豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2015年03月19日 16時52分45秒 | 日記
 ( Vol 1243 ) 小学校における 道徳教育の教科化は 社会も伴う必要がある

子どもたちへの 道徳観の欠如から 小学校から 道徳教育を教科化しようという

それは 否定しない

人間社会における 最低限の規律 は必要である

現代社会では 目に余る行動が 目につく

まず 子どもから ということだが 子どもだけで良いのだろうか


学校教育で 道徳教育を 受けた子どもたちが 実践社会で 通用しなければ なんにもならない


子どもへの 道徳教育とともに 子どもにとって 先達である大人が 模範を示す必要がある

学校の先生は 学校だけのみの先生であってはならない いつも子どもたちに見られている ということを 意識する必要がある

家庭では 親たちは 学校任せではなく 子どもの受けている 道徳教育を 取り入れた生活態度を とる必要がある

子どもは 親の行動 言動を 見ている


家庭で 街中で 交通機関の中で いたるところで 子どもたちは 先達である大人の行動を見ている

学校での 道徳教育が 活かされる 行動 言動 を意識してもらう必要がある


道徳教育は 学校だけでは 成り立たない

社会も含めて 取り組む必要がある


 






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豊前善三のつれづれ日記

2015年03月19日 11時38分25秒 | 日記
 ( Vol 1241 ) 戦後処理における ドイツと日本には 違いがある

ドイツを戦争へと 突入させ 先頭に立ったのは ヒットラー ナチスドイツ
日本を戦争へと 突入させ 先頭に立ったのは 天皇 日本帝国軍

戦後処理において ドイツと日本では 違いがある


ドイツは ヒットラーおよびナチスの幹部の 制裁
日本は  天皇は除外 日本帝国軍の幹部の 制裁

その中で ドイツは 首謀者は制裁を受けたが 日本は除外者が出た

そこに 違いがある


日本の天皇は 世界に対して 戦争の責任を どうとり 謝罪表明をしたのか

残念ながら 未だに 完全なる表明行動には 出ていない

本来であるなら 他国の国民を 自国民を 大量に犠牲に導いた責任をとり 天皇の処分 天皇制の廃止 が行われるべきであったのではなかったか

国民の政府に対する 憤りを 出せない状態にした

政府は 戦後日本の 混乱を回避する行動に出たが それは 妥当だったのだろうか


日本の政府の 曖昧な戦後の始末 が 戦後処理を 混乱させてきた

日本政府による 戦争被害にあった国の 国民感情を どう考えたのか


旧帝国憲法では 主権を天皇 現憲法では 主権は 国民(在民) 天皇は象徴
という扱いになっている

そのことからすると 旧憲法下における 戦争の責任者は だれか 
それは 天皇である

天皇を動かした 側近達も 同様である

だが 戦後 憲法が改正され 責任の所在を はっきりすることをしなくなった

新憲法下における政府閣僚 政治家たちは いかに天皇を 利用するかに終始

天皇の利用価値を 真の終結ということに 見いださず 象徴という中に 押し込めてしまった

天皇自身の 本心をも示すことができない 状況を生んだ

今日 日本は 真に戦後を終わらせるには 天皇の戦後処理を しなければならない のではないか

天皇自身の 考えによる 行動 が必要ではないか

現憲法は 天皇は 象徴 政治に関与は できない

その中で 戦争の当事者であった 天皇は どのような 行動をすべきか

いまこそ 考えなければならない のではないか

それには 現政権閣僚が 天皇の意思をくんだ 行動を とるべきではないか

靖国問題 慰安婦問題も 根底には 首謀者が 戦争責任を いまだ 処理されていないところにあるのではないか


現日本政府として 旧憲法下における政府を糾弾し 清算することではないか

清算には 天皇の責任糾弾は 必要不可欠なものである








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