東日本大震災から3週間を超えた。被災人口はゆうに100万人を超えるはずで、死者数1万5千人、行方不明者1万2千人が現在の集計。カウントされている避難者は16万4244人(警察庁調べ)、自主避難者を含めるともっと多数に上るだろう。未曾有のマグニチュードと津波による震災被害は、ともに発生した東電福島原発事故により、ただの震災とは比べ物にならない苦難を背負うことになった。
福島県内の被災地では、いまだ遺体の収容すらできていない。もしかしたら震災直後には存命であったかも知れない被災者も、原発事故による退避勧告に伴い放置され命を絶たれた可能性がある。救援活動・支援活動も従来の震災と違い、放射線測定器を持ちつつ、二次被害を生まないように活動しなければならない。まさに警告をし続けてきた「原発震災」が出現したのである。
原発事故そのものは、一度収束するかの様相を見せたものの、第一原発1号機から4号機までいまだに白煙を上げており、タービン建屋で通常運転中の原子炉内の1万倍の放射能を含む水が溜まり、さらに建屋の外にあるトレンチ(電気配線等のための通路)にもその水が流れ込んでおり、さらにそこからピット(作業用の立坑)の中に流れ込み、そのピットの亀裂から直接海に流れ込んでいることが4月2日に発見された。
しかしこの水が流れ込んでいるのは原発専用港の中である。3月30日には第一原発南側放水口付近では放射性ヨウ素の濃度限度の3355倍、北側放水口付近でも1262倍の放射能が検出されている。これラは専用港の外側であり、別の個所から放射能汚染水が漏れていることが想定される。まさに底抜けの状態になっている。
福島第一原発でいったい何が起こったのか
史上はじめての複数同時炉心溶融事故。さらに水素爆発と使用済核燃料貯蔵プールでの燃料破損事故。そして底抜けの放射能汚染水垂れ流し。こんな状態にどうしてなってしまったのか、それは地震と津波発生時に「何が起こっていたのか」を正確に把握することから考えるべきである。
まず原子炉で起こっていたこと。それは政府の原発事故対策本部が発表している炉心水位や圧力などのデータによって読み取ることができる。原子力資料情報室の記者会見で田中三彦氏(元日立製作所技術者)は、このデータを指摘しながら福島第一原発1号機が3月12日の0時頃には冷却剤喪失事故を起こしていたと指摘した。
原子炉の運転時圧力容器の中は70気圧、逆に格納容器は1気圧となっている。データは不思議なことに2時45分からしか公開されていないが、この時点で圧力容器は8気圧、格納容器は9.4気圧となっている。つまり圧力容器の圧力が抜けて格納容器の方が圧力が高くなっている。
これは大口径破断ではないが、原子炉につながる配管のどこかが切れて緩やかに圧力容器の蒸気もしくは水が漏れて格納容器内に充満したことを示している。高温の水(300℃近い)は1気圧の格納容器の中に出れば一気に蒸気となり体積を増やし圧力を増す。
それを証明するように原子炉水位は下がり続ける。2時45分には核燃料上部1300ミリを示していたが、8時49分にはマイナス400ミリ、10時4分にはマイナス500ミリと徐々に下がって、15時にはマイナス1700ミリ、18時にはDS(ダウンスケール)と言って核燃料の空焚き状態となる。田中三彦さんは、この原因は地震時の揺れによって圧力容器につながる配管等が損傷を受けた結果と推測している。
第一原発2号機、3号機も同様の状況
同じように公表データを読んでみると、2号機は3月14日17時12分に原子炉水位がいきなりDSになる。その前の12時30分には核燃料上部3000ミリだったので5時間で水が抜けたことを示している。圧力の変化は同時刻には70気圧、その2時間後の19時3分には6気圧になる。炉内の蒸気も抜けたのだ。
2号機は13日11時にベントを開始したが原子炉圧力が下がらなかった。14日13時25分には冷却剤喪失を報告し、16時34分には圧力容器内への海水注入もはじめる。にもかかわらず30分ちょっとでDS(空焚き状態)になる。これは12時30分から13時25分の間に、結構大きな配管破断が置きたことを物語る。圧力抑制室で爆発が起こるのは、この後の15日6時頃である。
