うたた寝〓自堕落〓ダラダラ〓


何でもいいから
やりましょ、と
始めたのですが。

少し元気に外出

2014-05-23 19:32:20 | 日記

バラエティーに富んだ5月も終盤になって参りました。

ほとほと己れの遊興に、まだまだ遊び足りない感があるのです。
メリハリをつけなきゃダメね。

日々の生活の抑制されたのが解き放たれると、ドミノ倒しにあれもこれもとなってしまう煩悩の塊であるのは、未成熟さからなのか、其とも欲深い婆に一歩一歩近づいているからなのか…急き立てる様な焦りは止まない。

うーんと若い時に遊んでいたら、今やどーんと大人な生活に埋没したのかもしれないけどね。

何しろ若い頃はほとんど遊び方も知らず、私の遊興は、芝居、映画、本、好きなbrandの服買いを年2回まとめ買いにたまの外食は、飲酒無しの堅実なものだったし、旅行なんて行ったこともなかった。年2回の帰省が旅行気分だったしね。しかし、裕福な20代であった。そのリバウンドと云うかツケが20年後にしてドカン!とやって来るとは、人生大波小浪揺れ揺られ~を実証したもんだ。
若い時分との大差は、どんな時でも余地あり楽しめてしまう自分になったことでしょうか。それだけ頭悪い私も細胞死滅して、その分練れたと申しますか…鈍感になったと申しますか…
何が起こるか分からない人生を全て由と思えてしまうことが、それなりに大人になったと云うことなのでしょう。
単なる酔っ払いだが、まだ大病もなく、怪我位で済まされてる御身を持ち、生きて居られるのも、まだまだやらなきゃならないことあるんだろうから生かされて居るんだろう。

やっぱりね、悪さはした方がよろしいね。
酒も煙草もたしなみな方の大人は意外と生命力ある気がするのよ。これは、私の人間観察からの考察。

さて、又、街へ出掛けよう。いい案見つかるかな。

行楽の湖畔

2014-05-22 20:34:01 | 日記

たまに、マニキュア塗ったりする時間はいいのかと、延び放題な爪が、どこまで丈夫か確認するには、マニキュア効果がある。

この1週間は、先週のリバウンドで隠遁生活。
映画見まくり週間である。
コンビニに寄り、日本酒に手が出そうに何度かなるが、買わず。水と麦茶と珈琲で紛らわしている。

さて、いよいよ携帯電話をスマートホンに変更しょうかと企み中。
長らくのdocomoからauに乗り替え様かと。

閑話休題
先週、火曜日に滋賀県湖西界隈まで便乗させてもらい、出掛けた。
広大な琵琶湖は海に見え、何処までも続く緑な田畑、快晴な空、県営施設の整備され様に、不景気な田舎はなくなって来てるのか錯覚起こす豊かな滋賀県。
日本一商人が続々産まれた県ですからね、それに戦国時代の要な街。ちまちました歴史振りかざす古都とは違い、更にシビアで堅実さが見えた街でありました。琵琶湖一周をしてみたい。知らない国内、まだまだ沢山あります。見てみたい。
人間は、環境が創ると思い知らせた。

行楽にお付き合い下さった牡牛座のお二方、ありがとうございました。
いい時間でありました。

人波独り酔いどれ期

2014-05-20 18:58:35 | 日記

木曜日の夜、烏丸を散歩して、待ち合わせもあり、木屋町へ行くのだが…
ドエレ~酔っぱらい人にも酔っぱらい、泥々になってしまう。

最後、朝8時なけなしの金を支払い家より手前の場所で下車。転けて右膝打撲切り傷出来ながら、空き地へなだれ込み大の字で寝る。お日様が暖かくて気持ち良い~何人か通行人に声をかけられて大丈夫大丈夫と、言うのだか…時間経過したら…スクーター乗ったポリィスマンに無理矢理起こされて、名前と生年月日と住所言わされ、「とにかく!ここで寝ないでくださいよ。座ってるのは構わないです!」と言い残し去る。
もぅ、酔っぱらう私がいけないんだけどさ、田舎の住民は慇懃無礼親切が仇な感じ。まともに生活の連続が社会的信用なんでしょうが、私とはかけ離れた理念であり、などと宣うと更におかしな人間扱いされてしまうのが落。

その事、Facebookにアップしたら、中学時代の先生からズバリなメール来て、参りました。

私の深酒奇行の原因は、「人並み渇望」と。
彼の優しさを付けると、そう言った後に詫び文あり、人並み渇望もストレスになると。いやはや、これこそ大人の見識ですね。私は、救われました。

此方へ出戻り5年目、東京気儘生活では気にも止めなかった世間の轍に、いちいち反応させてしまう田舎のエキストラ。

酩酊くらいでキチガイ扱いするな!

