「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

4、えげつない

2022年01月01日 13時45分12秒 | 田辺聖子・エッセー集










・人目をそばだてる、心にツメあとをつける、
ショッキングなことやものに対していう言葉。

起源は不明だが、
江戸時代の古語に「いげちない」というのがあり、
同様な意味に使ったらしいから、「いげちない」が
「えげつない」に転訛したのであろう。

あまりいいときに使わない言葉であって、
むろん、ホメ言葉ではない。

ズケズケ言いの人は「えげつない人や」と言われる。
しかし「ズケズケ言い」ならそれで済むが、
「えげつない」はそれを上まわり、よりいっそう悪意をこめて、
人の心をえぐり抜くという、どぎつさがある。

いうなら、不快感の最高指数、
そういうどぎつい不快を与えられた場合、
「えげつない人やなあ、あんたも!」
と吐き出すごとく言う。

大阪では「えげつない人」と言われる人は、
最低のランクである。

人のわるさ、しぶちん、いじわる、みえすいたおべんちゃら、
はったり、腹黒、そんなものぐらいでは「えげつない」は使わない。

「けったいな奴ちゃ」で済んでしまう。

「あほ」や「すかたん」のように、
軽々に日常どこでも使う言葉ではない。


・「えげつない商売しはる」というと、
これは、はっきり非難軽侮である。

元来、大阪商人というものは、
商いに自分なりのプライドを持っていて、
儲かりゃいい、なんてものではなかった。

商取引に口ぐせのように言われる言葉は、
「うちは大道商いと違いまっせ」
という誇りにみちたセリフであった。

道ばたで一日物を売って、あくる日は別のところへ逃げるという、
アフターサービスというか、信用責任を取らぬ商売ではない、
ということを胸はって宣言するのだった。

それから思えば、堂々と大きなビルに店を張った、
一流商社が石油危機を操作し、扇動し、値上げを画策して、
巨利を博するという如きは「大道商い」に類していると言われても、
仕方あるまい。

「えげつない商売しはる」と見下げられるのは、こういう時。


・えげつない、は人の道に外れてる、
柄のない所に無理に柄をすげるという、
そこまでしなくても、
というあくどさみたいなものが含まれている。

着物でも、斬新大胆といえば聞こえはいいが、
ヤタケタな、けばけばしい柄のものなどを、
「えげつないガラやな」などと言い、
むろん、これは貶めて言うのである。

男女の場合、
女心をもてあそんだ、というようなケース。

さる有名女流作家のように、
亭主が女中に子供を産ませたのを何年も知らず、
道で、元の女中に出会って、抱いてる子供を、
まさかおのが亭主の子とも知らず、
「かわいいお子さんが出来たのね。おめでとう」
などあやしたりして、のち、すべてが発覚する。

女ならだれでも血が脳天へのぼる。
カーッときて「あんまり、えげつないやないの!」と吐く叫び。

えげつない、は「あまりといえばあんまりな・・・」
という言外の非難、呆然自失を伴ったショックも含まれる。


・私の子供の頃、
呉服屋の番頭が丁稚小僧を連れてやって来ていた。

曽祖母、祖母、叔母、母、果ては女中衆(おなごし)たちの前に、
一反ずつ取り出して、スルスルとほどいてゆく。

長年出入りの呉服屋であるから、
わが家の好みは知り尽くしている。

大阪人の美的基準は「こうと」であって、
これは渋いとか、地味、高尚、上品という意味である。

「こうと」な柄の着物を好み、誇りにする。
その反対は「派手」である。

さらに品下れる、安っぽい柄は「えげつない」である。

番頭が気をき利かせて、現代風な反物を広げると、
「そんな、えげつないもん!」曽祖母は口をゆがめて言い、
早よ、しまいなはれ、という仕草をする。

この「お家はん」は、そういう尊大さが許されていた。

さらに、えげつない、には下品、ワイセツの意味も含まれる。
これも普通のワイセツ、雑駁ではなく、
何ぼ何でも目にあまる。というような時に使われる。






          





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