3号機はどうだろうか。データ数値が公表されている3月12日4時15分の段階で原子炉圧力は74気圧、格納容器は2.8気圧である。ただし炉心の水位は核燃料頂部まで下がっていることを示すゼロ。すでに水が抜けはじめていた。原子炉圧力はどんどん下がって13日2時には8気圧になるが、8時に再び72気圧まで上がる。このときには炉心水位もマイナス3000ミリまで下がっている。ところがその後の9時10分には水位がプラス1800まで戻り、圧力は4.6気圧へと下がる。1時間強で炉心内に5メートル近く水位を上げるほど水を入れたとは思えない。水位はすぐにマイナス1400に下がるので水位計の誤計測であろう。13日8時41分にベントを開始しており、圧力の低下はそのせいだと思う。
3号機は12日20時41分にもベントしている。何度もベントしなければならないほど炉内の圧力が異様に高いのはプルサーマル燃料を使用していた関係であろうか。すでに圧力が下がっていた1号機のベントよりも、こちらのベントが大量に高濃度の放射能を一気に放出した可能性が高い。
(注)「ベント」に関しては3月13日ブログ参照のこと。
冷却剤喪失と炉心溶融、水素爆発
ここで細かな分析までは行なわないので、より詳細を見たい人は下記URLから、その目で確かめていただきたい。2、3ページのドキュメントと56ページ目にあたる別添の各原発のパラメータの数値である。
http://www.kantei.go.jp/saigai/201104030800genpatsu.pdf
1号機、2号機、3号機で起こっていたことは地震直後から配管破断、冷却剤喪失、炉心の水位低下、燃料棒の溶融である。どの原子炉も炉心水位はマイナス1500ミリ前後から上がっておらず、核燃料の上半分はすでに20日くらい空焚き状態であり溶けていないと考える方が不自然である。
東電側も炉心が空焚きにちかいことをすぐに察知し、だからこそ海水を炉心に入れるという非常措置をとった。圧力容器内の圧力が高ければ海水も入らないのだから、入れるという判断は配管破断にも気がついていたと思われる。むしろ、すぐに冷えて安定すると思ったところに甘さがあった。
配管破談の大きさが微妙で、水を入れると圧力が高まり入れにくくなる。そこで原子炉の圧力を抜く逃し弁の開放やベントを繰り返し、放射性物質を外部に放出しながら水を入れようとした。圧力容器から出された蒸気は、最初に格納容器内に充満する。その中には原子炉内で発生した水素もある。軽い水素は格納容器内の上部に溜まり、格納容器内圧力が高まると天井のシールドを破って建屋側に漏れ出る仕組みという。1号機と3号機の建屋上部での水素爆発はこうして発生した。2号機だけは放射性物質を生出しするドライベントではなく、一度圧力抑制室の水をくぐらせるウェットベントを試みたため、圧力抑制室内に水素が溜まり、そこで水素爆発が発生し、圧力抑制室そのものを吹き飛ばしてしまった。
東電は海水への放射能流出が続いている今も圧力容器内への注水を海水から真水に変えて継続しているものと思われる。水位や圧力の変化がパラメーターに現れていないからだ。水を入れなければ水位は下がるはずである。タービン建屋で大量の汚染水が見つかったのは、配管破断が格納容器内で起こったのではなく、建屋の外で起こっていることを示している。
本震とその後の余震で、おそらくあちこちの配管がズタズタで床や地下のトレンチなどもひび割れだらけになっている可能性もある。原子炉関連の重要施設だけ耐震強度を強くし、他の設備は弱くて良いという、これまでの原発設計の考え方からの必然の亀裂だ。ずっと以前から指摘されてきたことである。
