Lightning

歩き続けた先に見たいのは 想像を超えた風と光

スティーブ・ジョブズ

2011-10-07 15:33:48 | 出会いはどれだって
2011年10月5日早朝(米国時間)、スティーブ・ジョブズが亡くなったそうですね。
言わずと知れた、Appleの創始者。
圧倒的存在感とパフォーマンス、そのクリエイティブな発想で、
Appleをここまでのし上げた人間。

Apple/Japanのページがこんな感じになってました↓



世界各国のAppleストアの前には、
花やメッセージが届けられているそう。

生きているとき、批判している人間も多かったけれど、
亡くなったときには誰もがショックを受けて、
そして言わずもがな、花を捧げに行くほどのファンを多く作っていた。

すごい。




私は、「ジョブズすごいなー」と思ってはいたけれど、
まさかその人が亡くなるニュースがここまで自分にとってショックを与えるとは思っていなかった。

たぶん、その内容は、Twitterで話せるほど短くないので、
こっちにまとめておきます。



集約すると、
まだ生きてて欲しかったという気持ちが強い。

だってまだ56歳でしょう?
今の時代で、…56歳で亡くなるって…。うちの父なんてもう72歳だぞー
そう、それがひとつめ。
どんな人間でも、亡くなってしまう…というショック。
天寿を全うする前にね。
なんだかその人が、TVとか、ネットとか、ハコの中だけにいるとさ、
永遠に生きてくれる気がして来るんだよね。もちろん気のせいなのだけど。
いかりや長介が亡くなったときもこのショックは同じものを感じた。
亡くなる、という事実が、ただ悲しい。

そしてふたつめは、
時代は流れて行くんだと言う事実を突きつけられた、ということ。
引退したときにもっとこれを感じるべきだったのかもしれないけど。
よくあるじゃん、引退しても口出すとかは。
けど、もう、二度と、この人が口を出した製品は出てこない。
ジョブズのつくるAppleは、これ以上は生まれない。
つまり、ジョブズじゃない誰かがこれからのAppleを作って行くことになるわけで、
そうすると、否が応にも、Appleは変わる。
そしてその変わったAppleが普通になっていく。
その時代の流れというものを、わかってはいたのだけど、
ジョブズが亡くなったことで、異常に感じた。
たぶん、もう少しゆるゆる変わって欲しかったのだと思う。
引退してからもちょいちょい口を出してもらって。
私たちは「またジョブズ色の濃い製品だわー」とか言いながら笑うんだよ。

そしてみっつめは、
私がジョブズと会う可能性が、もう二度とない、ということ。
何言ってるんだ、生きてても会えねーよ、って?
…自分は、そう思ってないのです。
私は来年就職して、また世界を変える。
高校から大学の世界が一気に広がったように、
また大学と社会人の世界は劇的に変わると思う。
ましてや私はITに足を踏み入れる。
ITは今完全に世界とフラットになろうとしている。
仕事をして行く上で、Appleと関わることがある可能性は大いにある。
そのプロジェクトが大規模だったりすれば…、会う可能性は、あった。
それかWWDCにジョブズが特別講演するのを見に行くとかねw
まあ、これからの未来でどう転んで、いつ同じ空気を吸えるのかとかはわからないわけです。
ここまで世界を魅了した人間。
私はその空気を感じてみたかった。
それが、100%叶わなくなって、悲しい。



もちろん、ジョブズの生み出す作品をもっと見たかったとかもあるけど、
胸にぐっとくる痛さを醸し出しているのは、
このみっつ。

そうそう、オバマ大統領の言葉だったかな。
「ジョブズの死を、ジョブズがつくったモノで知った人がどれだけいただろうか」


すごいことだよ、ほんとうに。




ご冥福をお祈りします。
私たちは、これからの時代を回して行く側になるので、
見ていて下さい。
絶対に面白くするから。