・人目をそばだてる、心にツメあとをつける、
ショッキングなことやものに対していう言葉。
起源は不明だが、
江戸時代の古語に「いげちない」というのがあり、
同様な意味に使ったらしいから、「いげちない」が
「えげつない」に転訛したのであろう。
あまりいいときに使わない言葉であって、
むろん、ホメ言葉ではない。
ズケズケ言いの人は「えげつない人や」と言われる。
しかし「ズケズケ言い」ならそれで済むが、
「えげつない」はそれを上まわり、よりいっそう悪意をこめて、
人の心をえぐり抜くという、どぎつさがある。
いうなら、不快感の最高指数、
そういうどぎつい不快を与えられた場合、
「えげつない人やなあ、あんたも!」
と吐き出すごとく言う。
大阪では「えげつない人」と言われる人は、
最低のランクである。
人のわるさ、しぶちん、いじわる、みえすいたおべんちゃら、
はったり、腹黒、そんなものぐらいでは「えげつない」は使わない。
「けったいな奴ちゃ」で済んでしまう。
「あほ」や「すかたん」のように、
軽々に日常どこでも使う言葉ではない。
・「えげつない商売しはる」というと、
これは、はっきり非難軽侮である。
元来、大阪商人というものは、
商いに自分なりのプライドを持っていて、
儲かりゃいい、なんてものではなかった。
商取引に口ぐせのように言われる言葉は、
「うちは大道商いと違いまっせ」
という誇りにみちたセリフであった。
道ばたで一日物を売って、あくる日は別のところへ逃げるという、
アフターサービスというか、信用責任を取らぬ商売ではない、
ということを胸はって宣言するのだった。
それから思えば、堂々と大きなビルに店を張った、
一流商社が石油危機を操作し、扇動し、値上げを画策して、
巨利を博するという如きは「大道商い」に類していると言われても、
仕方あるまい。
「えげつない商売しはる」と見下げられるのは、こういう時。
・えげつない、は人の道に外れてる、
柄のない所に無理に柄をすげるという、
そこまでしなくても、
というあくどさみたいなものが含まれている。
着物でも、斬新大胆といえば聞こえはいいが、
ヤタケタな、けばけばしい柄のものなどを、
「えげつないガラやな」などと言い、
むろん、これは貶めて言うのである。
男女の場合、
女心をもてあそんだ、というようなケース。
さる有名女流作家のように、
亭主が女中に子供を産ませたのを何年も知らず、
道で、元の女中に出会って、抱いてる子供を、
まさかおのが亭主の子とも知らず、
「かわいいお子さんが出来たのね。おめでとう」
などあやしたりして、のち、すべてが発覚する。
女ならだれでも血が脳天へのぼる。
カーッときて「あんまり、えげつないやないの!」と吐く叫び。
えげつない、は「あまりといえばあんまりな・・・」
という言外の非難、呆然自失を伴ったショックも含まれる。
・私の子供の頃、
呉服屋の番頭が丁稚小僧を連れてやって来ていた。
曽祖母、祖母、叔母、母、果ては女中衆(おなごし)たちの前に、
一反ずつ取り出して、スルスルとほどいてゆく。
長年出入りの呉服屋であるから、
わが家の好みは知り尽くしている。
大阪人の美的基準は「こうと」であって、
これは渋いとか、地味、高尚、上品という意味である。
「こうと」な柄の着物を好み、誇りにする。
その反対は「派手」である。
さらに品下れる、安っぽい柄は「えげつない」である。
番頭が気をき利かせて、現代風な反物を広げると、
「そんな、えげつないもん!」曽祖母は口をゆがめて言い、
早よ、しまいなはれ、という仕草をする。
この「お家はん」は、そういう尊大さが許されていた。
さらに、えげつない、には下品、ワイセツの意味も含まれる。
これも普通のワイセツ、雑駁ではなく、
何ぼ何でも目にあまる。というような時に使われる。