むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

18、海からの土産物  ②

2021年08月13日 07時33分02秒 | 「今昔物語」田辺聖子訳










・十日ばかりして帰京され、愛人のお邸へ戻られる。
にこにこされつつ、

「どうだった、この間の海からの家づと(みやげ)は。
お気に入ったかね。ちょっと風流だったろう?
今もちゃんとあるかい?」

「何のこと?何か頂いたの?」

「はてね、面白い蛤にね、
海松がとりついてふさふさと繁っていたんだよ、
海の風景を思わせる眺めだったから、
見せて喜ばせてあげたくなって、
こちらへ届けさせたはずだが」

「いいえ、頂いていないわ。
誰にお持たせになったの?
蛤と海松ですって?
難波から持って来たなら新鮮だったろうに惜しいことをしたわ。
蛤はお汁にするより焼くにかぎるわね。
海松はお酢のものにちょうどよかったのに」

「いや、食べさせようと思ったのではないんだがなあ・・・」

殿は急ぎ召し使いの少年を呼ばれ、

「このあいだのもの、どこへ持っていったんだ」

とお聞きになると、こうこうと答える。
殿は行き違いに気付かれて、大いにお怒り。

「ばかな奴め、さっさと取り返してこい、すぐもらってこい」

召し使いの少年はあわてふためいて北の方のもとへ、
事情を話して詫びて、さきのおみやげをお返し下さいと嘆願する。


~~~


・(やっぱりね・・・そうだったのね・・・)

北の方は水に活けておいたそれを取り出し、
陸奥紙に包んで返された。

やがて殿の前に運ばれた蛤と海松は、
もたらされた時のまま、美しく青々と、みずみずとして、

(おお、損なわれずにそのまま大切にしておいてくれたか)

殿はゆかしく思われたが、
ふと陸奥紙に歌が書きつけてあるのを発見。

<海のつと思はぬかたにありければ みるかひもなく返しつるかな>

(海からのお土産物、届け先が違っていたのですってね。
たのしみに見ていた甲斐もなく、お返しすることになりました)

みるかひもなく返しつるかな、
海松も貝もちゃんと詠みこまれながら、
しみじみとあわれに悲しく、それでいて怨みや皮肉はない。

殿はこれを見られて胸せまり、
お顔をしばらく上げられなんだ。

ご自分が興あるものと思われたように、
北の方もやはり、趣あるものよと、
あの土産物を尊ばれた。

それにくらべ、新鮮な蛤は焼くにかぎるの、
海松は酢のものに、という若い愛人の興ざめた心ない言葉。

殿はそのまま、蛤と海松を抱えられて北の方のお邸へ。


~~~


・そしてその後もずうっと北の方と、
生涯むつまじく添い遂げられたというよ。

北の方と、その時どんなお話をされたのだろうって?

海松や風雅を共に解されるお二人のことだもの、
言葉など要りゃしない。

「海松も貝も、こちらの水が適いそうだよ。
風流も見せ甲斐があってのものだね」

と微笑み合われたのではないかな。

召し使いの少年が間違って届けたのが、
かえってお二人の心を結びつけることになった。

何が幸いするか、わかりゃしないねえ。
ただ・・・その少年が、わざと間違えて届けたとしたら・・・

その少年は知っていた。

愛人のほうは、蛤と海松を見るや否や、
ぱくりと食べてしまう女性だってね。

北の方は、水に活けて海の匂いをいつくしみ、
ひいてはそれを自分に届けてきた贈り手の心をいとおしむ、
女性だということも。

少年はそう思って、
間違えたふりをして届けたのかもしれないなあ。

え?
その少年というのは、わしのことだというのか?
ちがうよ。これは昔聞いた話さ。

男も女も、風雅の心こそ、あらまほしいものだねえ・・・

昼たけて磯の匂いはますますしるく、
潮騒は眠気をさそうような、のどかな春の海辺。

男は、潮干の浜から掘り出した蛤を指さし、

「それはそれ、これはこれとして、
焼いて食べようではないか、うまそうだよ」

うらうらとした空に若い笑い声があがる。


巻三十(十一)






          


(了)

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