聖なる書物を読んで

現役JW29年目

ローマ人への手紙15~16章

2019-03-12 | 聖書
15章。

パウロ、上から目線で偉そうなこといっぱい書いちゃった(筆記したのはテルテオだけど)もんで、この章では、言い訳っぽいこと書いてますね。でもやっぱり偉そうw。

1節。新世界訳「強くない者」。直訳は「できない人たち」。単に「強くない」ではなく、「強くなることができない」という意味。

2節。「各々が善を行なって隣人を喜ばせる」のではなく、原文では「各々が隣人を喜ばせて、善へといたる」の意。なので、この「善」は各々が行なうことに限定されず、もっと大きな全体の善。

4,5節。新世界訳「忍耐と聖書からの慰め・・・忍耐と慰めを与えてくださる神」。田川訳「忍耐と、書かれてあることの呼びかけ・・・忍耐と呼びかけの神」。
「書かれてあること」は複数形。パウロは「聖書」という時、「書物」の単数形を用いる。なのでここでは、まるごと聖書を指すのではなく、書かれてある個々の言葉のことを指していると考えられる。「以前に書かれたこと」と対応する。
「呼びかけ」は字義通り。実質的には、忍耐せよ、自分の主張を通そうとするな、という訓戒を意味している。「慰め」と訳すのは無理。

7節。新世界訳「神の栄光となることを目ざしつつ、キリストがわたしたちを迎え入れてくださったように、あなた方も互いを迎え入れなさい」。田川訳「キリストもまたあなた方を神の栄光へと受け入れて下さったように、あなた方も互いに受け入れよ」。
わたしたちが神の栄光となることを目ざすんじゃなくて、キリストがわたしたちを受け入れて神の栄光へと導いて下さるんです。訳で意味がこんなに違っちゃうという。

8,9節。文体的には、わたし(パウロ)が言うのは「キリストは割礼に仕える者となった」ことと「異邦人は神に栄光を帰するようになった」ことだ、となる(「神の真理の故に」と「神の憐みの故に」が対応する)。
でもドグマ的には、「キリストが割礼に仕える者となった」のは「父祖たちの約束を確かなものとするため」かつ「異邦人が神に栄光を帰するため」だ、の方が都合がいいのでそう解釈して訳す。新世界訳もこちら。

9節。詩18:49の引用。神を認識しない異邦人の中に居ても、私(ユダヤ人の信仰者)は神を告白し賛美する、という詩。ところがパウロは、詩篇作者とは正反対の、異邦人も神を告白している、の趣旨で引用した。(ものみの塔がやってることと同じだね・・・パウロよ、おまえもか・・)

14~16節。未知の相手に失礼なことを書き過ぎたかな、と気付いて言い訳してる。ローマにも立派な信者が大勢いらっしゃることを信用してないわけじゃありませんよ、と。さらに自己弁護的に、私は神によって特別な「恵み」を与えられているのだから上から命令する権限があるんだ、と。しかもそれは、あなたたちのためなんだ、と。(どこぞの統治体と同じだね・・・)

18節。ここでの表現のみそは「わたしを通して」。パウロは、イエス・キリストについてほかのことを語りたいのではなく、自分パウロに直接働きかけてくれたキリスト以外は何も語るつもりはないよ、と言っている。
かつて現実に生きていたあのイエスという男のことなぞ自分は相手にするつもりはない、自分が出会ったと信じている幻のキリスト、自分の頭の中に働きかけてくれていると信じ込んでいるキリストのことだけを福音として宣教するのだ、という居直り。
パウロのキリストは、パウロに奇跡的な力を付与してくれる存在であり、また霊の力によって語ることを与えてくれる存在であるという。
パウロが自分のなした奇跡行為を鼻にかけて誇っているのは明白。自分はキリストのことを語るのだ、と言いながら、自分が実現したさまざまな奇跡行為のことしか頭にない。

20節。キリストの名がすでに唱えられている所では宣教しない、とあるが、これは事実に反する嘘。エフェソスでもコリントでもパウロ以前にすでに宣教活動が行われていた。(さすがにここは解釈でごまかすことはできなかったかぁ・・・w)

22節。新世界訳「そのためにも(あなた方のもとへ行くことを何度も妨げられてきた)」。田川訳「だから」。
20,21節を受ける(すでに宣教されているから)か、19節を受ける(エルサレムからイルリコを回る宣教で忙しかったから)か、挿入句と見て23節につなげる(宣教されてない所で宣教したいからローマへ行きたい)か。
後者ならパウロには、ほかの人たちはキリスト教の指導者の名に価しない、自分がローマで初めて本物のキリスト教を伝えるのだ、という自負があったことになる。20節での嘘も、もしかしたらパウロにとっては嘘じゃなくて、エフェソスやコリントも自分こそがその地で最初に本物のキリスト教を伝えたんだ、と思ってたのかも。(もしそうなら、組織とそっくりだなぁ・・・)

24節。新世界訳「途中まであなた方に付き添ってもらってそこに行こうと希望してます」。田川訳「あなた方によって更にスペインへと送り出してほしい」。
見送りに来てほしい、という話ではなく、スペインへの大規模な伝道旅行の準備(費用含め)をよろしく、と言っている。(いやぁ~統治体みたいだぁ)

26節。本当はパウロが彼らに献金を依頼した(強引に頼み込んだ)のに、ここでは彼らがみずから進んで発案したかのように言っている。(このへんも、組織みたいだぁ~)


16章。

未知の相手、しかも帝国の首都ローマに宛てた手紙、パウロはやたらと張り切って、知ってる限りの名前を並べたと考えられる。

17~20節。パウロの自筆。自筆の書き添えになったとたんにひどく嫌らしい警告を記すのはパウロの癖。

21~23節。口述筆記したテルテオの書き加え。

ここまでで、本文は終わる。

24節は、20節後半と同じ祝福の言葉。(新世界訳は省略)

25~27節は、後世の写本に付け足されたドクソロギア(神の栄光を賛美する言葉)。


今回も、田川建三氏の「新約聖書 訳と註」パウロ書簡②を参照、引用させていただきました。