「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

5、パリ ⑥

2022年10月07日 07時56分00秒 | 田辺聖子・エッセー集










・四月六日のパリの夕ぐれは、
バラ色の空である。

それが退光色になり、ワイン色になり、
サクレクールから下りてゆくと、
木々の梢がワイン色を背景に、
黒々ときれいに浮き上がる。

そうして丘の坂道、両側の窓々に、
ぽっと灯がともりはじめる。

古風なオレンジ色の灯である。

まだ夕空は美しく明るいので、
カーテンは閉められていない。

壁紙のなまめかしい彩り、
シャンデリアのきらめき、
窓際の机の片はしなどが見え、
白い服に金髪の婦人の影が、
レースのカーテンの向こうにいるのは、
つましい年金生活者の、
ケチで利己的なパリの小市民ではなく、
美少年のパウロや、
淫蕩な美丈夫ギド・ド・ギッシュでないといけない。

パリというのは、
そういう想像をかきたてるので厄介である。

額縁としても美しい町であって、
中へ何をもってきても、
サマになるというところがある。

やがて灯は見る間にふえてゆく。

五階、七階、屋根裏にも灯がつく。

冷たい風になって、
町にも黄昏が敷石道からたちのぼってくる。

ピガール広場を出たところ、
街の女がいっぱい立っていて、
車に乗って人まち顔の女もいる。

車内燈をつけて煙草をふかしたり、
している。

身なりは凝っていて化粧が濃い。

「車持ってるのはアマゾネスといいます。
車持ち娼婦は少し高級になるらしい」

とムッシュ・フランソワーズの話。

この辺の盛り場は軒並み、
物すごいセックスショップで、
日本人男性が行列して肩を並べ、
踵を接して歩いている。

ピカピカのネオンの下で、
フランス男性が声をからして、

「いらっしゃい、いらっしゃい」

と日本語でやっていた。

もう、どうしようもないという感じ。

フランス人は(日本人、あほやなあ)
と嗤っているであろう。

実際、あほなのだから仕方ない。

外国の男も、
他国へ行けば女を買うであろうから、
男というものはそうなのかもしれないが、
群れをなして肩を並べてくりこむ、
ということはしないにちがいない。

なんで日本の男は、
淫靡なる楽しみごとに集団でやるのか、
徒党を組むのは赤穂義士だけではないらしい。

私はよくわからないけれど、
日本男児のそういう楽しみ事は個人的なものではなく、
社交的にオープンなものであるらしい。

ムッシュ・フランソワーズが、
ベトナム料理の次に連れていってくれたところは、
「ラルチーヌの母さんの家」
という、通りがかりの家庭的なレストランで、
アマゾネスたちがたむろしている通りから歩いて行けたから、
いうなら盛り場の裏の、ちょっと小暗い街である。

とても太ったおかみさんが、
スカートをゆすってやって来て注文を聞く。

このおかみさんが「ラルチーヌの母さん」かも知れない。

かたつむりと、アンチョビー、ゆでジャガイモに、
パルミエというあっさりした椰子の芽などが前菜で、
また、リカーを飲んだ。

ちびちびと食前酒などを飲み、
あっさりした前菜をやりながら、

「うちのフランソワーズが・・・」

というのを聞くのは、
よいものである。

このレストランは常連の来る店らしく、
若いカップル、親子連れ、
私たちの横に、中年の一人者が食事をとりながら、
ラルチーヌの母さんと親しそうに話をしている。

「フランス人は、
自分の生まれ育った町がいちばんいいと信じていて、
そこから外へ出ない人が多い。
パリっ子もそうだ」

ムッシュ・フランソワーズの話であった。

「うちのフランソワーズのおばあちゃんが、
結婚式に列席してくれたけど、
生まれながらのパリっ子なんだけど、
ヨソの区へ出かけたのは四十年ぶり、
ということです」

という物凄い話であった。






          


