
・六條御息所の姫宮は、
母君亡きあと忍び泣かれること多かった。
姫宮は十九になっていられたが、
大人の男性のあしらいかたもわからず、
途方にくれるばかりの純真な乙女である。
源氏の兄君・朱雀帝在位中、
伊勢の斎宮として神に仕える暮らしをされ、
朱雀帝譲位後、任果てて、
若く美しき姫宮として源氏の前に現れた。
源氏は亡き恋人・御息所への愛に賭けても、
誠実でありたかった。
源氏は壮年期を迎えながら、
年ごろの娘を持たないので、
親友の権中納言(かつての頭の中将)が、
娘を入内させているのがうらやましかった。
わが娘代わりに、
あの姫宮を大切にかしずき、
お世話をして後宮に送り込む、
というのもすばらしい思いつきであった。
源氏はねんごろに心こめて姫宮のお世話をし、
折々は六條邸へ出かけるようになった。
この六條邸に仕える女房たちは、
女別当や内侍といった、
斎宮の女官たち、
また身分いやしからぬ婦人たちなどで、
見識もあり趣味の良い女房が多かった。
(こういう人々がついているなら、
宮中でのつきあいや、
他の女御におくれをとられることはあるまい)
と源氏は考える。
姫宮ご入内の件は、
自分の胸一つに深く秘めて、
誰にも明かさなかった。
そうして御息所の忌日ごとの仏事を、
ねんごろに営むので、
姫宮家の人々はありがたいことと、
喜んでいた。
姫宮にとって、
はかなく月日は過ぎてゆく。
母君を失った悲しみは深まるばかり。
仕えている人たちも、
しだいに暇を取って散り始めた。
六條邸は下京の京極へんにあるので、
ひと気なく、山寺の鐘など聞こえて、
姫宮は悲しさと心細さで、
ほろほろと涙をこぼされる。
ところが、
姫宮のお悲しみに関係なく、
求婚者は次々と現れた。
しかし源氏はその点をきびしく注意していた。
「乳母といっても、
決して無断で勝手なことをしてはならぬ」
といましめている。
源氏は若い日、
乳母を手なづけて、
義母である藤壺の宮と逢い、
今の帝の実父になったという体験から、
その間の消息に通じているのである。
女房や乳母たちの計らい一つで、
どんな大事に至るかもしれない。
世なれぬ深窓の姫君は、
運命には無力で、
とても男から身を守るすべはご存じない。
さて、姫宮に求婚する人々の中に、
かの退位された朱雀院もいられた。
朱雀院の恋は、
かつて皇位にあられたころ、
斎宮として伊勢へ下向される姫宮の、
おごそかな別れの儀式に、
手ずから姫宮のおん額に「別れの小櫛」を
挿された。
その日から始まっている。
朱雀院は姫宮の美貌を忘れずにいられた。



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