「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

5、パリ ①

2022年10月02日 08時26分28秒 | 田辺聖子・エッセー集










・バルセロナの空港からイベリヤ航空パリ行きに乗ると、
機内はわりに空いていて、
機内食は、ハム、パン、ワインという献立、
あとでコーヒーが出て終わるという軽食である。

これでオルリー空港には一時間くらいで着き、
ちょうどお昼の十二時になっている、
という段取り。

中で実費でウイスキーが飲めたりする。

赤ワインは美味しいというほどのものではないが、
いけなくはない。

これに何か一品添えると、
ご馳走といってもいいものになる。

ここのパンも堅く、
カチグリのようであるが噛みしめているうち、
旨味が出てくるという、備荒食のような代物である。

カモカのおっちゃんは歯がよいのが自慢であるが、

「はじめは堅うてまずかったパンが、
美味しゅうなりました」と満足であった。

「食事には、
この堅いパンがないと物足らんようになった。
これ食べたら、日本のバタや何やと、
ふんだんに入れてフワフワした綿菓子みたいな、
柔いパンは食えまへん。
このカチグリパンと、美味しいワインがあれば、
ご馳走です」

西洋にはよく、
パンとワインが食事の象徴として出てくる。

われわれ日本人は、
というより昔ニンゲンは、
ワインというと赤玉ポートワインを思い浮かべ、
さながら、色付き砂糖水の如きを連想する。

またパンというとアンパンを思い浮かべ、
あるいはジャムパンを思う、
そういう間食・おやつを食べて、
腹ふくれさせている西洋人があわれに思われ、
いかにも怱忙のうちに、
その辺の安物を手当たり次第に口へ運んで、
飢えをしのいでいる、といった印象であった。

『田舎司祭の日記』を映画で見たが、
貧しい司祭が、
パンとワインだけの夕食を摂っている場面があった。

いかにも貧窮の印象に見えたが、
実際にヨーロッパへ来てパンとワインを食べてみると、
美味かつ腹ふくるる食べ物であって、
これにハムとコーヒーがついている機内食は、
軽食というより、ちゃんとした食事の体を成している。

何でもその土地へ来て、
実際に味わってみないとわからないものだ。
当然のことだけど。

フランスはサマータイムではないので、
時計を一時間ずらせ、
十二時にオルリー空港に下りてみると、
とたんに、フランス語の洪水、
耳に当るひびきが柔いのに感動する。

それと、人の視線の当りが柔かである。
しまいに空気まで柔かである気がされる。

すべてスペインから来たての身には、
一々、ことさらにひびく。

してみると、スペインは、
言葉のひびきもするどく、
視線が射るごとく、
その中に悪意はないのはわかるが、
要するに、すべてにわたって、
「むきつけ」な国であるといってよい。

以前、日光の東照宮を中心に、
私は旅したことがあったが、
あのあたりはまことに殺伐とした風土に感じられた。

どこが、ということなく、
栃木茨城、常陸のあたり人気(じんき)あらく、
王城の地から行くと、
「あづまえびす」という感じで、
風の当りも物すごし、というところ。

さながらフランスから逆にスペインへ行ったのと、
同じ感懐を抱かされた。

あづまえびすのあたりの人間の顔立ちは、
全く、関西の顔とちがっていた。

視線がするどく、言葉が荒く、
(人が悪い、悪くない、ということとは別である)
むきつけの風が吹いていた。

そういう精神風土の土地は、
どこにもあるものらしい。






          


(次回へ)

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4、バルセロナ ⑦

2022年10月01日 08時20分52秒 | 田辺聖子・エッセー集










・カタルニヤスープは、
レストランの味というより、家庭惣菜風、
いや「のこりもの」風、というべきか、
冷蔵庫ののこりものをさらえて煮込んだ、という感じ、
しかしこれと、あっさりした塩味パン、
それにワイン樽からついでくれる白ワインで食べるのは、
よく味が調和して、安心して食べられる。

気取らない料理、クセのない美味で、
これはいうなら、都会の田舎料理であろう。

長いことつくり慣れて、
舌によく消化(こな)れている味である。

そうして、いかにも、出処がはっきりしている味である。

つまり、
あんまり手のこんだフランス料理などであると、
この味はなんでこういう玄妙な味になるのか、
乏しい我々の引き出しにはない。

そこへくると、
この海岸通りの船員食堂の「なんとか亭」は、
何を煮込んで、香辛料はこの程度、
というのが見当のつく気がして、
それゆえに、安心して食べられる味なのであった。

