むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

3、継母ってなに ③

2022年06月25日 08時25分50秒 | 田辺聖子・エッセー集










・私が結婚したとき夫は四人の子供がいて、
下は小学二年の女の子であった。

その上が年子で三年生の女の子、
その上が五年の男子と中一の男子であった。

小学生の女の子たちは、
まだいたいけなという感じで、
何でも私のいいなりだった。

悪気の全くない、すれない子供たちで、
私は可愛くてならず、買い物にも連れ歩き、
散髪に連れてゆき、写真をとり、
そのころはどこへ行っても子供服や、
子供のものばかり目について、
せっせと買い込んでは着せ替え人形のように、
着せて喜んでいた。

三人で風呂へ入ると、
おしゃべりして長いので、
男たちのひんしゅくを買う。

仕事をしていても私は、
とくに末娘の子供らしいかん高い声が可愛くて、
その声を聞く幸福を感じた。

しかしそれは、
彼女らが起きている間だけで、
眠っているときの寝顔まで可愛くてしみじみ見る、
というものではなかった。

寝室を見まわってやるのは、
私の日課の仕事の一つで、
布団をはねていないか、とか、
ちゃんと寝間着に着替えたかどうか、とか、
いうなら寄宿舎の舎監の見まわりであったのだ。

実の親が、
寝顔すらいとしくてじっと見入るという、
そういう不思議な愛情はおぼえなかった。

眠っているときの子供たちは全く、
(ヨソの子)という感じであった。

もっと小さい乳幼児のころから育てていれば、
また別の感懐があるかもしれないが、
ころころと転がってよく眠っている少女たちは、
私には全く他人の顔をしていた。

それがいったん目覚め、
やかましくさえずり交わし、
給食ナプキンがどうの、
お掃除当番がどうの、
連絡メモだとか、
靴下が宿題が、
と叫んでいると、
とたんに私には、
「可愛い、とびきり可愛い声の天使」
になるのだった。

彼女らが意志を持ち、
自我を示して、
子供らしい活発さで階段を飛び下りたり、
「お兄ちゃんがあたしのパンをとった・・・」
などと泣き出したりしていると、
人間の面白みというか、
子供本来の愛らしさが出てきて、
それは私の母性的共感や愛を刺激するのだった。

私は彼女らを抱きしめたく思った。

眠っていると、
それはもろもろの、あとから生まれてきた、
彼女らを覆うサビのようなものがすっかり落ち、
本然の存在として彼女らの寝顔がある。

本然のむきだしになってしまった子供は、
私には興味がないのであった。

私はそれを発見して、
そこが実の母親と違うところだなあ、
と思った。

子供だから可愛いのではなくて、
可愛らしさを示したとき子供になるのだった。

極端にいうと眠っている子供たちは、
私にとっては「どこの馬の骨だろう」
という気持ちさえ抱かされるのだが、
眠り姫が目覚めたときのように、
彼女らがぱっちりと目を覚ましたとき、
私には可愛くなるのだった。

血の絆と母性愛の相関関係はふしぎなもので、
はかり知れない部分が多い。

「源氏物語」も、
見方を変えれば一種の継母継子物語である。

紫の上は明石の上の生んだ姫君を育てあげる。

源氏はそれについて、
客観的な評価を与えられる男で、
成長した姫君に対し、
義理の母・紫の上の、

「御心ばへをおろかに思しなすな」(「若紫上」)

と訓戒する。

そうして、それに始まる継母継子論は、
むしろ源氏の感懐、というよりそれをのりこえ、
作者、紫式部の見識を披歴している。

(実の親子兄弟、夫婦の仲のむつまじさより、
赤の他人の、ほんの少しの情けや、
好意あるひとことのほうが、
はるかに貴重なことなのです)

という。

入内した姫君には、
実母の明石の上が後見役としてついているが、
紫の上は、実母が付き添ってのちも、
昔からの愛情を変えずに、

「深くねむごろに思ひ聞こえたるを」

義理の娘に心からの愛をそそいでいるのを、
よくよく心して考えなさいよと、
源氏は姫君にさとす。

「世間には小ざかしい人がいて、
(継母というものはうわべは可愛がっているようでも、
内心はわからない)と小利口にいったりするが、
こういう心からはうちとけた愛は生まれない。
意地悪な継母に対しても、
子供の方から裏表なくついてゆけば、
自然と継母も、
こんないい子に意地悪は出来ないと、
思い直すものですよ。
少々のいきちがいがあっても、
おのずと仲良くできるものです。
ただし、どちらかが無愛想で、
棘のある人柄で、
何かにつけて難癖をつけるというような厄介な性格なら、
仲良くするのはむつかしいだろうけれど。
私もたくさんの人間を知ったというのではないが、
人の心をあれこれ見るに、
その性格なり考え方なりに、
さまざまある程度よさは持っているものです」

紫式部は当時流布愛された継子いじめ物語、
たとえば「落窪物語」についても、
一家言もっていたらしく、
姫君の教育について、
「継母の腹汚さ」物語を退けた、
と書いている。

紫式部は千年前に継母子の関係について、
リアルで醒めた、それでいて暖かい目を注いでいる。

式部は現実主義者であるから、
生さぬ仲の親子、という関係に幻影を抱いていない。

義理の仲でも実の親子と等質の愛が生まれるとは、
見くびっていない。

だから肉親の愛よりも、
赤の他人のほんの少しの情けや好意のほうが、
ずっと貴重なのだと認識している。

継母子の関係は、
それこそ百組あれば百個のかたちがあるが、
紫式部は大本の考え方を、
千年前に示してくれた。






          


(次回へ)

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