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5、パリ ⑤

2022年10月06日 09時06分40秒 | 田辺聖子・エッセー集










・十年前来たときパリは道路工事がさかんで、
穴ぼこだらけであったが、
働いている労働者はアルジェリア人が多かった。

いまもそうである。

パリも就職難であるが、
それでも人のことをとやかく言わないから、
パリは暮らしやすいらしい。

パリへ来て、
人間の視線が柔らかいのは、
人のことをかまわない風潮のせいかもしれない。

そういうところ、神戸に似ている。

神戸は新しい町だから解放的なせいもあるが、
パリは古いのに、人のことをかまわないのだ。

京都は古い町で、
だから人のことをかまうのだ、
と私は解釈していたが、
パリなどは古いから、
人のことはかまわないのであるらしい。

「そういう町に住みたいですなあ」

とおっちゃんはいっていた。

おっちゃんはスペインやイタリア人の人なつこさ、
好奇心満々の強い視線などというものは、
「うとましい」のだそうである。

スペインみたいに、
となり近所がまるでオール親戚というように、
べちゃべちゃしたのはかなわない、
というのだ。

「下町の人情、というのは、
この年になると、しんどいですなあ」

「今までさんざん、
しつくしてきたかもしれないですね。
奄美もそうかもしれないけど、
大阪の下町育ちの私もそうですよ」

「いや、それはもう、
奄美と大阪では、肌馴れの熱さはケタが違う。
離島の人間関係のわずらわしさは、
大阪どころの比ではない。
大阪は、いうてもまだ、大都会ですから、
いく分かは・・隣は何をする人ぞ・・という気分がありますが、
奄美なんぞは三代前から素性が分かっている」

おっちゃんのお袋の在所の村など、
市村九十戸中、実に七十戸まで縁戚関係という、
血縁密度のたかいところで、
そうなるともう、一つの大家族みたいなもの、
それを押しすすめていくと、
奄美の本島事態、知人縁者相関図が出来上がってしまう。

それは人々の心をやさしくし、平和にするが、
その代わり、それをいったん重荷に感じはじめたら、
まるで軛のように思われるであろう。

人生中年で、血縁同族の血の熱さに、
郷愁を感じはじめる人もあるであろうが、
その頃に、反対に離れていきたくなる手合いもいる。

中年になって「血の熱さ」へ戻りたくなる人が人情家で、
嫌いになって離れる人が不人情とはいえない。

パリに住みたい、とおっちゃんはいうが、
私は友人次第である。

おしゃべりができて、酒が飲めて、
遊べる友人がいるなら、パリに住んでもよい、
それから今の私なら、
まだいくばくかの元気もあるので、
スペインやイタリアの「下町人情」も、
さしてわずらわしくない、
そこはおっちゃんとは違う。

ただ、長く住もうとは思わない。
また「終(つい)のすみか」にしようとも思わない。

そういえば、神戸はパリに似ていて、
何年も住んでいても隣は何をする人かわからぬのであった。

誰も人のことを気にかけない、
不人情なのではないが、
わずらわしいことはしたくないという、
考えるとやっぱり、神戸はパリに似ているかもしれない。

ただそうはいってもパリとは気候がちがう。
気候からいうと、四季温暖で海に面して明るい神戸がよい。

美しさからいうと、
それはパリの美しさは厚みがちがう。

ローマの中世そのままの町並みもよかったが、
ムッシュ・フランソワーズが夕方の散歩に連れ出してくれた、
モンマルトルの丘からの、パリの眺めは、
江戸錦絵の色である。






          



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5、パリ ④

2022年10月05日 08時29分56秒 | 田辺聖子・エッセー集










・食前酒を喫茶店で飲んでおしゃべりをたのしむ。

ピガール広場近く、そんな店へ行ったら、
コーラの広告のある、日本の観光地の売店のような店、
カウンターに五、六人の労働者風の男が立って、
グラスを前に、しきりにしゃべっていた。