しみじみ、飼い慣らされる感。

奇抜な行動人成らず。

あの、私マトモですが。

2度目にすると…

2014-05-12 18:10:37 | 日記

革命は、illusionと申された方が居りましたが、確かにそうなのかも、と納得してしまう、映画あさま山荘への道程を2度目にした感想。
あの時代の学生紛争は、10代に興味深くて、何冊か関連本も読み、彩流社と云う出版社から出てたかと。榛名山で総括された大槻節子の生前書いていた日記が本になってタイトルは「やさしさをください」であった。読んだ感想は、普通の女の子の走り書きであった。怒られそうだが、あの革命人達は流行り病だったのではないか…と、思ってしまう。あの時代だから、と片付けて日本昭和歴史として残像しょうと企んだ人間が居るのではないか、と考察してしまうのだが。

映画館で観た時の方が、もっと達観した目線で観賞できたのだが、テレビで再度見たら、気持ち悪くなってしまった。

総括と云うリンチ殺人が、日常のテレビに映されてしまうと、ニュースで流れる事件と同じで又、時代劇でバッサバッサ人斬りなのと同じで、改めて映画館の良さを知るのである。

1回目観た時は、体力もあり、頭ン中は仕事モード全開であったからか、人間観察眼正しく観れた気がしてる。例えば、重信房子はあの時点で海外逃亡したから生き延びたのだろうし、悪魔な永田洋子の醜悪さに憎悪したし、遠山美枝子の間抜けさも純粋培養の結果だったのだろうし、坂口弘、森恒夫の無茶苦茶さは、ある種の武士道だったのかもと、思ったりした。
悲劇の加藤三兄弟。弟二人は、巻き込まれてしまった感は否めない。
浅間山荘で立て籠り、銃撃戦の中、家族の説得するシーンありましたが、現在には有り得ない光景だと思った。
平成になっても、赤に傾倒した運動家はいるのだろうか?
右翼左翼も提携してしまっている平成思想は、バランス感はあるのではないかと思ってしまう。

子供の頃、大学って看板作っているとこなんだと、思っていた。
今や、看板ある大学を探すのすら至難かも知れない。
もしかしたら、ゲバ棒振っていたあの時代の若者の方が、人間らしく生きれたのかも知れない。


チョコリエッタ

2014-05-07 08:01:17 | 日記

東京生活学生時代に初めて彼女に会ったのは17であった。
エキセントリック私が更に参るくらい、彼女は、ハッキリした人間で表現者で、10代で彼女の様な王道を歩く人間との出会いは、当時はコンプレックスと化してしまうのだが、私は或時、彼女を傷つけてしまった。あの頃の方が羨望な気持ち強かった。周りの奴等も辟易させながらも、彼女は太陽だった。
暫く、疎遠な中、私は彼女の映画は毎回観ていた。
いつもどの映画を観ても、自分と繋がる何かしらが残る表現で、「やっぱりすごいな」といちファンになってしまっていた。常に、自分のスタンスを崩さない表現に、彼女の人柄は変わらなかった。
東京生活中盤、彼女に連絡した。「会いたくない」と言われた時もあった。
私も、待つの慣れた頃だったから、「いつか会えるもんね」と勝手に待ってた。
彼女に子供ができて、まだハイハイする頃、会いに行った。

私は頓珍漢な生活だった。

子供が大きくなるにつれて、彼女は見事に母になり、たおやかさが更に増して行、有難い存在になってくれた。私には、何でも話をする友達はいなかった。仕事に埋没して、付き合う人も同業だったりすると、なかなか本音は言えない。
たまに彼女のお家へ伺い、ご馳走になり、酒も飲むようになり、私の妙な緊張感が剥がれ、10代の忘れていた素の自分になっていった感あり。

何から何までお世話になってありがとうございます。

子供も、小学三年生に成り、彼女はようやく映画を撮った。
昨年夏である。私も子供のお守りで参加させて頂いた。微力で申し訳ない。
映画撮影現場を、経験できるなんて…有り難き経験でありました。

映画が出来上がりました。
高校生が主役。時代錯誤あっても、自己投影できてしまう乗り越えて行く力を、清々しい後味なチョコリエッタを観賞御賞味下さい。
きっと観たら、若返るよ!