うたた寝〓自堕落〓ダラダラ〓


何でもいいから
やりましょ、と
始めたのですが。

2度目にすると…

2014-05-12 18:10:37 | 日記

革命は、illusionと申された方が居りましたが、確かにそうなのかも、と納得してしまう、映画あさま山荘への道程を2度目にした感想。
あの時代の学生紛争は、10代に興味深くて、何冊か関連本も読み、彩流社と云う出版社から出てたかと。榛名山で総括された大槻節子の生前書いていた日記が本になってタイトルは「やさしさをください」であった。読んだ感想は、普通の女の子の走り書きであった。怒られそうだが、あの革命人達は流行り病だったのではないか…と、思ってしまう。あの時代だから、と片付けて日本昭和歴史として残像しょうと企んだ人間が居るのではないか、と考察してしまうのだが。

映画館で観た時の方が、もっと達観した目線で観賞できたのだが、テレビで再度見たら、気持ち悪くなってしまった。

総括と云うリンチ殺人が、日常のテレビに映されてしまうと、ニュースで流れる事件と同じで又、時代劇でバッサバッサ人斬りなのと同じで、改めて映画館の良さを知るのである。

1回目観た時は、体力もあり、頭ン中は仕事モード全開であったからか、人間観察眼正しく観れた気がしてる。例えば、重信房子はあの時点で海外逃亡したから生き延びたのだろうし、悪魔な永田洋子の醜悪さに憎悪したし、遠山美枝子の間抜けさも純粋培養の結果だったのだろうし、坂口弘、森恒夫の無茶苦茶さは、ある種の武士道だったのかもと、思ったりした。
悲劇の加藤三兄弟。弟二人は、巻き込まれてしまった感は否めない。
浅間山荘で立て籠り、銃撃戦の中、家族の説得するシーンありましたが、現在には有り得ない光景だと思った。
平成になっても、赤に傾倒した運動家はいるのだろうか?
右翼左翼も提携してしまっている平成思想は、バランス感はあるのではないかと思ってしまう。

子供の頃、大学って看板作っているとこなんだと、思っていた。
今や、看板ある大学を探すのすら至難かも知れない。
もしかしたら、ゲバ棒振っていたあの時代の若者の方が、人間らしく生きれたのかも知れない。


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