キールという食前酒なんか、飲むそうである。
私はリカーを飲んだ。

ちょっと変な味で、
木の皮を煎じたような、アブサンめいた強烈な味、
しかし、食後にいいかもしれない。

胃の働きがにぶっているのを、
引き締めてくれるかもわからない。

しかし、食前に飲むと、
眠っていた胃がめざめて、
シャンとするかもしれない。

食欲を刺戟し、
舌を敏感にしてくれるかもしれない。

要するに私にとっては、
いつ飲んでもいい酒なのであって、
二杯目、三杯目と飲むほどに、

「いいんじゃないでしょうか、これは」

ということになってしまう。

「よくない酒、
というのが今までありましたか?」

とおっちゃんにいわれてしまう。

全く、味覚に無節操な私は、
どんな酒をもってこられても美酒に思われ、
「いいんじゃないでしょうか、これ」
になってしまう。

それでも私にも、困る酒があって、
それは例のやつ、甘口の日本酒、
ドンゴロスの砂糖を何袋も投げこんだような、
ねとつく日本酒である。

盃も指もネトネトして、
胸がもたれてしまう。

そこへくると、
ヴェニスで試みたグラッパーといい、
リカーといい、一滴よく心気を爽快にし、
鬱を散ずる零酒であって、
まことに男らしい酒である。

ムッシュ・フランソワーズが連れて行ってくれた所は、
結局、ベトナム料理であった。

わりに安くて、そして東洋風なのが、
いまパリっ子の新しがり屋に受けていて、
はやってる店だそうである。

美青年が主人(マスター)で、
ムッシュ・フランソワーズの友達だそうである。

マスターの妻はベトナム人で、
もう九時すぎの時刻だったから、
夫人は自宅へ帰るらしく、
店を横切って出て行った。

親子連れ、カップルなどが来ていて、
家庭的な店である。

中国風の幟や、宮燈が下がっていて、
ベトナムというより華僑風、
シンガポールの中国料理のようである。

ここで食べたものをご紹介したいのだが、
残念ながら忘れてしまった。

麺類のスープ、
ワンタンメンのごときもの、
何だか炒め物、
といったものが出て、
それはかなり美味しいのであるが、
というのは、舌に馴れた味であって、
とりたてて、おぼえようというほどのものではないので、
何もひっかからずに、
品名さえ忘れてしまった。

暖かくて美味しかったので、
けっこうでした、ということで店を出た。

ベトナム妻が帰ったあと、
マスター一人が店をやっていて、
何だか馴れずに、
マゴマゴしている素人くさい印象で、
なかなかよかった。

ベトナム妻といえば、
パリにはベトナム人も多いそうだ。

パリには「外人」が多く住みついている。

パリというと、
私など「ベルばら」を思い、
フランス映画を思い、
粋なフランス人男女が、
セーヌ河畔を手を携えて逍遥している姿を、
思い浮かべずにはいられないのであるが、
現実には、種々雑多な人種のるつぼであって、
いや、日本人もゴロゴロ、
パリは生きやすいのであるらしい。






          



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5、パリ ③

2022年10月04日 08時53分46秒 | 田辺聖子・エッセー集










・日本のホテルなら、
タクシーは乗りやすいが、
パリではタクシーは実につかまえにくい。

まだ春は浅いので、パリの風は冷たく、
アメリカ人観光客は毛皮を着ている。

吹きっさらしのホテルの前で何十分も待って行列してるが、
タクシーはなかなか来ない。

街を流しているタクシーもつかまえにくい。

たまに停まってくれたかと思うと、
横の座席に犬を乗せていて、
うしろにせいぜい二人、
それ以上乗ろうとすると、
「ノン」といわれてしまう。

日本のタクシーみたいに、
横へ二人、うしろへ三人、なんて乗せてくれない。

ホテルはマイヨー門のちかくで、
メトロの駅もつい、そこであるから、
タクシー乗り場でしびれを切らして、
とうとう地下鉄に乗る、
といったこともたびたびである。

ロンドンの地下鉄もわかりやすいが、
パリもそうむつかしくなく、
早くてずっとよい。

それで、案内役の青年が連れ歩いてくれる時は、
よくメトロを使った。

彼は日本からパリへ勉強に来て、
「ミイラ取りがミイラになった」そうである。

フランス女性と結婚したばかりで、
「うちのフランソワーズが、うちのフランソワーズが」
と口ぐせにいう、やさしい好青年である。

ムッシュ・フランソワーズは、
私たちがパリの赤提灯を探索したいというと、
少し困惑気味であった。

そういうのに該当するところは考えつかない、
というのだ。

「屋台はおまへんか、
こう、カキを割ってすぐ手づかみで食べられる、
というのを写真で見ましたが」

カモカのおっちゃんは熱心にいう。

四月の声を聞くと、カキは少し遅く、
「屋台、屋台ねえ・・・」
ムッシュ・フランソワーズは必死に考え込む。

彼の話では、
ギリシャ料理とかアルジェリア料理とか、
そういう店に、そんな感じの店が多いということである。

私は、
「フランス料理を食べさせる安い店」
と注文したのだ。

労働者がふだん食べている料理と、
ワインで以て安直に食べられる、
そんなところを想像したのであった。

そういう私の頭にあるのは、
国道沿いの大衆食堂、
運転手の行くような店、
いうならフランス映画『ヘッドライト』に出てくる、
運転手の行く安食堂である。

日本にも、
長距離トラック運転手向きの食堂があるが、
べつにそれでなくても下町には、
安直な食堂がある。

私の家の近くの伊丹市場の中のうどん屋も、
市場従業員や、近くの労働者にとって、
たいへん便利な店である。

うどんそばの類はもちろん、
どんぶり物から、味噌汁、おかず、
漬物のたぐいまでそろっている。

そうして、おかずはガラスケースに一皿ごと入れられて、
しめさば、塩さんまの焼いたの、トンカツ、煮魚、
いわしのフライ、なんかが並んでいて、
好きなのを指して取ってもらうことが出来る。

