・私が結婚したとき夫は四人の子供がいて、
下は小学二年の女の子であった。
その上が年子で三年生の女の子、
その上が五年の男子と中一の男子であった。
小学生の女の子たちは、
まだいたいけなという感じで、
何でも私のいいなりだった。
悪気の全くない、すれない子供たちで、
私は可愛くてならず、買い物にも連れ歩き、
散髪に連れてゆき、写真をとり、
そのころはどこへ行っても子供服や、
子供のものばかり目について、
せっせと買い込んでは着せ替え人形のように、
着せて喜んでいた。
三人で風呂へ入ると、
おしゃべりして長いので、
男たちのひんしゅくを買う。
仕事をしていても私は、
とくに末娘の子供らしいかん高い声が可愛くて、
その声を聞く幸福を感じた。
しかしそれは、
彼女らが起きている間だけで、
眠っているときの寝顔まで可愛くてしみじみ見る、
というものではなかった。
寝室を見まわってやるのは、
私の日課の仕事の一つで、
布団をはねていないか、とか、
ちゃんと寝間着に着替えたかどうか、とか、
いうなら寄宿舎の舎監の見まわりであったのだ。
実の親が、
寝顔すらいとしくてじっと見入るという、
そういう不思議な愛情はおぼえなかった。
眠っているときの子供たちは全く、
(ヨソの子)という感じであった。
もっと小さい乳幼児のころから育てていれば、
また別の感懐があるかもしれないが、
ころころと転がってよく眠っている少女たちは、
私には全く他人の顔をしていた。
それがいったん目覚め、
やかましくさえずり交わし、
給食ナプキンがどうの、
お掃除当番がどうの、
連絡メモだとか、
靴下が宿題が、
と叫んでいると、
とたんに私には、
「可愛い、とびきり可愛い声の天使」
になるのだった。
彼女らが意志を持ち、
自我を示して、
子供らしい活発さで階段を飛び下りたり、
「お兄ちゃんがあたしのパンをとった・・・」
などと泣き出したりしていると、
人間の面白みというか、
子供本来の愛らしさが出てきて、
それは私の母性的共感や愛を刺激するのだった。
私は彼女らを抱きしめたく思った。
眠っていると、
それはもろもろの、あとから生まれてきた、
彼女らを覆うサビのようなものがすっかり落ち、
本然の存在として彼女らの寝顔がある。
本然のむきだしになってしまった子供は、
私には興味がないのであった。
私はそれを発見して、
そこが実の母親と違うところだなあ、
と思った。
子供だから可愛いのではなくて、
可愛らしさを示したとき子供になるのだった。
極端にいうと眠っている子供たちは、
私にとっては「どこの馬の骨だろう」
という気持ちさえ抱かされるのだが、
眠り姫が目覚めたときのように、
彼女らがぱっちりと目を覚ましたとき、
私には可愛くなるのだった。
血の絆と母性愛の相関関係はふしぎなもので、
はかり知れない部分が多い。
「源氏物語」も、
見方を変えれば一種の継母継子物語である。
紫の上は明石の上の生んだ姫君を育てあげる。
源氏はそれについて、
客観的な評価を与えられる男で、
成長した姫君に対し、
義理の母・紫の上の、
「御心ばへをおろかに思しなすな」(「若紫上」)
と訓戒する。
そうして、それに始まる継母継子論は、
むしろ源氏の感懐、というよりそれをのりこえ、
作者、紫式部の見識を披歴している。
(実の親子兄弟、夫婦の仲のむつまじさより、
赤の他人の、ほんの少しの情けや、
好意あるひとことのほうが、
はるかに貴重なことなのです)
という。
入内した姫君には、
実母の明石の上が後見役としてついているが、
紫の上は、実母が付き添ってのちも、
昔からの愛情を変えずに、
「深くねむごろに思ひ聞こえたるを」
義理の娘に心からの愛をそそいでいるのを、
よくよく心して考えなさいよと、
源氏は姫君にさとす。
「世間には小ざかしい人がいて、
(継母というものはうわべは可愛がっているようでも、
内心はわからない)と小利口にいったりするが、
こういう心からはうちとけた愛は生まれない。
意地悪な継母に対しても、
子供の方から裏表なくついてゆけば、
自然と継母も、
こんないい子に意地悪は出来ないと、
思い直すものですよ。
少々のいきちがいがあっても、
おのずと仲良くできるものです。
ただし、どちらかが無愛想で、
棘のある人柄で、
何かにつけて難癖をつけるというような厄介な性格なら、
仲良くするのはむつかしいだろうけれど。
私もたくさんの人間を知ったというのではないが、
人の心をあれこれ見るに、
その性格なり考え方なりに、
さまざまある程度よさは持っているものです」
紫式部は当時流布愛された継子いじめ物語、
たとえば「落窪物語」についても、
一家言もっていたらしく、
姫君の教育について、
「継母の腹汚さ」物語を退けた、
と書いている。
紫式部は千年前に継母子の関係について、
リアルで醒めた、それでいて暖かい目を注いでいる。
式部は現実主義者であるから、
生さぬ仲の親子、という関係に幻影を抱いていない。
義理の仲でも実の親子と等質の愛が生まれるとは、
見くびっていない。
だから肉親の愛よりも、
赤の他人のほんの少しの情けや好意のほうが、
ずっと貴重なのだと認識している。
継母子の関係は、
それこそ百組あれば百個のかたちがあるが、
紫式部は大本の考え方を、
千年前に示してくれた。
(次回へ)