ちなみに水の注入をやめれば、核燃料の破損はさらに進み、溶けて圧力容器の底に落ちてくる。炉水温度や圧力容器温度が公開されていないので明確なことは言えないが、蒸気の原子力災害対策本部の資料の9ページに、1号機の圧力容器温度が400℃を超えたと書かれている。炉内の基準は300℃程度で、容器外部の温度がこれほどになったと言うことは、中の温度はもっとはるかに高かったと想定される。3つの原子炉はいつでも底割れ、そして溶融燃料が下部の水やコンクリートと接触して水蒸気爆発や水素爆発を起こすという危機をいまだはらんでいる。
使用済核燃料の冷却剤喪失は設計上の大欠陥
炉心の空焚き、炉心溶融に戦々恐々としている中で、想定していなかった4号機で水素爆発が起きる。建屋上部での水素爆発は12日に1号機、14日には3号機で発生する。しかし定期点検で運転を停止していた4号機で爆発と言うのは驚いた。使用済核燃料の冷却機能が停電で失われ、こちらが空焚き状態となり水素が発生し、爆発したものと推測されている。
使用済核燃料はまだ崩壊熱を持ち続けており数十年は冷却の必要がある。その冷却機能が失われることを原発設計者は想定していなかった。想定外ではなく、想定しなければならないのにしていなかった。今回の事故では、このように想定不能事象ではない「想定無能事象」が多すぎる。
津波で全停電(電源喪失)が起こること、緊急用ジーゼル発電機が塩水をかぶり動かなくなること、燃料タンクが流出すること、格納容器の圧力が高まると上部で水素爆発が起きること、電源喪失すると使用済核燃料も冷やせなくなること、水をかけると海に放射能を含んだ水が流れ込むこと・・、考えればどれも想定できることだ。津波の規模が想定外だったというのは言い訳にはならない。
東電は福島第一原発の1号機から4号機までは廃炉にすると発表したが、まだ5、6号機ととなりの第二原発の4つの原子炉は運転継続する構えである。しかしそれよりも前に、今回の「想定無能」の責任の所在を明らかにし、処罰も含め責任を取らせるべきである。事故後の処理についても、その責任者は明確にされるべきである。
放出放射能による被曝の責任
さまざまな解析があるが、今回の事故で大気と海に放出された放射能の量はチェルノブイリ事故の6割とも、すでに上回っているとも言われている。本当のことは、炉心の状況などがよく冷えて観察できるようにならないとわからない。スリーマイル島事故の解析ができたのも、事故から数年後のことだった。はっきりわかっているのは、原発敷地内では100ミリシーベルト/時を超える汚染が発生し、中には400ミリシーベルト/時を超えるところもあること。海に放出されている水は、旧ソ連が原子力潜水艦の核廃棄物などを海洋投棄してこう最適な非難を浴びた700テラベクレルよりはるかに多い10万テラベクレルとも推定されている。今後ゆっくりと時間をかけて、海藻から小魚、そして少し大きな魚からマグロや鰹など大型魚へと、食物連鎖による汚染が広がって行くと思われる。
しかし放射能に汚染されているのは海だけではない。福島県内の一部野菜や牛乳は出荷が禁止され、周辺の茨城、栃木、群馬へも広がった。放射能はじつは均等に同心円状には広がらない。風の通り道、さらにその中で雨の降ったところが、より高い濃度で汚染される。いまのところもっとも濃度濃く放射能が放出されたのは、3月12日から15日の間のベント放出である。その後は圧力は高くなく、大気中には大量に出されておらず、むしろ海への流入がはじまったと見られる。
広域の周辺住民への被曝の問題
放射能放出は終わったわけではなく、今も毎日、大気中と海への放出され続けている。いちど大地に蓄積された放射能は、簡単には消えてなくならない。最初はヨウ素131が高濃度で検出されるが、この半減期は8日で80日もすれば影響はなくなる。しかし同時にセシウム137やストロンチウム90などの放射性物質も放出され、プルトニウム239という猛毒物質も含まれる。1グラムで1億4千万人分の致死量とされ、なおかつ半減期が2万4千年と長い。50万年は影響が続く放射性物質である。
今はこれらの核種をひとつひとつ調べている状態ではない。ガイガー計数管で空間線量を測ったものが目安であり、福島原発周辺だけではなく40キロ圏、100キロ圏からも高い測定値が報告されている。
