(最後のmSv/hのところで数字が過小になっていました。そこを修正して再度掲載。)
一昨日から昨日、今朝にかけての動きを追いながら、非常に深刻な記事を書かざるを得ません。結局、地震で電源の落ちた原発が、これほどもろいものだったかということを、あらためて思い知らされています。
起こっている事態はまさにドミノゲーム、もしくはモグラたたきです。最初は非常用ディーゼルの使用不能という他愛もないトラブルから始まった。それがこれほどの絶望的状況になるとは・・。
大震災から原発震災に
東日本大震災は、激しい揺れだけでなく未曾有の大津波と複数原発の同時事故という、経験したことのない災禍をもたらしました。地震と津波による死者数はおそらく数万人規模。原発事故が後追いをしたため、被災地はいまだに十分な支援物資も届かないまま、多数の遺体とともに放置されています。十分な人員で、この数日のうちに救助できれば救えた命もあったかも知れません。被災者が満足な救援も得られず、さらには被爆した地域として切り捨てられるという、原発震災が現実のものとなっています。しかも、この状況は終息に向かっているのではなく、まだこれから始まろうとしているのです。
地震後にちゃんと緊急停止しながら、福島原発の6つの原発は順次冷却機能を失い、原子力緊急事態を宣言することになりました。前回ブログでは、全10基のうち6基が運転中と書きましたが、正確には7基が運転中でした。福島第一の1、2、3号機、福島第二原発1、2、3、4号機です。第二原発3号機だけは緊急停止後正常に冷却が開始され12日昼頃に冷温停止(100度に下がる)しました。
他の6基は、まず第一原発1号機が最初に冷却機能を失い、最初は電源車で代替したのですが、その間も核燃料の温度と原子炉内圧力は上がり続け、水が入らないため12日午後、格納容器から最初のベント(緊急圧力放出)を行ない放射能放出をします。それでも水は入らず、原子炉建屋内での水素爆発で建屋天井と外壁が吹き飛ぶ事態となりました。そこで緊急処置として原子炉に海水を注入するという非常手段をとりました。
1号機はこれで落ち着きを取り戻しましたが、翌13日の早朝には3号機も冷却機能を失います。これも海水注入となり、続いて第二原発1、2、4号機の3基についても海水注入をはじめます。14日11時頃には、第一原発3号機の建屋でも水素爆発、1号機よりはるかに大きな爆発で建屋の屋根を吹き上げました。午後には第一原発2号機も冷却能力を喪失し、これも海水注入に。しかし2号機への海水注入はすんなりと行かず、18時22分に燃料棒が全露出。その後圧力を抜いて水位が上昇するも、23時20分に再び全露出となります。その後も2号機の核燃料は半分くらいまでしか入らず、翌日15日の朝6時10分に2号機の圧力抑制室(サプレッションチェンバー)で爆発、この部分は格納容器とつながっており、ついに格納容器に穴が開くという事態となりました。
炉心溶融はもはや疑いなし
3月16日朝、東京電力は第1原発1号機では燃料棒の70%、2号機では33%が損傷、3号機では計測器が壊れて不明と発表しました。炉心溶融したアメリカのスリーマイル島原発事故で破損した燃料棒は45%。すでに福島第一原発はスリーマイルを超えています。3号機は海水注入を開始してから一度も冠水したという報告はありません。他の二つよりもっと深刻な状況なのではないかと思います。2号機については、東電も炉心溶融を認めており、他の2基は2号機よりも良い状態とはとても思えないのです。
政府は3月11日に出した3キロ圏内屋内退避の指示を12日朝には10キロ圏からの退避、さらに夕方には20キロ圏に広がり、20キロから30キロ圏は屋内退避指示となりました。(福島第二原発では10キロ圏)
この背景には、各原発の状況が炉心溶融にいたる可能性と、海水注入に伴う放射能(放射性物質)の放出による周辺地域における「放射能汚染」への配慮があるように見えます。その事実を隠し、海水注入と圧力抜きによる放射能放出による周辺住民への被爆を引き起こしたことは前ブログで紹介したところです。
しかし事態は、煙突から放射能「生出し」問題というレベルを超えてしまいました。
