今週末のものみの塔研究記事。
組織が前進wしたことにより、「注解」じゃなくて「コメント」になり。
「注解」という言葉も、最初に聞いた時は仰々しいなって感じたけど・・・「コメント」ねぇ・・・信者のみなさんはコメンテーターになるってことかぁ・・・なんだかなぁ。
こういう変化って、いわゆる世に迎合してることにならないのかしらねぇ。
自分としては、まず、この組織の集会でコメントすることが、本当に神への賛美になるかどうかが疑問です。
ならないでしょ。腐敗してますもんね、この組織。
それに、組織の出版物に基づいた、組織にとって都合のよいコメントしかできないんじゃ、だんだんコメントするのもメンドクサく(バカラシク)なっちゃいますよ。
しかもそれが、洗脳するために求められてるコメントだ、って気が付いちゃったらね。
危ない、危ない。
集会でのコメントは、組織崇拝(洗脳)への第一歩です。
さて、本文への突込みを少し。
5節。「アポロのように雄弁なコメント」「パウロのように説得力あるコメント」「2つの小さな硬貨を寄付したやもめ」
こんな風に、人に優劣つけてる文章を書いといて、「エホバは・・・わたしたちを温かい目で見てくださってる」って言われてもね。エホバを賛美したい気持ちになんて、ならないですよ。
20節。「ささやかでも心のこもったプレゼントを持っていくなら、喜んでくださいます」
組織の神エホバは、こういうことを喜ぶ神なんだね。これ、人間同士ならわかるけど・・・。
自分の思う神は、食事会に招いてくださる時は、「何にも持ってこなくていいよ、たっくさん食べ物はあるから、思う存分美味しいものを楽しんでいってね」っていう神なんですけどね・・・。
この記事、神の気持ちを分かった風に書いてるけど・・・なにげに、神をディスってるよね。
みなさんがコメントしてくれないと集会が成り立たないから、頑張ってコメントしよう!
でいいんじゃないかしらん。
組織が前進wしたことにより、「注解」じゃなくて「コメント」になり。
「注解」という言葉も、最初に聞いた時は仰々しいなって感じたけど・・・「コメント」ねぇ・・・信者のみなさんはコメンテーターになるってことかぁ・・・なんだかなぁ。
こういう変化って、いわゆる世に迎合してることにならないのかしらねぇ。
自分としては、まず、この組織の集会でコメントすることが、本当に神への賛美になるかどうかが疑問です。
ならないでしょ。腐敗してますもんね、この組織。
それに、組織の出版物に基づいた、組織にとって都合のよいコメントしかできないんじゃ、だんだんコメントするのもメンドクサく(バカラシク)なっちゃいますよ。
しかもそれが、洗脳するために求められてるコメントだ、って気が付いちゃったらね。
危ない、危ない。
集会でのコメントは、組織崇拝(洗脳)への第一歩です。
さて、本文への突込みを少し。
5節。「アポロのように雄弁なコメント」「パウロのように説得力あるコメント」「2つの小さな硬貨を寄付したやもめ」
こんな風に、人に優劣つけてる文章を書いといて、「エホバは・・・わたしたちを温かい目で見てくださってる」って言われてもね。エホバを賛美したい気持ちになんて、ならないですよ。
20節。「ささやかでも心のこもったプレゼントを持っていくなら、喜んでくださいます」
組織の神エホバは、こういうことを喜ぶ神なんだね。これ、人間同士ならわかるけど・・・。
自分の思う神は、食事会に招いてくださる時は、「何にも持ってこなくていいよ、たっくさん食べ物はあるから、思う存分美味しいものを楽しんでいってね」っていう神なんですけどね・・・。
この記事、神の気持ちを分かった風に書いてるけど・・・なにげに、神をディスってるよね。
みなさんがコメントしてくれないと集会が成り立たないから、頑張ってコメントしよう!
でいいんじゃないかしらん。