被曝影響が一番懸念されているのは福島県の飯舘村で、放射線量のレベルが50マイクロシーベルト/時前後で高止まっている。この地に野外で1日いると1.2ミリシーベルトで、一般公衆の1年間の被曝限度を超えてしまう。飯舘村の人々はそういうところに、もう3週間近く住まわせられているのである。
50キロ圏のいわき市や100キロ圏の福島市や郡山市でも同じような状況がある。いわき市では民家の庭で10マイクロシーベルト/時を超える放射線量が日常的に計測されている。福島市でも同様に10マイクロシーベルト/時を平均的に超えているが、小学校のU字溝では67マイクロシーベルト/時や108マイクロシーベルト/時という高い数値も出ている。ほとんど原発敷地内のような高濃度汚染である。
10ミリシーベルト/時の地点に1週間いると1.68ミリシーベルト。ゆうに一般公衆の被曝限度を超える。いわき市や福島市は、この測定値が突発的に現れているのではなく日常なのである。本来は直ちに避難勧告が出されるべき場所のはず。それを政府は頑として拒んでおり、被曝を強制している状態である。
高い線量に気がついている人たちも、会社やその顧客との関係あるいは介護などで自分だけが、その仕事を放棄して避難するわけにもいかない人がたくさんいる。自治体として集団で動くことが大事であり、そのためには政府の決断が求められている。
事故は起こってしまった。しかし国民の被爆線量の総量を押さえることは、頑張ればできるのである。今後に悔いを残さない政策を求めたい。
福島県内の被災地では、いまだ遺体の収容すらできていない。もしかしたら震災直後には存命であったかも知れない被災者も、原発事故による退避勧告に伴い放置され命を絶たれた可能性がある。救援活動・支援活動も従来の震災と違い、放射線測定器を持ちつつ、二次被害を生まないように活動しなければならない。まさに警告をし続けてきた「原発震災」が出現したのである。
原発事故そのものは、一度収束するかの様相を見せたものの、第一原発1号機から4号機までいまだに白煙を上げており、タービン建屋で通常運転中の原子炉内の1万倍の放射能を含む水が溜まり、さらに建屋の外にあるトレンチ(電気配線等のための通路)にもその水が流れ込んでおり、さらにそこからピット(作業用の立坑)の中に流れ込み、そのピットの亀裂から直接海に流れ込んでいることが4月2日に発見された。
しかしこの水が流れ込んでいるのは原発専用港の中である。3月30日には第一原発南側放水口付近では放射性ヨウ素の濃度限度の3355倍、北側放水口付近でも1262倍の放射能が検出されている。これラは専用港の外側であり、別の個所から放射能汚染水が漏れていることが想定される。まさに底抜けの状態になっている。
福島第一原発でいったい何が起こったのか
史上はじめての複数同時炉心溶融事故。さらに水素爆発と使用済核燃料貯蔵プールでの燃料破損事故。そして底抜けの放射能汚染水垂れ流し。こんな状態にどうしてなってしまったのか、それは地震と津波発生時に「何が起こっていたのか」を正確に把握することから考えるべきである。
まず原子炉で起こっていたこと。それは政府の原発事故対策本部が発表している炉心水位や圧力などのデータによって読み取ることができる。原子力資料情報室の記者会見で田中三彦氏(元日立製作所技術者)は、このデータを指摘しながら福島第一原発1号機が3月12日の0時頃には冷却剤喪失事故を起こしていたと指摘した。
原子炉の運転時圧力容器の中は70気圧、逆に格納容器は1気圧となっている。データは不思議なことに2時45分からしか公開されていないが、この時点で圧力容器は8気圧、格納容器は9.4気圧となっている。つまり圧力容器の圧力が抜けて格納容器の方が圧力が高くなっている。
これは大口径破断ではないが、原子炉につながる配管のどこかが切れて緩やかに圧力容器の蒸気もしくは水が漏れて格納容器内に充満したことを示している。高温の水(300℃近い)は1気圧の格納容器の中に出れば一気に蒸気となり体積を増やし圧力を増す。