第一原発2号機では圧力抑制室が破損し、そこから放射性物質が水蒸気とともに放出されています。それだけ放射能放出してもまだ燃料棒は十分に冷やせていません。その原因はBWR(沸騰水型原発)特有の構造に起因すると思われます。BWRでは核燃料を冷やすために、普段はジェットポンプという仕組みを使って原子炉の底に冷却水を吹き付け、下から勢いのある上昇水流で核燃料を冷やしています。これを使うには再循環ポンプによって水をかき混ぜる必要があるのですが、電源を喪失していたらこれはできません。
http://www.chuden.co.jp/resource/corporate/news_129_N12903.pdf
いまは海水を上から燃料棒にかけているだけで、それでは燃料棒と燃料棒の間の細い隙間に海水が入った瞬簡に沸騰し、燃料棒を冷やすことはできないのではないかと思います。それでも大量の被爆を覚悟しつつ海水をかけ続けるという途方のない作業が続けられているのです。
使用済核燃料貯蔵プールから水素爆発
3月12日15時半頃には、第一原発1号機で爆発が起こり、コンクリート製の建屋が崩壊するというショッキングな事故が発生しました。東電側説明は、原子炉内で発生した水素が建屋の中に貯まり爆発したというものです。圧力容器も格納容器も「とじこめ」機能があり、水素が建屋の中に出てくるというのは不思議でした。
次に3月14日、今度は3号機で爆発が起こります。11時1分に起こった爆発は、1号機よりはるかに激しく建屋を吹き飛ばし、高々と舞い上がった屋根が降って落ちるのが見えました。これも同じ水素爆発と説明されています。
そして3月15日、今度は定期点検中で停止していた4号機の建屋の中で爆発が起こりました。海水も入れていなければ、原子炉内に核燃料もないのに、と思ったら5階に使用済核燃料の貯蔵プールがありました。核燃料は使用後も崩壊熱で何年もの間発熱し続けます。冷却してやらないと、どんどん熱くなり被覆管が破れ、燃料が破損しはじめます。場合によっては再臨界もあるということで、そうなると温度はもっと上がることになります。
ジルカロイという金属製の被覆管が高温となり破損をするときに水素が発生します。その水素が貯まって爆発し、4号機の建屋に8メートル四方の穴を二つ開けました。定期点検中のためにまだ比較的新しい燃料棒が入れられていたことも温度が高くなった理由です。
使用済核燃料といえど継続して冷却をしていないと爆発する。とすると、同じように定期点検で停止中だった5号機、6号機も同じ状況ではないかということです。さらに使用済核燃料貯蔵プールは、1、2、3号機にもあります。地震で電源喪失し冷却できない状況は同じで、ここでも水素が発生し爆発してもおかしくありません。じつは1号機、3号機の建屋の爆発は、これが原因だったのではないでしょうか。
それを証明するかのように、3月16日には3号機からもうもうと白煙が上がりました。使用済核燃料貯蔵プールが沸騰していたのです。4号機でも再び火災が発生しました。
使用済核燃料の再臨界の恐怖
燃料棒は水の中に入れて中性子をあてると核分裂反応がはじまるように設計されています。使用済核燃料貯蔵プールで核分裂反応がはじまらないのは、ホウ素入りの貯蔵ラックに入れられ、一定の間隔を取りながら保管されているからです。ところが最近は使用済核燃料を持って行く場所(六ヶ所村)も受け入れが難しくなり、少しづつ詰めて保管するようになっています。
もし地震時にラックが壊れたりして一ヶ所に固まったりするようなことがあれば再臨界ということもあり得ないとは言えないようです。福島原発の事故を知った海外の原子力専門家の間では、炉心溶融よりもむしろ使用済核燃料の貯蔵プールでの再臨界の方が気にかかっていたようです。
なぜかというと、通常は燃料棒は圧力容器の中にあるものだからです。原子力発電の放射能を防ぐ5重防護(5つの壁)は、核燃料ペレット、被覆管、圧力容器、格納容器、原発建屋を指します。核燃料貯蔵プールにあるということは、このうちの圧力容器と格納容器というもっとも強固なものがない状態ということです。この状態で再臨界ということは、何も遮蔽のない状態で強い中性子線を四方八方に飛ばすことになり、もはや誰も近づけないからです。
