばれていたが次第に『過激派』と呼ばれるようになった。過激派というのはロシア革命の際レーニン率いるボルシェビキに付けられたレッテルだが、私の見聞した範囲では暴力を恒常的に振る舞っていたのは寧ろ機動隊員たちであって、学生たちは『思い詰めた田舎青年』であり、上京したてで右も左も判らない連中が多かったように思う。
1968年秋の羽田闘争や佐世保エンタープライズ入港阻止闘争の頃は、デモ参加者たちは所謂『三泊四日』ですぐ釈放されていたため、これに業を煮やした当時の赤沢国家公安委員長が「我々が一生懸命事態の鎮静化を図っているのに裁判所が非協力では何にもならない!」と激しく抗議し、この結果、裁判所は《東京拘置所》が満員御礼で溢れ返る程熱心に、《未決勾留》に励むようになった。この国の裁判所は半世紀も前から《治安裁判所》に変質しているわけである。
☆$¥118.94。(21:35)