それを証明するように原子炉水位は下がり続ける。2時45分には核燃料上部1300ミリを示していたが、8時49分にはマイナス400ミリ、10時4分にはマイナス500ミリと徐々に下がって、15時にはマイナス1700ミリ、18時にはDS(ダウンスケール)と言って核燃料の空焚き状態となる。田中三彦さんは、この原因は地震時の揺れによって圧力容器につながる配管等が損傷を受けた結果と推測している。
第一原発2号機、3号機も同様の状況
同じように公表データを読んでみると、2号機は3月14日17時12分に原子炉水位がいきなりDSになる。その前の12時30分には核燃料上部3000ミリだったので5時間で水が抜けたことを示している。圧力の変化は同時刻には70気圧、その2時間後の19時3分には6気圧になる。炉内の蒸気も抜けたのだ。
2号機は13日11時にベントを開始したが原子炉圧力が下がらなかった。14日13時25分には冷却剤喪失を報告し、16時34分には圧力容器内への海水注入もはじめる。にもかかわらず30分ちょっとでDS(空焚き状態)になる。これは12時30分から13時25分の間に、結構大きな配管破断が置きたことを物語る。圧力抑制室で爆発が起こるのは、この後の15日6時頃である。
3号機はどうだろうか。データ数値が公表されている3月12日4時15分の段階で原子炉圧力は74気圧、格納容器は2.8気圧である。ただし炉心の水位は核燃料頂部まで下がっていることを示すゼロ。すでに水が抜けはじめていた。原子炉圧力はどんどん下がって13日2時には8気圧になるが、8時に再び72気圧まで上がる。このときには炉心水位もマイナス3000ミリまで下がっている。ところがその後の9時10分には水位がプラス1800まで戻り、圧力は4.6気圧へと下がる。1時間強で炉心内に5メートル近く水位を上げるほど水を入れたとは思えない。水位はすぐにマイナス1400に下がるので水位計の誤計測であろう。13日8時41分にベントを開始しており、圧力の低下はそのせいだと思う。
3号機は12日20時41分にもベントしている。何度もベントしなければならないほど炉内の圧力が異様に高いのはプルサーマル燃料を使用していた関係であろうか。すでに圧力が下がっていた1号機のベントよりも、こちらのベントが大量に高濃度の放射能を一気に放出した可能性が高い。
(注)「ベント」に関しては3月13日ブログ参照のこと。
冷却剤喪失と炉心溶融、水素爆発
ここで細かな分析までは行なわないので、より詳細を見たい人は下記URLから、その目で確かめていただきたい。2、3ページのドキュメントと56ページ目にあたる別添の各原発のパラメータの数値である。
http://www.kantei.go.jp/saigai/201104030800genpatsu.pdf
1号機、2号機、3号機で起こっていたことは地震直後から配管破断、冷却剤喪失、炉心の水位低下、燃料棒の溶融である。どの原子炉も炉心水位はマイナス1500ミリ前後から上がっておらず、核燃料の上半分はすでに20日くらい空焚き状態であり溶けていないと考える方が不自然である。
東電側も炉心が空焚きにちかいことをすぐに察知し、だからこそ海水を炉心に入れるという非常措置をとった。圧力容器内の圧力が高ければ海水も入らないのだから、入れるという判断は配管破断にも気がついていたと思われる。むしろ、すぐに冷えて安定すると思ったところに甘さがあった。
配管破談の大きさが微妙で、水を入れると圧力が高まり入れにくくなる。そこで原子炉の圧力を抜く逃し弁の開放やベントを繰り返し、放射性物質を外部に放出しながら水を入れようとした。圧力容器から出された蒸気は、最初に格納容器内に充満する。その中には原子炉内で発生した水素もある。軽い水素は格納容器内の上部に溜まり、格納容器内圧力が高まると天井のシールドを破って建屋側に漏れ出る仕組みという。1号機と3号機の建屋上部での水素爆発はこうして発生した。2号機だけは放射性物質を生出しするドライベントではなく、一度圧力抑制室の水をくぐらせるウェットベントを試みたため、圧力抑制室内に水素が溜まり、そこで水素爆発が発生し、圧力抑制室そのものを吹き飛ばしてしまった。
