難民認定9カ月放置 勝訴のミャンマー男性に
2007年6月8日 17時13分「東京新聞」
東京高裁が昨年8月に難民と認め、法務大臣の難民不認定処分を取り消した群馬県在住のミャンマー国籍の男性(44)に対し、法務省が判決確定から約9カ月がたっても、難民認定や在留資格(ビザ)を出していないことが8日、分かった。
妻(34)は今年3月、長女を出産したが、在留資格がないため国民健康保険に加入できない。出産には50万円を超える費用がかかったが、どこからも補助を得られなかった。
男性は「子供が病気になったときのことを考えると不安でしょうがない。法務省は判決を尊重して早くビザを出してほしい」と訴えている。
訴訟で代理人を務めた弁護士は「裁判で負けを認めて判決を確定させておきながら、難民不認定処分を是正しないのは理不尽」と批判。難民問題に携わる専門家らも「人道的配慮に欠ける」と厳しく指摘している。
東京高裁の判決などによると、男性はミャンマーの少数民族、ロヒンギャ族で、2000年12月、名古屋空港から入国。
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市民監視 自衛隊の信用にかかわる 「信濃毎日・社説」6月8日(金)
情報保全隊-。自衛隊にこんな部隊があることを知っていた人はそう多くないのではないか。
陸上自衛隊の情報保全隊が、自衛隊活動に批判的な市民団体のほか政党、労組、ジャーナリスト、宗教団体などの動向を調べ、内部文書にしていたことが明らかになった。
一定の情報収集はともかく、市民を監視するようなやり方が、本来の任務に当たるのかどうか、大いに疑わしい。
保全隊の主な任務は、自衛隊が持つ秘密情報を守ることである。内部の情報漏れに目を光らせるのが役割だ。にもかかわらず、外部の市民に監視の網を広げていたわけで、黙って見過ごすことはできない。
そこをわきまえずに一線を越えるようでは、市民の信頼は得られない。自衛隊に対する警戒心さえ生んでしまう。
市民にはプライバシーの権利もある。情報収集を無制限に進めるのは許されない。自衛隊以外の官公庁や企業も同じことである。
共産党が入手し、公表した2種類の内部文書は、期間が2003年11月-04年2月の分である。長野県内では04年1、2月に、松本市の松本駅前で行われた街頭活動2件が含まれていた。
イラクへの自衛隊派遣に反対する集会やデモなどに限ってみても、41都道府県の289団体・個人に上る。高校生も対象だった。
いずれも日時や場所、団体名、内容、勢力などが詳しく記述されていた。個人名も出てくる。
情報保全隊は、防衛相直轄の部隊で、陸海空の三自衛隊にそれぞれ編成されている。合わせて約900人が、隊員と外部の不審者との接触などを監視している。
さらに、自衛隊施設への襲撃や業務の妨害などを防ぐための情報収集も行うという。
こうした原則に従えば、例えばイラク派遣に反対する集会やデモが対象になるかは疑問だ。憲法が保障する集会や表現の自由に圧力をかけている、と受け取られかねない。
久間章生防衛相は「自衛隊の情報収集活動は当然」と、問題ないとの認識を示している。
果たしてそうか。放置していると、情報収集の範囲も内容も拡大する心配はないのか。トップがきちんとした問題意識を持たなければ、現場には到底届かない。
情報保全隊について分からないことが多い。秘密を多く抱えるほど自衛隊は国民から遠い存在になる。防衛相は部隊の行きすぎた活動をまずストップさせ、実態を把握し、国民に分かりやすく説明すべきだ。
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Winny情報漏えいでPC持ち主の教諭が自殺
千葉県市原市立小の児童の個人情報がWinnyで流出し、流出元PCを所有していた教諭が自殺した。2007年06月08日 17時39分 更新(ITメディア・ニュース)
千葉県市原市教委は6月8日、市立小学校の児童計269人分の個人情報がWinnyを通じてネットに流出したと発表した。流出元のPCを所有していた男性教諭(34)は自殺したという。
流出したのは、男性教諭が勤務していた2校の児童の名前や成績表など。男性教諭は児童の情報を保存していたPCでWinnyを使っていたことを認め、「責任を感じている」などと話していたという。6日に千葉市の自宅で首をつっているのが見つかった。
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*今日のムービーは「最後のお茶会」(06/Oct.15)の様子です。
天王寺動物園の陸橋に構えた「住居」を立退くことになった野宿詩人=橘安純氏が催したお茶会の現場に偶然遭遇したので撮りましたけど、これって昨日のデモのムービーと同じ日に撮影しているのです。w
7~8年前横浜・寿町(←ここもドヤ街です。)から大阪へ来たという彼が、この陸橋の最後の「住人」となったわけで、今ここは中央にずらっとフラワー・ポットが並べられていますが、以前はホームレスの人たちが立てた「小屋」が林立していたのです。が、市当局が全部排除しました。
(最近ある夕暮れ時、動物園の新世界口を通りかかったら、そこには十人近くの人たちがそれぞれ一夜のダンボール・ハウスを用意していました。)
その後心斎橋筋とかを放浪していた橘氏ですが、今は別の所に「定住(?)」しています。w
旧邸宅のあった場所は→この辺かな?
