昨年の夏休み、早朝ラジオ体操で仲良くなった近所の男の子。
毎朝誰よりも早く公園に来て、寂しそうに皆が集まって来るのを待っている。
聞くと小学一年だという。
子供だけの外出は心配だから、このくらいの年の子は必ず親が着いてくるものだが、この子はいつも一人ぼっちだ。
「君はいつも朝、一番だね。お母さんは起きているの」
「お母さんは寝ているよ。自分一人で起きてラジオ体操に来るんだ」
「お母さんは遅くまで仕事をしているから、起きないよ。早起きしてもやることないからここに来ている」
家の内部が見えて来てしまうので、早々に会話を切り上げたが、驚いたことにこの男の子はバスの乗車時間を24時間制で言えるのだ。
小学校1年生。
生きる力は抜群だが、裏を返せば彼は
毎日、厳しい現実に直面し、自分の力で生き抜いているということだ。
毎日、少しの会話を交わし、一緒にラジオ体操をして次第に仲良くなっていったある日、
「おっさん、おっさん、遅いよ」
と、ラジオ体操に到着するや否や
この男の子に「おっさん」呼ばわりされた。
突然、言い様のない怒りがこみ上げた。
「君なぁ、「おっさん」はないんだよ。なっ、立場をわきまえろ。君は子どもだが、こっちは大人だ。ふざけるなよ。今度「おっさん」と呼んだら君とは話しはしない」
かなりきつい口調で説教した。
彼は黙って聞いていた。
当然の事だ。生き抜く力はあると
思っていたが、まだまだ本当に子どもだ。
彼はいつも「おじさん」と呼んでくれていた。それが「おっさん」。
敬称のつもりが人間関係の構築を急ぐあまり、それは蔑称になるということ。
敬称は、自分が相手の立場、立ち位置、背景をわきまえて初めて成立するもので、それなく使うと、相手を心底侮蔑する言葉になる。
その怖さは、後日、あるコラムを読んで身につまされる思いをした時だった。