今週のワークブックに突っ込みます。
●「自分は物質の人か、それとも霊的な人か」
新世界訳で「物質の人(コリ①2:14)」と訳されている語は、直訳では「生命的な人」。他の訳では「生まれながらの人」「自然の人」「(自然的)生命の人」など。
パウロの人間論は大雑把にいうと、肉的な人、生命的な人、霊的な人、の3種類。
「肉的な人」はパウロにとっては否定的な、「肉」という原理によって支配された、良くないあり方をしている人間。その反対が「霊的な人」。
「生命的な人」は、どちらかというと中立的で、単に生まれてそのままの自然的生命を生きているだけの人。
この文脈でパウロが言ってることは、神の霊を受けた者は霊的な言葉による霊的な事柄を判断できるが、神の霊を受けていない者(=生命的な人)は霊的な判断ができない(霊的に判断さるべきものだと分からない)、ってことだよね。
組織は都合よく、「物質の人」を「霊的な人」の反対語として用いてるけど、パウロが思ってたのとは違う意図で用いちゃダメでしょ。
●霊的な宝石を見つける
コリ①2:3~5。3節の新世界訳「弱さと恐れのうちに、いたくおののきながら」。新共同訳「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」口語訳「弱くかつ恐れ、ひどく不安であった」田川訳「衰弱していて、非常な恐れと不安があった」。
パウロは第二回宣教旅行でガラテアに行った時、病気だった(ガラ4:13)。その後マケドニア経由でコリントに来たが、まだ病後の衰弱を引きずっていた、と考えられる。性格的に弱かったわけではない。
でも、行く先々で迫害されて散々な目にあってたし、いわゆる愚かな言葉を携えて、哲学や芸術の栄える大きな都市に行くのだから、戦々恐々としていただろう。アテネで哲学的な話し方をして失敗したばかりだったしね。
でもね、4,5節でパウロは「霊と力の論証」とか「神の力」とか言って、自分の宣教が単に言葉だけではなく、いろいろな奇跡行為によって行われたんだ、って自慢してるんだよね~・・・
そんなこんなを考えると、「パウロの例からどんな助けを得られるか」って質問されても、ねぇ・・・
●上手に手紙を書くには
「パウロは仲間のクリスチャンを励ますために手紙を書いた」とあるけど、コリント人への手紙は違うよ~
パウロは第三回宣教旅行でエフェソスに滞在してた時に、コリントから来た人々の情報を通じて、自分がコリントの信者たちに批判されてることを知ったから、自己弁護のために書いた。
例えば、信者になったら結婚するな(①では譲歩)、異教徒とつきあうな(①では一応譲歩)、異教の神殿にささげられた犠牲の肉つまり肉屋に卸される肉を食うな(①では本当はかまわないはずだが、と言い訳しつつ結論としては、食べる者は悪霊と交わる者だ、と決めつけ断固反対する)など、あまりに偏狭で個人的嗜好(非常にユダヤ的でもある)を押しつけ、自分の言うことこそキリストの命令だと思え、とパウロが言うもんだから、パウロ以外のキリスト教を知るにいたった信者からすれば、本当にイエスがそんなことを言ったのかと疑問が湧いてきて、パウロを批判するようになったわけで。
②にある2つの中心問題は、そもそもパウロの伝えるキリストは本物なのか(パウロは生きていたイエスのことをほぼ知らず、知ろうともしないのだから、当然出てくる疑問)、ということと、エルサレム教会への献金として非常に多額の募金を集めることを強制しようとした、ということ。
この2つの問題はパウロの弱みであり、納得のいく説明もできないので、パウロは居直って、自分を絶対的に信奉しないのであれば神に逆らうことになるぞ、と脅すだけだから、両者の間で納得のいく結論は出なかっただろう。
その後、コリントの信者たちは、キリストの信者であり続けたとしても、パウロ信者であることはやめた可能性が高いと思われる。
以上、田川建三氏「新約聖書 訳と註」パウロ書簡より、引用、参照させていただきました。