野外にある学校のプールが原子炉になったと想像してください。誰がそこに近づけるでしょう。この核分裂を止めるには、遠くからホウ素の塊でも放り込むくらいしかありません。効果のほどはわかりませんが。
東京電力によれば、4号機の使用済核燃料プールがある階には放射線が高すぎて近づけないと言います。また白煙を上げはじめた3号機のプールには、自衛隊のヘリによる注水を行なおうとしましたが、数十メートル上を飛ぶであろうヘリの位置でも放射線が高すぎて作業員の被爆限度に達してしまうため途中で中止したのです。被爆限度とはおそらく50ミリシーベルト。ヘリの上でも数分でその数値に達してしまうとは、もしかして再臨界しているのではという危惧を抱いてしまいます。
第一原発周辺汚染はチェルノブイリ原発なみ
16日午後枝野官房長官は、第一原発周辺の放射線レベルが非常に高くなり、それで最低限の作業員を残して、関係者を60キロ先に避難させたと発表しました。周辺住民は30キロで、なぜ関係者は60キロかという問題はここでは置いておきますが、それほどに周辺の放射線レベルが高くなっているということです。
以下に東電の計測による16日の正門でのガンマ線計測結果を示します。
午後11時00分 正門 4548.0μSv/h
午後11時10分 正門 6960.0μSv/h
午後11時15分 正門 2761.0μSv/h
午後11時20分 正門 3648.0μSv/h
午後11時25分 正門 4976.0μSv/h
午後11時30分 正門 8080.0μSv/h
これをミリシーベルトに直すと、4.5、7.0、2.8、3.6、5.0、8.1となります。
16日夜には、これが恒常的に10ミリシーベルトになっているという情報もありますが、10ミリシーベルトとはどんな強さでしょうか。マスコミに登場する専門家たちは、1回のレントゲンと比べますが、集団検診のそれは0.06ミリシーベルト。X線CTで10から12ミリシーベルトです。
もう一つ忘れてはいけないのは、この10ミリシーベルトは10mSv/hだということ。つまり1時間値です。同じところに24時間いたら240mSv、10日間いたら2400mSvの放射線を浴びるということです。2400mSvはもはや自衛隊のヘリのパイロットが任務を遂行できないという放射線限度を10倍以上超えています。
海水を注入している作業員の被爆限度は250mSvに引き上げられたようです。白血病になってもおかしくないレベルですが、10mSv/hはそこに1日いたら、それとほぼ同じということです。
この数値は今後、どんどん高くなって行くものと思われます。暗澹。
一昨日から昨日、今朝にかけての動きを追いながら、非常に深刻な記事を書かざるを得ません。結局、地震で電源の落ちた原発が、これほどもろいものだったかということを、あらためて思い知らされています。
起こっている事態はまさにドミノゲーム、もしくはモグラたたきです。最初は非常用ディーゼルの使用不能という他愛もないトラブルから始まった。それがこれほどの絶望的状況になるとは・・。
大震災から原発震災に
東日本大震災は、激しい揺れだけでなく未曾有の大津波と複数原発の同時事故という、経験したことのない災禍をもたらしました。地震と津波による死者数はおそらく数万人規模。原発事故が後追いをしたため、被災地はいまだに十分な支援物資も届かないまま、多数の遺体とともに放置されています。十分な人員で、この数日のうちに救助できれば救えた命もあったかも知れません。被災者が満足な救援も得られず、さらには被爆した地域として切り捨てられるという、原発震災が現実のものとなっています。しかも、この状況は終息に向かっているのではなく、まだこれから始まろうとしているのです。
地震後にちゃんと緊急停止しながら、福島原発の6つの原発は順次冷却機能を失い、原子力緊急事態を宣言することになりました。前回ブログでは、全10基のうち6基が運転中と書きましたが、正確には7基が運転中でした。福島第一の1、2、3号機、福島第二原発1、2、3、4号機です。第二原発3号機だけは緊急停止後正常に冷却が開始され12日昼頃に冷温停止(100度に下がる)しました。