こういう店が近くにあったら、
私はもう、食事の支度をしないで、
毎晩、通うところであるが。

白ワインはガラスの水差しに波々とつがれて、
一枚板のテーブルに置かれる。
地酒らしい素朴な味もよい。

入り口のガラスケースには、
ムール貝やエビ、それにレモンが山盛り、
ピーマンなども積んであるので、
また、パエリヤを注文する。

大将はかなりたってから、
両手に支えて、熱々の鉄鍋をはこんで来、
取り分けてくれた。

この味は、マドリッドのレストランより、
やっぱりずっと大衆的で、
マドリッドほどのコクはなかったが、
それでも、熱いパエリヤに舌を焦がして、
冷たい白ワインで冷やすのは悪くない。

この店は安くて、
これだけで一人千五百円くらい。

大将は皿をひきながら、遠慮がちに、

「ヴェノ?」と聞く。黙っていたら、

「美味しいか?といってるのだと思いますが」

とホトトギス氏がいい、あわてて、

「ヴェノ、ヴェノ」と答えた。

外はレストランの灯も一つ消え、二つ消えして、
何しろ人通りの少ない町だから、
闇に沈んでしまう。

バルセロナ、
四月はじめの夜の風は冷たい。

私は毛皮のストールを首にまいて帰ってきた。
明日はバルセロナを出発しなければいけない。

「意外にいいところでしたねえ」

という、みんなの結論になった。

「大人の町、いう気ぃがしました。
落ち着いて、しっとりしてる。
それに人が少ないのも気に入った」

とおっちゃん。

たまたま、
人の少ないところを歩いただけかもしれない。

「だって、バルセロナは、
スペイン第二の都会、といいますから、
百何十万、いや何百万の人口かな」

「第二というのがよろしいなあ。
何でも第一というのはあきまへん」

それは私も賛成である。

私は、なるべく目立たない方がよい。
一番より二番がよい。

「美人コンテストでも、
ナンバーワンよりナンバーツーの方が、
より美人であることが多いです」

とホトトギス氏は、意見を述べた。

マドリッドよりバルセロナの方が、
すてき!ということになった。

「小説もそうで、
文学賞の当選作より、
佳作、候補作の方が面白いときがあります」

と私。

「本妻より二号、というようなもんですな」

とおっちゃん。

「亭主よりツバメですか」

とホトトギス氏も、遠慮がちに感懐を述べた。

明日はパリである。

バルセロナへは汽車で入ったが、
出て行くときは飛行機、
イベリヤ航空のパリ行きには、
機内食に何が出るのかしらん。






          


(了)

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4、バルセロナ ⑥

2022年09月30日 08時34分07秒 | 田辺聖子・エッセー集










・「お昼は高級でしたから、
夜はすこし毛色の変わった店をさがしますか、
港町ですから、船員さんの行く店があるはずです」

とホトトギス氏がいった。

旧市街のプリンセサ通り、
小さい手ごろのレストランが並んでいて、
おもてにメニューと値段表が出ている。

町はわりあい暗くて、
その感じも神戸に似ている。

神戸は盛り場をのぞくと、わりに夜は暗い。

海岸通りを控えたビジネス街などしんとしているが、
バルセロナもそうである。

明るく灯がついている店があり、
ガラス戸からのぞくと、
食べ物屋というより、
居酒屋風、船員バーかもしれない。

もうちょっと食べ物の匂いのするところがいいだろうというので、
更に歩く。

こっち側とあっち側、
とびとびに大衆食堂みたいな店があって、
日本でいうなら、
国道沿いのトラック運転手の行くようなレストランがあった。

一軒に入ったら、中はわりあい広くて、
カウンターでは常連らしき男たちが飲んだり食べたり、
している。

船員かもしれない。
神戸でも「ギリシャ・ビレッジ」や、
「キングス・アーム」へ行くと、
各国の船員が群れているが、
その雰囲気があった。

船員食堂のメニューは、
たいてい、スペイン語の下にフランス語、
英語の順に書いてある。

店の名はわからないけれど、
さながら、港町の「なんとか亭」という感じ、
まだ若い、三十代くらいの、しっかりした顔の男と、
そのおかみさんらしい、なかなか美人の女と、
二人がせっせと働いている。

