・「何をいわれる、
姫宮にはあなたがいつまでも、
ついていてあげなければ。
そんな心細いことを、
仰せられてはなりません。
お言葉がなくても、
私は力の限りお世話するつもりだ。
ましてあなたのねんごろなご依頼を受けては、
どうして捨てておけよう。
安心してお任せください」
源氏が心をこめてなぐさめるのへ、
御息所は凛としていった。
「お言葉はうれしゅう存じますが、
この際、はっきり申し上げたいことがございます」
「私が、何を、あなたに対して・・・」
「姫の世話をお願いすると申しましても、
決してあだめいたお心をお持ち下さいますな。
実の父親に任せるときでさえ、
女親のない娘はあわれなもの。
ましてあなたが、
色めいたお心で扱われましては、
またしても女同士の恨みそねみの渦に、
まきこまれましょう。
わたくしは姫だけには、
あの辛さを味わわせとうございません。
あの姫には、安らかで幸せな、
女の一生を用意してやりとうございます」
(やられた・・・)
源氏は思った。
御息所は、
源氏の好色ごころを俊敏に明察して、
さかしくも、釘を打ったのだ。
しかし源氏は色にも出さず、
まめやかにいった。
「近ごろは私も分別ができました。
昔の色好みが抜けないようにいわれるのは、
心外というもの。
ま、おいおい、お分かりになるだろう」
外は暗くなっており、
部屋の内には灯が点じられていた。
ほのかに室内の様子が見える。
心もとない小暗い灯影に、
御息所はいた。
髪を形よく切って、
脇息によりかかっている姿、
やはり美しく情緒深く、絵に描いたよう。
御張台の東に姫宮はいられた。
几帳のすき間からのぞくと、
宮は頬づえをついて、
物悲しそうに沈みこんでいられた。
たいへん美しげな乙女だった。
上品で気高く、愛嬌があって、
源氏は心そそられる。
ありていにいえば、
源氏は若く美しい姫宮を、
手に入れたくなっている。
しかし、母の御息所が、
ああも心配しているものを、
とうてい裏切ることは出来ない。
御息所は気分が悪いといって、
女房にたすけられて横になった。
源氏が近寄ろうとすると、
御息所はさえぎった。
「病みやつれて、
おそろしいような姿をしております。
どうぞこのままで。
昔のおもかげのままで、
お別れ下さいまし。
いまわの際にお目にかかれて、
思い残すことはもうございません」
「私を頼りにして頂けて嬉しいです。
故桐壺院が、姫宮を実の御子として、
扱っていられたのですから、
私も妹のようにお世話します。
いや、そろそろ父親といってもいい年ごろです」
などとこまごま、
言いなぐさめて源氏は帰った。
それから七、八日して、
御息所ははかなくみまかった。
源氏は人の世の無常さが、
今さら思われる。
青春の日の一つの夢を奪って、
あの女人は逝ってしまった。
源氏は哀切な悲しみにうちひしがれて、
御所へも参内せず、
仏事にあけくれた。
六條邸は源氏のほか頼る人もなかった。
源氏自身、立派な葬式をとり行った。
姫宮はどんなに悲しんでいられよう。
源氏はくやみの言葉を伝えると、
宮は、
「何もかも夢のようでございます。
悲しみでぼんやりしております」
と女別当(斎宮寮の女官)を介して、
返事がもたらされた。
「母君からのご遺言もございます。
母君の代りと思し召して、
なにごとも遠慮なくご相談ください」
と源氏はいった。
そうして精進のあいだ、
姫宮には便りをしてなぐさめた。
(次回へ)