東電は海水への放射能流出が続いている今も圧力容器内への注水を海水から真水に変えて継続しているものと思われる。水位や圧力の変化がパラメーターに現れていないからだ。水を入れなければ水位は下がるはずである。タービン建屋で大量の汚染水が見つかったのは、配管破断が格納容器内で起こったのではなく、建屋の外で起こっていることを示している。
本震とその後の余震で、おそらくあちこちの配管がズタズタで床や地下のトレンチなどもひび割れだらけになっている可能性もある。原子炉関連の重要施設だけ耐震強度を強くし、他の設備は弱くて良いという、これまでの原発設計の考え方からの必然の亀裂だ。ずっと以前から指摘されてきたことである。
ちなみに水の注入をやめれば、核燃料の破損はさらに進み、溶けて圧力容器の底に落ちてくる。炉水温度や圧力容器温度が公開されていないので明確なことは言えないが、蒸気の原子力災害対策本部の資料の9ページに、1号機の圧力容器温度が400℃を超えたと書かれている。炉内の基準は300℃程度で、容器外部の温度がこれほどになったと言うことは、中の温度はもっとはるかに高かったと想定される。3つの原子炉はいつでも底割れ、そして溶融燃料が下部の水やコンクリートと接触して水蒸気爆発や水素爆発を起こすという危機をいまだはらんでいる。
使用済核燃料の冷却剤喪失は設計上の大欠陥
炉心の空焚き、炉心溶融に戦々恐々としている中で、想定していなかった4号機で水素爆発が起きる。建屋上部での水素爆発は12日に1号機、14日には3号機で発生する。しかし定期点検で運転を停止していた4号機で爆発と言うのは驚いた。使用済核燃料の冷却機能が停電で失われ、こちらが空焚き状態となり水素が発生し、爆発したものと推測されている。
使用済核燃料はまだ崩壊熱を持ち続けており数十年は冷却の必要がある。その冷却機能が失われることを原発設計者は想定していなかった。想定外ではなく、想定しなければならないのにしていなかった。今回の事故では、このように想定不能事象ではない「想定無能事象」が多すぎる。
津波で全停電(電源喪失)が起こること、緊急用ジーゼル発電機が塩水をかぶり動かなくなること、燃料タンクが流出すること、格納容器の圧力が高まると上部で水素爆発が起きること、電源喪失すると使用済核燃料も冷やせなくなること、水をかけると海に放射能を含んだ水が流れ込むこと・・、考えればどれも想定できることだ。津波の規模が想定外だったというのは言い訳にはならない。
東電は福島第一原発の1号機から4号機までは廃炉にすると発表したが、まだ5、6号機ととなりの第二原発の4つの原子炉は運転継続する構えである。しかしそれよりも前に、今回の「想定無能」の責任の所在を明らかにし、処罰も含め責任を取らせるべきである。事故後の処理についても、その責任者は明確にされるべきである。
放出放射能による被曝の責任
さまざまな解析があるが、今回の事故で大気と海に放出された放射能の量はチェルノブイリ事故の6割とも、すでに上回っているとも言われている。本当のことは、炉心の状況などがよく冷えて観察できるようにならないとわからない。スリーマイル島事故の解析ができたのも、事故から数年後のことだった。はっきりわかっているのは、原発敷地内では100ミリシーベルト/時を超える汚染が発生し、中には400ミリシーベルト/時を超えるところもあること。海に放出されている水は、旧ソ連が原子力潜水艦の核廃棄物などを海洋投棄してこう最適な非難を浴びた700テラベクレルよりはるかに多い10万テラベクレルとも推定されている。今後ゆっくりと時間をかけて、海藻から小魚、そして少し大きな魚からマグロや鰹など大型魚へと、食物連鎖による汚染が広がって行くと思われる。
しかし放射能に汚染されているのは海だけではない。福島県内の一部野菜や牛乳は出荷が禁止され、周辺の茨城、栃木、群馬へも広がった。放射能はじつは均等に同心円状には広がらない。風の通り道、さらにその中で雨の降ったところが、より高い濃度で汚染される。いまのところもっとも濃度濃く放射能が放出されたのは、3月12日から15日の間のベント放出である。その後は圧力は高くなく、大気中には大量に出されておらず、むしろ海への流入がはじまったと見られる。