2007年6月8日 17時13分「東京新聞」
東京高裁が昨年8月に難民と認め、法務大臣の難民不認定処分を取り消した群馬県在住のミャンマー国籍の男性(44)に対し、法務省が判決確定から約9カ月がたっても、難民認定や在留資格(ビザ)を出していないことが8日、分かった。
妻(34)は今年3月、長女を出産したが、在留資格がないため国民健康保険に加入できない。出産には50万円を超える費用がかかったが、どこからも補助を得られなかった。
男性は「子供が病気になったときのことを考えると不安でしょうがない。法務省は判決を尊重して早くビザを出してほしい」と訴えている。
訴訟で代理人を務めた弁護士は「裁判で負けを認めて判決を確定させておきながら、難民不認定処分を是正しないのは理不尽」と批判。難民問題に携わる専門家らも「人道的配慮に欠ける」と厳しく指摘している。
東京高裁の判決などによると、男性はミャンマーの少数民族、ロヒンギャ族で、2000年12月、名古屋空港から入国。
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市民監視 自衛隊の信用にかかわる 「信濃毎日・社説」6月8日(金)
情報保全隊-。自衛隊にこんな部隊があることを知っていた人はそう多くないのではないか。
陸上自衛隊の情報保全隊が、自衛隊活動に批判的な市民団体のほか政党、労組、ジャーナリスト、宗教団体などの動向を調べ、内部文書にしていたことが明らかになった。
一定の情報収集はともかく、市民を監視するようなやり方が、本来の任務に当たるのかどうか、大いに疑わしい。
保全隊の主な任務は、自衛隊が持つ秘密情報を守ることである。内部の情報漏れに目を光らせるのが役割だ。にもかかわらず、外部の市民に監視の網を広げていたわけで、黙って見過ごすことはできない。
そこをわきまえずに一線を越えるようでは、市民の信頼は得られない。自衛隊に対する警戒心さえ生んでしまう。
市民にはプライバシーの権利もある。情報収集を無制限に進めるのは許されない。自衛隊以外の官公庁や企業も同じことである。
共産党が入手し、公表した2種類の内部文書は、期間が2003年11月-04年2月の分である。長野県内では04年1、2月に、松本市の松本駅前で行われた街頭活動2件が含まれていた。
イラクへの自衛隊派遣に反対する集会やデモなどに限ってみても、41都道府県の289団体・個人に上る。高校生も対象だった。
いずれも日時や場所、団体名、内容、勢力などが詳しく記述されていた。個人名も出てくる。
情報保全隊は、防衛相直轄の部隊で、陸海空の三自衛隊にそれぞれ編成されている。合わせて約900人が、隊員と外部の不審者との接触などを監視している。
さらに、自衛隊施設への襲撃や業務の妨害などを防ぐための情報収集も行うという。
こうした原則に従えば、例えばイラク派遣に反対する集会やデモが対象になるかは疑問だ。憲法が保障する集会や表現の自由に圧力をかけている、と受け取られかねない。
久間章生防衛相は「自衛隊の情報収集活動は当然」と、問題ないとの認識を示している。
果たしてそうか。放置していると、情報収集の範囲も内容も拡大する心配はないのか。トップがきちんとした問題意識を持たなければ、現場には到底届かない。
情報保全隊について分からないことが多い。秘密を多く抱えるほど自衛隊は国民から遠い存在になる。防衛相は部隊の行きすぎた活動をまずストップさせ、実態を把握し、国民に分かりやすく説明すべきだ。
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Winny情報漏えいでPC持ち主の教諭が自殺
千葉県市原市立小の児童の個人情報がWinnyで流出し、流出元PCを所有していた教諭が自殺した。2007年06月08日 17時39分 更新(ITメディア・ニュース)
千葉県市原市教委は6月8日、市立小学校の児童計269人分の個人情報がWinnyを通じてネットに流出したと発表した。流出元のPCを所有していた男性教諭(34)は自殺したという。
流出したのは、男性教諭が勤務していた2校の児童の名前や成績表など。男性教諭は児童の情報を保存していたPCでWinnyを使っていたことを認め、「責任を感じている」などと話していたという。6日に千葉市の自宅で首をつっているのが見つかった。
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*今日のムービーは「最後のお茶会」(06/Oct.15)の様子です。
天王寺動物園の陸橋に構えた「住居」を立退くことになった野宿詩人=橘安純氏が催したお茶会の現場に偶然遭遇したので撮りましたけど、これって昨日のデモのムービーと同じ日に撮影しているのです。w
7~8年前横浜・寿町(←ここもドヤ街です。)から大阪へ来たという彼が、この陸橋の最後の「住人」となったわけで、今ここは中央にずらっとフラワー・ポットが並べられていますが、以前はホームレスの人たちが立てた「小屋」が林立していたのです。が、市当局が全部排除しました。
(最近ある夕暮れ時、動物園の新世界口を通りかかったら、そこには十人近くの人たちがそれぞれ一夜のダンボール・ハウスを用意していました。)
その後心斎橋筋とかを放浪していた橘氏ですが、今は別の所に「定住(?)」しています。w
旧邸宅のあった場所は→この辺かな?