トマトを輪切りにした一皿、
大根おろしにちりめんじゃこをかけた一皿、
漬物の一皿、
などという、日本料理が並んでいて、
何を見ても美味しくみえる。

ごはんは大盛り、中盛り、小盛り、とあり、
二百円もあれば、バランスのとれた昼食が出来る店。

夜はそこで安い酒やビールが飲める。

雨が降るとか休みの日は、
朝からおっさんが、焼肉なんかでビールを飲んでいる。

そうして赤い顔をして、

「休み、ちゅうのは、
何してええか、わからんもんやな」

とおかみさんに話しかけたりし、
おかみさんも忙しいからろくに返事もしない。

おっさんは一人でしゃべり、
一人で返事して、合間に一人で笑い、
誰かに相手になってもらいたそうに、
ぐるりを見わたす、そういう店である。

そういう店が日本の都会の下町には必ずある、
そういうところを見たいのであるが、
そんなややこしいのはパリにはないらしい。

むしろそういうのに当る店は、
「喫茶店になります」ということであった。






          


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5、パリ ②

2022年10月03日 08時19分20秒 | 田辺聖子・エッセー集










・パリでのホテルはメリディアン、
これは有名なパリ一高い建物の、
ラファイエットホテルの向かいで、
タクシーの運転手に、
「メリディアン」といっても知らない人もいるが、
「ラファイエットの向かい」といえばすぐ連れていってくれる。

アメリカ風ビジネスホテルといった感じで、
東京や大阪のホテルにいるのと変わりはない。

フロントや両替の窓口に、
日本人ではなく外人が坐ってるだけの話、
日本人旅行者も多く、
私がロビーをうろうろしていると、
「原稿出来ましたか?」と、
編集者に声をかけられそうな気がする。

こんどの旅で、第一夜めに泊ったパリのホテルは、
ウインザーというのであった。

凱旋門の近くにある小さなホテルで、
部屋も小ぎれいで家庭的である。

夜おそく着き、朝早く発ったから、
くわしくはわからないけれど、
ホテルはこんな風に小規模のほうが、
パリでは味がある気がされる。

メリディアンホテルなどは売店に行くと、
行き届いた日本人女性の売り子がいて、
「スカーフはこんなガラしか、
ないんでございますけど」と、
取り出してくれたりして、
たいそう便利ではあるが、
外国のホテルに泊ってる、といった、
情趣に乏しいわけである。

ホテルニューオータニあたりをぶらぶらしているようで、
おまけに、
向かいのラファイエットホテルには地下街がある。

こんなところを歩いていると、
神戸か大阪か、さっぱりわからない。

尤も、神戸のさんちかタウン、
大阪の虹のまちや阪急の地下街は、
人波織るごとく、
両側の商店はいつみても出入りがはげしいが、
パリの地下街はまことに閑散である。

そこだけが違う。

それに雑誌も服も、
たいして購買欲をそそるものがなくて、
私はセリーヌもエルメスも、
なんにもこれといって欲しくない方であるから、
どうということのない通りである。

絨毯敷きの床を子犬が貴婦人に連れられて、
ころがるように歩いており、
貴婦人が立ち止まったかと思うと、
子犬は柱の根元に小便をした。

フランス人は、
電車内でも街でも犬を連れて歩いているが、
必然的に、犬はどこへでも排泄する。

地下街の絨毯のところでやったので、私は、
(フランス人は大らかなもんだなあ)
と思った。

貴婦人は子犬がすむあいだ、
じっと立ち止まり、絨毯の色が変っていくのを、
当り前のように見ていて、無感動である。

日本人だと、土や舗道ならともかく、
敷き物のあるところで色変わりなどさせられては、
周章狼狽、あたりを見まわし、
消え入るばかりの思いをし、
詮無いことと知りながら小声で、
「あほ!」と犬の頭を叩いたりする。

そんなことが一向、
フランス人にはないらしい。

パリへ行く人、
ラファイエットホテルの地下街、
絨毯が敷いてあると思って、
腰を下ろしたり、
バッグをじかに置いたりしないほうがいい。

何をしとるかわからへん、
というところがある。






          


(次回へ)

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