奥へ入ると、いやな顔せず若い主人はうなずき、
案内してくれた。

テーブルは厚い一枚板で頑丈なもの、
テーブルクロスはないが、紙を敷いてくれる。

天井の梁にはワインの瓶がくくりつけてあり、
中二階のようなところに、ワインの樽が並んでいた。

交叉した梁には銅のさまざまな形の鉢が吊り下げられ、
奥の部屋は灯が消えていて、椅子はテーブルに伏せてある。

壁にはフラメンコのポスターが貼ってあった。

壁から天井は油煙と煤のため黒ずみ、
キビキビ働く美人のよめさんといい、
無口でまじめなもの悲しい顔の主人といい、
なかなかよい船員食堂である。

安いせいか、若い男女も入ってくる。

裏通りも入り口になっているのか、
奥の色ガラスのドアを開け、
学生風の男女が入って来た。

(やってる?)と聞いたのだろうか、
大将はうなずいて二人を入れたが、
裏のドアに鍵をかけてしまった。

まだそんな時間ではないが、
十時閉店というところかもしれない。

いちばん奥の机で、子供が勉強していた。

ここの子供なのか、同じような年ごろの男の子と女の子、
ノートに鉛筆を走らせ、本を繰っている。

家庭的な店である。

いつもその机を勉強机にしているのかもしれない。
物なれた様子で、こっちを見もしないのであった。

我々が食べているうちに、
いつか、いなくなった。

ここで注文したのは、
カタルニヤ地方のスープ、
これはお国料理というべきものであるが、
野菜、ハム、屑肉の煮込みといったもの。

アンダルシアスープというのも注文してみたら、
これは雑炊風で、セロリ、人参、じゃが芋、ベーコン、
米、豆、肉、菜っぱをみじんに切って煮込んだ、
スープというよりシチューというようなものだった。

ここの料理は、
串焼きの肉が特徴で、
それを注文したら、
とてつも長い串焼きがきた。

三十センチはあろうという長さの木の枝に、
びっしり肉が貫いてある。

何の枝か、わからない。
白い肌の木をむいて削ったもの。

「そうか、日本と違(ちご)て、
竹がないねんなあ、気の毒に」

とみんなで気がついた。

「やっぱり、串焼きは、竹でないと具合悪い」

「串を口にくわえて、コップ酒をすする、
というのでないと、格好つきません」

おっちゃんは、
いつも新開地の串カツ屋でやりなれていることゆえ、
残念そうであった。

肉は牛肉で鳥ではなかった。






          


(次回へ)

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4、バルセロナ ⑤

2022年09月29日 08時16分41秒 | 田辺聖子・エッセー集










・新市街は旧市街と、がらりと趣がちがい、
モダンでしゃれて、閑静である。

魚料理の大きい店があるので入ったら、
これが、中に生簀があって、
魚やエビを豪勢に泳がせ、
たくさんの黒服蝶ネクタイの給仕が、
右往左往しているという、
高そうな店。

「時価ばっかりかもしれません」

ホトトギス氏は、
スペインへ来て買いこんだ英西辞典を早速、繰る。
(スペインの日本語表記ー西班牙)

熱心な青年である。
若者はこうでなくてはいけない。

ここではフィッシュスープ、
それにカニとカレイ、
イカの挽肉づめという、
海のものばかり、
味は洗練されていたけれど、
かなり値段が高かった。

あとで物の本を読むと、
バルセロナは物価が高いとあって、
それは商店のショーウインドのセンスのよさと、
無関係ではないらしく思われる。

しかし、レストランは昼の食事どきなので、
二階までよくつまり、子供連れも多い。

考えてみると、
ヴェニスといい、ローマといい、
マドリッド、バルセロナ、
みな魚や貝のあとを追いかけている。

安くておいしいもの、
となると魚介類におちつくのかもしれない。

それにヴァラエティを求めると、
やっぱり、小魚、イカ、貝などを食べることになる。

フィッシュスープは、
日本のうしお汁よりコクがあった。

熱いスープで、
野菜や魚肉が入っていたけれども、
なまぐさくはない。

そうたいに上品な味のレストランであるが、
店の片方は、お総菜風の魚料理があり、

「あっちの方が面白かったかもしれません」

ということになる。

しかし、日本で魚ばかりの西洋料理の店は、
さがすのがむつかしい。

日本料理なら魚ばかりで通せるが、
スープからず~っと魚や貝、というレストランは、
ちょっとないかもしれない。

ここの給仕も、
がっしりした壮年の男であるが、
カレイの大皿をかたわらのテーブルに置き、
大きい手の中へかくれてしまうほど、
小さく見えるナイフとフォークで以て、

「チョイ、チョイ、チョイ」

と動かすと、
奇蹟のように魚は、骨が離れ、
ふんわりした身だけ残った。

彼はそれをうやうやしくテーブルに持って来る。
ローマでもヴェニスでも感心した西洋人の器用さである。

このあいだ、新聞を見ていたら、
日本の家庭にも箸の全くない家があらわれた、
という記事があって、
若い人はそこまで来たかと感心したが、
学者がそれについて論評していた。

