「五郎兵衛新田の水は布施川から取水すればよかったのに、何で20キロも先の鹿曲川から取水したのだろう」
上が細小路川、右から流れて来ているのが鹿曲川。現在の五郎兵衛用水取水口はここから少し下流だ。
「布施川から取水すれば一直線なのに、何であんなに曲がりくねった用水にしなければならなかったのだろう」
何とも腑に落ちず、長野の地で深夜まで地図を眺めて考えていた。
次の日、帰京も迫っていたが「五郎兵衛用水」の取水口に行ってみた。
「用水のスタート地点は撮影しておかねば」
今では近代整備され、以前の五郎兵衛用水は使われていない。
今の取水口は鹿曲川と小さな細小路川が合流する地点の少し下方にある。
上が細小路川、右から流れて来ているのが鹿曲川。現在の五郎兵衛用水取水口はここから少し下流だ。
取水口付近では、当時、岩盤をくり貫いて作った「旧五郎兵衛用水跡」を見る事ができる。
遺跡を一通り撮影したが、2つの疑問の手がかりなし。
また、春に来ようと、帰りかけたそのとき、取水口の隣に設置された国土交通省の看板が目に入った。
何の気なしに読んでいると、とんでもない発見をした!
「水利許可、○○期 ○○立方メートル/s」▪▪▪。
「水利権」
これだ!
川の水は許可なく獲ってはいけないのだ。勝手に水を獲ったら、川の水を飲料とし、田を耕す人達の生活はどうなる。
これが、五郎兵衛用水が近くの布施川から取水できない理由だった。
布施川の水で生活する人が、新参者の五郎兵衛新田に水を渡す訳がない。
今も昔も水利権の確保は大きな問題なのだ。
五郎兵衛新田には新しい川そのものが必要だった。既存の川では水利権を主張され、水を確保することができなかった。
布施川に一直線に用水を合流させれば誰の水だか分からなくなる。
だからこの五郎兵衛用水は山裾沿いにわずかな高低差を利用して流し、「上原分水盤」に届けなければならなかった。
これがこの用水がくねくね曲がっている理由だ。
蛇口を回せば水を得られる感覚の大ボケおやじにはあまりに衝撃的な現実だった。
いや、待てよ。では、鹿曲川から取水している事実はどうなる!
はぁ、仮説は間違っているのか。
またまた大きな疑問を残し、帰京をすることになってしまった。