「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

12、澪標 ⑩

2023年10月15日 08時40分09秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・六條御息所の姫宮は、
母君亡きあと忍び泣かれること多かった。

姫宮は十九になっていられたが、
大人の男性のあしらいかたもわからず、
途方にくれるばかりの純真な乙女である。

源氏の兄君・朱雀帝在位中、
伊勢の斎宮として神に仕える暮らしをされ、
朱雀帝譲位後、任果てて、
若く美しき姫宮として源氏の前に現れた。

源氏は亡き恋人・御息所への愛に賭けても、
誠実でありたかった。

源氏は壮年期を迎えながら、
年ごろの娘を持たないので、
親友の権中納言(かつての頭の中将)が、
娘を入内させているのがうらやましかった。

わが娘代わりに、
あの姫宮を大切にかしずき、
お世話をして後宮に送り込む、
というのもすばらしい思いつきであった。

源氏はねんごろに心こめて姫宮のお世話をし、
折々は六條邸へ出かけるようになった。

この六條邸に仕える女房たちは、
女別当や内侍といった、
斎宮の女官たち、
また身分いやしからぬ婦人たちなどで、
見識もあり趣味の良い女房が多かった。

(こういう人々がついているなら、
宮中でのつきあいや、
他の女御におくれをとられることはあるまい)

と源氏は考える。

姫宮ご入内の件は、
自分の胸一つに深く秘めて、
誰にも明かさなかった。

そうして御息所の忌日ごとの仏事を、
ねんごろに営むので、
姫宮家の人々はありがたいことと、
喜んでいた。

姫宮にとって、
はかなく月日は過ぎてゆく。

母君を失った悲しみは深まるばかり。

仕えている人たちも、
しだいに暇を取って散り始めた。

六條邸は下京の京極へんにあるので、
ひと気なく、山寺の鐘など聞こえて、
姫宮は悲しさと心細さで、
ほろほろと涙をこぼされる。

ところが、
姫宮のお悲しみに関係なく、
求婚者は次々と現れた。

しかし源氏はその点をきびしく注意していた。

「乳母といっても、
決して無断で勝手なことをしてはならぬ」

といましめている。

源氏は若い日、
乳母を手なづけて、
義母である藤壺の宮と逢い、
今の帝の実父になったという体験から、
その間の消息に通じているのである。

女房や乳母たちの計らい一つで、
どんな大事に至るかもしれない。

世なれぬ深窓の姫君は、
運命には無力で、
とても男から身を守るすべはご存じない。

さて、姫宮に求婚する人々の中に、
かの退位された朱雀院もいられた。

朱雀院の恋は、
かつて皇位にあられたころ、
斎宮として伊勢へ下向される姫宮の、
おごそかな別れの儀式に、
手ずから姫宮のおん額に「別れの小櫛」を
挿された。

その日から始まっている。

朱雀院は姫宮の美貌を忘れずにいられた。






          


(次回へ)

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