「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

3、平中の恋  ①

2021年07月11日 08時44分49秒 | 「今昔物語」田辺聖子訳










・。平中(へいちゅう)。
すなわち、兵衛佐(ひょうえのすけ)・平定文(たいらさだふみ)、
当今、都にならびなき風流男(みやびお)である。

生まれよく美男で、優雅な物腰。
この男に言い寄られては、
人妻、娘、宮仕えの女房でなびかぬものはない。

若公達たちはうらやましがって、
平中に恋の手柄話を迫るのであった。


~~~


・いやいや、さすがの私も手に負えぬ女があった。
それ、本院の大臣(藤原時平)のお邸にお仕えする侍従の君。

私は常に本院の大臣のもとへ伺うので、
侍従が美しく心ばせよい女だと聞いて懸想した。

早速言い寄ったが、この侍従、なみの女と違い、
つんとして相手にもせぬ。

恋文をいくら送っても返事もよこさない。
こうなるといよいよ恋は募り、私は、

「ただ『見た』というだけの二文字ばかりでもお返事を」

とくり返し、くり返し、手紙をやった。
すると使いが珍しく返事を持ってきた。

私はおどり上がりたいくらい嬉しくて、
とびついてその返事を見ると・・・

私が「『見た』というだけの二文字ばかりでも・・・」
と書いてやった、その『見た』という二文字のところを破って、
紙に貼りつけて返してきたのだ。

私は腹が立つやら悔しいやら、

(ええもう、こんなつれない女のことは忘れちまおう)

と決心した。
これが二月の末のころだった。


~~~


・しばらく抛っておいたが五月二十日過ぎのころ、
闇は深し、雨はひまなく降り暮らして、
ほととぎすが啼き、物思わしい夜、
ふと思った。

(そうだ、こんな夜に忍んでいけば、
いくらつれない鬼のような冷たい心の女でも、
心を動かし、あわれと思ってくれるかも・・・)

そこで私は夜更け、まだ降りやまぬ雨を衝き、
暗闇の中、徒歩で難儀して本院のお邸にたどりついた。

彼女の局(部屋)に行き、
以前から取り次ぎをしてくれる女童を呼び、

「恋しさに堪えかねて今夜参りました、と伝えてくれ」

女童はほどなくして戻ってきて、

「只今は上のおん前に人々が侍っておられ、
まだお寝みになれませぬから、
下ることは出来ませぬ。
しばらくお待ち下さいませ」

というではないか。
私は胸ときめき、

(やっぱりこんな晩に来た男の誠実を、
あわれと賞でぬわけはない。来てよかった・・・)

と思いながら暗い戸の陰に寄り添うて待つ。
一刻(約二時間)ばかりして邸の人々が寝る気配がし、
人の足音がして遣戸の懸け金がひそかに外された。

私は嬉しさに胸をとどろかせ、遣戸をそっと開けてみると、
すうっと開くではないか。

(いよいよ私に許すということか)

私は期待と嬉しさで体がふるえてくる。
私ははやる心をおし静め、
内へ入ると空薫の香りが部屋中に満ちている。

私はそっと臥所とおぼしきあたりへ近寄り、
手をのばしてみると女が一重の衣を被って臥していた。

私は嬉しさで夢中になり、
体がふるえてどう言っていいやら言葉を失っていると、
女がひそやかに言った。

「大変なことを忘れていました。
障子(ふすま)の懸け金を懸けていなかったわ。
ちょっと懸けてきますわ」

「そうですな。では早くいらして下さい」

と私が言うと女は起きて被っていた衣はそのまま置き、
着ていた単衣と袴姿で出て行った。


~~~


・私は衣を脱いで横になって待っていた。
懸け金を懸ける音は確かにしたのに、
足音は奥へ遠ざかる気がする。

もう来るだろうと待っていたのに、
かなり時がたっても来ない。

おかしいな、と起き上がって障子の側へ行ってさぐると、
懸け金は向こうから懸けて奥へ入ってしまったのだ。

私は腹が立って煮えくり返り、
地団太踏んで呆然とする。

(内へ入れておきながらだますなんて、
何とも憎い仕打ちではないか。
こうと知ったらついて行って懸け金を懸けさせるんだった。
私のことを大馬鹿者と思っているだろうなあ)

と考えていると、
いっそ逢わぬよりもなまじ手でさぐったばかりに、
恋しさはかえってつのり、翻弄される自分が情けない。

ええい、朝までここにいて侍従に浮名を立てさせ、
恥をかかせて仕返ししようかと思ったが、
やっぱり明け方になって物音がしはじめると、
じっとしておれない。

開けぬ先にひそかに出た。






          


(次回へ)

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