「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

7,姥ごよみ ⑥

2025年03月03日 08時18分09秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・「どないしたん、ノボルは」

「いえ、ね、
お父さんと大ゲンカになって・・・
テストをすっぽかして、
だまって学校休んだのが、
今日わかって
お父さんが説教したら、

『うるさい、
ガタガタいうな、
ほんまあ』

なんていうもんですから、
お父さんが殴りつけて、
それでつかみあいになって、
上の子が止めても、
引き分けられないんですよ」

「大晦日に聞く話やないの」

「すみません
お父さんの方は庭に転がり落ちて、
腰打ってお医者さんへ行きました」

次男はカッとすると、
あたまに血がのぼりやすいタチで、
親子ゲンカになると、
とめどなくエスカレートするらしい

「すみませんけど、
お婆ちゃんとこで、
お正月の間だけでも、
ノボルを泊めて頂けませんかしら
お父さんと顔つきあわせるくらいなら、
家出するというもんですから・・・」

「あたしゃ、
若い人の世話はでけへんよ
あんたらどうせ、
甘やかして大事にしてるんでしょうから、
道子さんのお里のほうはどうなの」

「里は一家そろってハワイへ行ってます、
正月休みに」

「結構ですね」

「お姑さん、
ほんとにすみませんけど、
お願いします」

嫁は髪もそそけて、
顔には白粉気もなく、
いっぺんに三つ四つ、
老けてしまっている

この嫁は次男が会社であったことを、
しゃべろうとしても、

「聞いてもしょうがない」

といい、

「いやな話は聞きたくない」

といって、
夫のグチに耳を貸そうとしない、
よしであるが、
しかし息子のことは別らしい

「お父さんも頑固なんですよ、
古風なことをいってねえ」

と息子の肩を持つ

「ノボルちゃん、
しばらくお婆ちゃんとこで、
泊まらせてもらいなさい
ここでのんびりしたら、
また気持ちも落ち着くから」

と息子の機嫌を取るようにいうが、
息子は返事もしない

傲慢な態度である

こんな態度の息子を、
押し付けられてはかなわないが、
嫁が、

「すみません、
この騒ぎで家の中は、
ほったらかしなんです・・・」

というので可哀そうになり、
あずかってやることにした

テレビで紅白がはじまる

居間にポツンと一人、
ふくれっ面でいる孫息子を、
私は和室の炬燵へ呼んでやる

私は台所に立ち、
年越しそばを二つ作り、

「これを運びなさい」

というと、
のっそり立ってくる

この子は次男の子供の中でも、
ちょっとおもむきが変わり、
じゃが芋のような、
でこぼこした顔にニキビなんか出して、
鈍重な感じである

常にむっつりしている

「年越しそばは、もう食べたの?」

「まだ」

その言い方はには、
人間関係の距離感がないようだ

つまり、社会的に訓練されていない、
野犬か野うさぎのようなものである

大人の顔色を見ない

顔色を見るというのは、
人間と人間の関係の結びかたを、
小さいときから覚えさせる、
そんな練習がいる

小学校では親の顔色を見ることを、
教える

中学校では友達の顔色を見、
高校生や大学生になると、
世間の顔色を見ることを、
教える

そんなことが教育といっていいのに、
いちばん大切なことが、
この子には施されていないのかも、
しれない

こんな不完全なおシャカを、
世の中へ出しては申し訳ないから、
ひとつ私が・・・
といいたいが、身が保たない

「もっと食べる?何か」

「いまはいい」

「着替えはもって来たの?」

「もってきてる」

孫がバッグを開けると、
パジャマや下着の上に、
ウォークマンがのっていた

「おや、
ちょいと見せてちょうだい、それ」

「うん」

孫は私にそれを渡す

町でこれを聞いている若者も多いが、
手に取ってつくづく見るのは、
これがはじめてである

「へえ・・・
これで聞くと音がええの?」

「うん、聞いてみる?」

と孫が私のあたまにとりつけ、
聞いたこともない曲を、
聞かせてくれた

「ふーん、きれいな音やこと」

「そう思う?」

孫は急に顔色を輝かせ、
私をみる

実際、キラキラした音が、
次々となだれこぼれてきて、
せせらぎのような音楽なのだ

若い者の好む音楽といったら、
どうせタダの騒音だろうと、
思っていたのに、
これは意外

「まあ、ええ音楽やこと」

「おばあちゃん、ナウいな
これ、ボブ・ジェームスやで」

「何か知りまへんけど、
耳に気持ちよう入ってきますがな」

「あと、これ聞いてみ」

孫はバッグをごそごそ探す

とみに口がほぐれた感じである

「あ、しもた
忘れてる、テープ
ボク、明日家へ取りにいってくる」

孫はもう屈託ない調子で、
そんなことをいっている

私はウォークマンをはずし、

「どうせお父さん来るから、
電話かけて持ってきてもろたら、
ええやないの」

「お父さん来る?くそ」

「お煮しめ一緒に食べて、
一緒に帰りなさい」

めまぐるしい大晦日であった






          


(了)

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