手先の器用なのは、
頭脳の進歩をもともなうので、
箸使いの出来ない子供が増えるというのは、
嘆かわしいことだそうである。

しかし、ナイフとフォークでも、
完全に使いこなすのはたいそうむつかいいもので、
ことに箸を使うと、片方は遊ばせるが、
ナイフとフォークは両手を使わないといけない。

左手など、ことに習練が要り、
給仕の男性のように、
「チョイ、チョイ、チョイ」で、
魚の肉を骨ばなれさせるのは、大変な技術、
しかも骨の山を見ると、
身はひときれもついていず、
箸を使っても、こううまく出来るとは思えない。






          


(次回へ)

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4、バルセロナ ④

2022年09月28日 08時42分44秒 | 田辺聖子・エッセー集










・古いたてもの、というと、私はなぜか、
住んでみたくてたまらなくなる。

それはたてものの妖気、
そのへんのたたずまいの毒に、
中てられるのかもしれない。

以前に京都御所を見学させてもらって、
私は当時、『新・源氏物語』を書いていたので、
特別のルートでたのんで、
清涼殿と飛香舎(ひぎょうしゃ)へあげてもらった。

安政年間にたてられたものだが、
古制にのっとって作られていて、
全く平安時代のままなのである。

清涼殿の勾欄から、
滝口の御溝(みかわ)など見ていると、
住みたくてたまらなくなってきた。

二、三日貸して下さいませんかといいたくて、
ノドがムズムズするのであった。

しかしそれは、
王朝文学の毒気に中てられたせいかもしれない。

パリの古いたてものの、
屋根裏部屋に住む人が、
トイレのたびに五階下まで上り下りする、
その部屋は『巴里祭』に出てくるようなところで、
窓を開けると目の前に教会があって・・・
なんて聞くと心をそそられ、
私も住みたくてたまらないのであった。

屋根裏ぐらしの人がうらやましくて、
そういうところに住んで、
もう日本なんかへ帰らなくったっていい、
人生や、歳月の風趣、
身に沁むばかりの暮らしに浸りきってしまいたい、
と空想する。

サマセット・モームの小説に、
遠い異郷の果てへ旅した男が、
ふとそこに魅力を感じて住みつき、
失踪してしまう、というのがあった。

私はそんな自由な生き方にとてもあこがれる。

北極探検や南極探検、山登り、洞穴もぐり、
そういうのにはあこがれなくて、
やりたいとも思わないが、
情趣のある異郷に、ふと住みつき、
日々を消すというのが好ましい。

そういう意味で、
バルセロナの旧市街に身をひそめる、
というのも面白そうに思われた。

そういう私の空想に、おっちゃんは、

「あほな」と言い捨て、

「あんな古いたてもの、
内部(なか)は不自由に決まってます。
日本のマンションに住んで、
湯ぅや水出て、冷暖房完備に慣れてたら、
あんな古ぼけたとこ、住めるかいな」

というのである。

これはおっちゃんの、
というより男の冷静さかもしれないけれど、
しかし、ほんとに異郷にズラかるのは、
男の方であろう。

私は以前、「渡り鳥」について考察し、
「渡り鳥・シェーン」は必ず男で、
女の渡り鳥はいない、と書いた。

なんとなれば女は子供を産むから、
その地に定着してしまう。

渡り鳥になれない。

飄然とやってきて住みつき、
飄然と去って行く、
というのに女もあこがれるが、
そのうち、人生のお荷物が出来、
オムツを洗ったり離乳食を作ったりしているうちに、
お荷物は学齢に達し、学校へ入れるには、
住民登録も必要になるという次第で、
中々、次の土地へ飄然と去れない仕組みになっている。

これは、人によると、

「しかし女にも鳥追い女というのがあり、
鳥追い笠をかぶって、
村から町へ放浪してます」

といったり、

「町でも、子連れ狼や板割の浅太郎、
というような子供を背負ってがんばるのがいます」

などという。

しかし、大体に於て、猫と女は家にいつき、
そう簡単に漂泊の旅に出られないようになっている。

私があちこちで、

「住みたいな。
そしてここで一生送って、
べつに日本へ帰らなくてもよい」と思うのは、

私の下らぬセンチメンタリズムと旅疲れによる、
エネルギーの衰弱であろう。

ただ、日本へ帰って、
(あんなところがあった、
ああいうところで住みたい、と思った)
と思い出すのは、たいそう楽しいことで、
旅の収穫の一つである。

このバルセロナでは、
マドリッドのようなにぎわしい居酒屋は、
見当たらなかった。

大体が海沿いの町なので、
魚の美味しいところであるはずだが、
マドリッドの下町のように、
店先で小エビをジュウジュウ焼いていたり、
イワシを揚げて、「さあ、いらはい、いらはい」
と呼びこんでいるような活気はなかった。






          


(次回へ)

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