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・富田氏はビールが入ると、
声が高くなる
「あれ、
何百メートルあるやろ、
平野町から八百屋町筋、
堺筋、難波橋筋・・・」
「中橋筋、三休橋筋、丼池筋、
心斎橋筋、淀屋橋筋、御霊筋・・・」
とやっぱり船場住まいの長かった、
私がいちばんおぼえていた
「荒物や漢方薬も売ってました」
と飯塚夫人がいう
「スーパーなんてない時代やもの・・・
化粧品も小間物も、
何でも売ってて、
奉公人の楽しみは夜店でしたわ
子供の楽しみは何というても食べ物
カルメラ、ちょぼ焼き」
「十銭もろたら、
子供は散財できました」
「演歌師がおりましたで」
「バイオリン弾いてなあ」
「それ、いつごろのことですか?」
「明治大正、ずーっとですなあ」
「昭和もおましたけど、
戦争でさびれてしもて」
「いや、
御堂筋がついたからですわ
家はようけ(沢山)立ち退きになるし」
「地下鉄工事もわるかった
あれは昭和はじめから、
十年かかりました
あれであんばい、
町の情緒が白けてしもた」
「でも夜店は、
大阪の町じゅうにありましたのよ」
と魚谷夫人が、
豆腐の田楽をおいしそうに食べつつ、
「あたしはミナミの生まれやけど、
うちの近くの通りに出ました
うちは五の日でしたよ
何を食べたやら、
関東煮(かんとだき)、
いかせんべい、
夏はところてん、
洋食焼き・・・」
「そうそう、洋食焼きがありました」
「いまのお好み焼きです」
と富田氏は泰くんに教え、
「あてもんがよろし
あれは楽しみやった」
「紙をめくったら、
たいていスカで、
中々当たらへんかった」
「あっ、それは僕もずっと前、
子供のころ駄菓子屋でやった」
と泰くんはいい、
みんなにビールをつぐ
「カルメラ焼いてんのや、
綿菓子作ってるのを、
見るのも楽しかった」
「大人は植木を値切ったり」
こういう昔話というのは、
私には面白いのである
自分の苦労話や、
自慢話の昔話は困るのだ
面白いのか、
泰くんも熱心に聞いている
「活動写真館へ、
よう行きました
若うてきれいな田中絹代、
見ましたで
弁士が三人ぐらい出てました」
「男の声で女の声色使うて」
「目玉の松ちゃん見てますか」
と私が聞いたら、
それはおぼえていないと、
飯塚夫人も富田氏もいった
私ははっさい娘だったから、
それに父が好きだったから、
よく見に連れていってもらったのだった
「『籠の鳥』はもっとあとかしら」
魚谷さんがいう
「それは大正でしょう、『枯すすき』」
と富田氏がいい、
「私、大正琴弾いてました」
と魚谷さんは自慢げにいった
それを皮切りに、
そのころのわらべうたの話に、
なったりして飯塚夫人は、
手毬唄を唄ってみせた
「川の真中で糸くず拾て
京で染めよか
大阪で染めよか
キョンキョン京橋
はし詰めの
紅屋のおかっちゃんの染めもんは
立っても坐ってもよう染まる」
「ひゃあ、
ようおぼえてはる
ほんまにそんな唄、ありました
さすがやわ」
と私は感心した
「まあ、どうしたんやろ、
いつもは思い出しもせえへんのですよ
ウチの孫にも歌うたことないのに、
急に口から出てきましたわ」
飯塚夫人は満足そうだった
泰くんがテープをまわしはじめた
この前、
英語クラブでかけられた音楽は、
「ダニューブ川のさざ波」だったので、
私は泰くんにたのんで、
レコードを買ってもらおうとしたが、
「そんなん、
売ってませんでしたよ」
というので、
テープにとってもらったのだった
ステレオはそんなに上等でもないが、
私は時おり、
ハヤリ唄のレコードを買うから、
備えているのだ
「なつかしいなあ
青春の音楽ですわ
キッキッ・・・」
と富田氏は笑い、
みんな応接間へ行く
少しオーバーに、
富田氏は魚谷夫人を導いて、
踊るものだから、
泰くんも冗談らしく、
私の手を取った
私は三年くらい前に、
社交ダンスを習ったけれど、
泰くんはめちゃめちゃである
曲が終わると、
次はこれも英語クラブでやった曲、
「美しき天然」であって、
私はこのほうが踊りやすい
泰くんは、
「お経みたいな曲やな」
といいながら、
面白がってこんどは、
飯塚夫人と踊った
夫人は団栗を転がすようであるが、
無邪気にはしゃいで踊る
魚谷夫人は、
「あんまり面白くて、
血圧が上がりますのよ」
と休んでいるので、
私は富田氏と踊った
「いや、ほんま、
これこそお祭りですわ
『敬老の日』はこういうことこそ、
せな、あきません
今日はほんまに有難う」
と氏は私に礼をいった
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(次回へ)