●「自分は物質の人か、それとも霊的な人か」
新世界訳で「物質の人(コリ①2:14)」と訳されている語は、直訳では「生命的な人」。他の訳では「生まれながらの人」「自然の人」「(自然的)生命の人」など。
パウロの人間論は大雑把にいうと、肉的な人、生命的な人、霊的な人、の3種類。
「肉的な人」はパウロにとっては否定的な、「肉」という原理によって支配された、良くないあり方をしている人間。その反対が「霊的な人」。
「生命的な人」は、どちらかというと中立的で、単に生まれてそのままの自然的生命を生きているだけの人。
この文脈でパウロが言ってることは、神の霊を受けた者は霊的な言葉による霊的な事柄を判断できるが、神の霊を受けていない者(=生命的な人)は霊的な判断ができない(霊的に判断さるべきものだと分からない)、ってことだよね。
組織は都合よく、「物質の人」を「霊的な人」の反対語として用いてるけど、パウロが思ってたのとは違う意図で用いちゃダメでしょ。
●霊的な宝石を見つける
コリ①2:3~5。3節の新世界訳「弱さと恐れのうちに、いたくおののきながら」。新共同訳「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」口語訳「弱くかつ恐れ、ひどく不安であった」田川訳「衰弱していて、非常な恐れと不安があった」。
パウロは第二回宣教旅行でガラテアに行った時、病気だった(ガラ4:13)。その後マケドニア経由でコリントに来たが、まだ病後の衰弱を引きずっていた、と考えられる。性格的に弱かったわけではない。
でも、行く先々で迫害されて散々な目にあってたし、いわゆる愚かな言葉を携えて、哲学や芸術の栄える大きな都市に行くのだから、戦々恐々としていただろう。アテネで哲学的な話し方をして失敗したばかりだったしね。
でもね、4,5節でパウロは「霊と力の論証」とか「神の力」とか言って、自分の宣教が単に言葉だけではなく、いろいろな奇跡行為によって行われたんだ、って自慢してるんだよね~・・・
そんなこんなを考えると、「パウロの例からどんな助けを得られるか」って質問されても、ねぇ・・・
●上手に手紙を書くには
「パウロは仲間のクリスチャンを励ますために手紙を書いた」とあるけど、コリント人への手紙は違うよ~
パウロは第三回宣教旅行でエフェソスに滞在してた時に、コリントから来た人々の情報を通じて、自分がコリントの信者たちに批判されてることを知ったから、自己弁護のために書いた。
例えば、信者になったら結婚するな(①では譲歩)、異教徒とつきあうな(①では一応譲歩)、異教の神殿にささげられた犠牲の肉つまり肉屋に卸される肉を食うな(①では本当はかまわないはずだが、と言い訳しつつ結論としては、食べる者は悪霊と交わる者だ、と決めつけ断固反対する)など、あまりに偏狭で個人的嗜好(非常にユダヤ的でもある)を押しつけ、自分の言うことこそキリストの命令だと思え、とパウロが言うもんだから、パウロ以外のキリスト教を知るにいたった信者からすれば、本当にイエスがそんなことを言ったのかと疑問が湧いてきて、パウロを批判するようになったわけで。
②にある2つの中心問題は、そもそもパウロの伝えるキリストは本物なのか(パウロは生きていたイエスのことをほぼ知らず、知ろうともしないのだから、当然出てくる疑問)、ということと、エルサレム教会への献金として非常に多額の募金を集めることを強制しようとした、ということ。
この2つの問題はパウロの弱みであり、納得のいく説明もできないので、パウロは居直って、自分を絶対的に信奉しないのであれば神に逆らうことになるぞ、と脅すだけだから、両者の間で納得のいく結論は出なかっただろう。
その後、コリントの信者たちは、キリストの信者であり続けたとしても、パウロ信者であることはやめた可能性が高いと思われる。
以上、田川建三氏「新約聖書 訳と註」パウロ書簡より、引用、参照させていただきました。