今日は県内を鉄路で移動中、写真は東北本線です。
特急が海の下(青函トンネル)を通って函館まで行っています。
私の小さい頃はまだ蒸気機関車が走っていました。夏暑い時、窓をあけて涼を取るのですがトンネルに入る時は皆大慌てで窓を閉めていたのを覚えています。それでも鼻が真っ黒になりました。(^ ^;
長く東北の大動脈でしたが、新幹線が来てからすっかり普通のローカル線になってしまいました。この冬青森まで新幹線が通ると特急も走らず、電車の運行はJRの管理から外れ「青い森鉄道」としてバリバリのローカル線になることが決まってます。 (JR貨物は別ですよ。20両連結のコンテナ運搬車は日に何十本も走っています。貨物はいまだに北海道・東北・関東を結ぶ大動脈になっています。)
当時特急で仙台まで4時間、上野までだと9時間、上野まで鈍行で12時間かけていったという猛者もいました。大阪万博に行くため朝6時着の寝台で上野まで行った記憶もあります。それらがすっかりなくなるというのもちょっとさみしいもんですね。ノスタルジ~です。
特急が海の下(青函トンネル)を通って函館まで行っています。
私の小さい頃はまだ蒸気機関車が走っていました。夏暑い時、窓をあけて涼を取るのですがトンネルに入る時は皆大慌てで窓を閉めていたのを覚えています。それでも鼻が真っ黒になりました。(^ ^;
長く東北の大動脈でしたが、新幹線が来てからすっかり普通のローカル線になってしまいました。この冬青森まで新幹線が通ると特急も走らず、電車の運行はJRの管理から外れ「青い森鉄道」としてバリバリのローカル線になることが決まってます。 (JR貨物は別ですよ。20両連結のコンテナ運搬車は日に何十本も走っています。貨物はいまだに北海道・東北・関東を結ぶ大動脈になっています。)
当時特急で仙台まで4時間、上野までだと9時間、上野まで鈍行で12時間かけていったという猛者もいました。大阪万博に行くため朝6時着の寝台で上野まで行った記憶もあります。それらがすっかりなくなるというのもちょっとさみしいもんですね。ノスタルジ~です。