広域の周辺住民への被曝の問題
放射能放出は終わったわけではなく、今も毎日、大気中と海への放出され続けている。いちど大地に蓄積された放射能は、簡単には消えてなくならない。最初はヨウ素131が高濃度で検出されるが、この半減期は8日で80日もすれば影響はなくなる。しかし同時にセシウム137やストロンチウム90などの放射性物質も放出され、プルトニウム239という猛毒物質も含まれる。1グラムで1億4千万人分の致死量とされ、なおかつ半減期が2万4千年と長い。50万年は影響が続く放射性物質である。
今はこれらの核種をひとつひとつ調べている状態ではない。ガイガー計数管で空間線量を測ったものが目安であり、福島原発周辺だけではなく40キロ圏、100キロ圏からも高い測定値が報告されている。
被曝影響が一番懸念されているのは福島県の飯舘村で、放射線量のレベルが50マイクロシーベルト/時前後で高止まっている。この地に野外で1日いると1.2ミリシーベルトで、一般公衆の1年間の被曝限度を超えてしまう。飯舘村の人々はそういうところに、もう3週間近く住まわせられているのである。
50キロ圏のいわき市や100キロ圏の福島市や郡山市でも同じような状況がある。いわき市では民家の庭で10マイクロシーベルト/時を超える放射線量が日常的に計測されている。福島市でも同様に10マイクロシーベルト/時を平均的に超えているが、小学校のU字溝では67マイクロシーベルト/時や108マイクロシーベルト/時という高い数値も出ている。ほとんど原発敷地内のような高濃度汚染である。
10ミリシーベルト/時の地点に1週間いると1.68ミリシーベルト。ゆうに一般公衆の被曝限度を超える。いわき市や福島市は、この測定値が突発的に現れているのではなく日常なのである。本来は直ちに避難勧告が出されるべき場所のはず。それを政府は頑として拒んでおり、被曝を強制している状態である。
高い線量に気がついている人たちも、会社やその顧客との関係あるいは介護などで自分だけが、その仕事を放棄して避難するわけにもいかない人がたくさんいる。自治体として集団で動くことが大事であり、そのためには政府の決断が求められている。
事故は起こってしまった。しかし国民の被爆線量の総量を押さえることは、頑張ればできるのである。今後に悔いを残さない政策を求めたい。
我が国の原発が大事故を起こしたらどうなるか。
疾走する弾丸列車が貨物列車に激突したらどのようになるか。
悪夢は見たくない。いつまでも能天気でいたい。
天下泰平の気分を壊したくない。
自分に都合の良いことだけを考えていたい。
それ以外の内容は、想定外になる。
ただ「間違ってはいけない」とだけ注意を与える。
「人は、誤りを避けられない」とは教えない。
「お互いに注意を喚起し合って、正しい道を歩まなくてはならない」とは、考えていない。
もしも自分にとって都合の悪いことが起こったら、びっくりする以外にない。
そして、「私は、相手を信じていた」と言い訳するしかない。だから、罪がないことになる。
危機管理は大の苦手。
だが、ナウな感じのする犯人捜し・捕り物帳なら大好きである。毎日テレビで見ている。
日本語には時制がないので、未来時制もない。
未来の内容を鮮明に正確に脳裏に描きだすことは難しい。
一億一心のようではあるが、内容がないので建設的なことは起こらない。
お互いに、相手の手を抑えあった形である。すべては安全のためか。不信のためか。
問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力を持っている。
親分の腹芸か、政党の内紛のようなもの。
今回の事件はわが国の国民性を色濃くにじませている。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812