他の6基は、まず第一原発1号機が最初に冷却機能を失い、最初は電源車で代替したのですが、その間も核燃料の温度と原子炉内圧力は上がり続け、水が入らないため12日午後、格納容器から最初のベント(緊急圧力放出)を行ない放射能放出をします。それでも水は入らず、原子炉建屋内での水素爆発で建屋天井と外壁が吹き飛ぶ事態となりました。そこで緊急処置として原子炉に海水を注入するという非常手段をとりました。
1号機はこれで落ち着きを取り戻しましたが、翌13日の早朝には3号機も冷却機能を失います。これも海水注入となり、続いて第二原発1、2、4号機の3基についても海水注入をはじめます。14日11時頃には、第一原発3号機の建屋でも水素爆発、1号機よりはるかに大きな爆発で建屋の屋根を吹き上げました。午後には第一原発2号機も冷却能力を喪失し、これも海水注入に。しかし2号機への海水注入はすんなりと行かず、18時22分に燃料棒が全露出。その後圧力を抜いて水位が上昇するも、23時20分に再び全露出となります。その後も2号機の核燃料は半分くらいまでしか入らず、翌日15日の朝6時10分に2号機の圧力抑制室(サプレッションチェンバー)で爆発、この部分は格納容器とつながっており、ついに格納容器に穴が開くという事態となりました。
炉心溶融はもはや疑いなし
3月16日朝、東京電力は第1原発1号機では燃料棒の70%、2号機では33%が損傷、3号機では計測器が壊れて不明と発表しました。炉心溶融したアメリカのスリーマイル島原発事故で破損した燃料棒は45%。すでに福島第一原発はスリーマイルを超えています。3号機は海水注入を開始してから一度も冠水したという報告はありません。他の二つよりもっと深刻な状況なのではないかと思います。2号機については、東電も炉心溶融を認めており、他の2基は2号機よりも良い状態とはとても思えないのです。
政府は3月11日に出した3キロ圏内屋内退避の指示を12日朝には10キロ圏からの退避、さらに夕方には20キロ圏に広がり、20キロから30キロ圏は屋内退避指示となりました。(福島第二原発では10キロ圏)
この背景には、各原発の状況が炉心溶融にいたる可能性と、海水注入に伴う放射能(放射性物質)の放出による周辺地域における「放射能汚染」への配慮があるように見えます。その事実を隠し、海水注入と圧力抜きによる放射能放出による周辺住民への被爆を引き起こしたことは前ブログで紹介したところです。
しかし事態は、煙突から放射能「生出し」問題というレベルを超えてしまいました。
第一原発2号機では圧力抑制室が破損し、そこから放射性物質が水蒸気とともに放出されています。それだけ放射能放出してもまだ燃料棒は十分に冷やせていません。その原因はBWR(沸騰水型原発)特有の構造に起因すると思われます。BWRでは核燃料を冷やすために、普段はジェットポンプという仕組みを使って原子炉の底に冷却水を吹き付け、下から勢いのある上昇水流で核燃料を冷やしています。これを使うには再循環ポンプによって水をかき混ぜる必要があるのですが、電源を喪失していたらこれはできません。
http://www.chuden.co.jp/resource/corporate/news_129_N12903.pdf
いまは海水を上から燃料棒にかけているだけで、それでは燃料棒と燃料棒の間の細い隙間に海水が入った瞬簡に沸騰し、燃料棒を冷やすことはできないのではないかと思います。それでも大量の被爆を覚悟しつつ海水をかけ続けるという途方のない作業が続けられているのです。
使用済核燃料貯蔵プールから水素爆発
3月12日15時半頃には、第一原発1号機で爆発が起こり、コンクリート製の建屋が崩壊するというショッキングな事故が発生しました。東電側説明は、原子炉内で発生した水素が建屋の中に貯まり爆発したというものです。圧力容器も格納容器も「とじこめ」機能があり、水素が建屋の中に出てくるというのは不思議でした。
次に3月14日、今度は3号機で爆発が起こります。11時1分に起こった爆発は、1号機よりはるかに激しく建屋を吹き飛ばし、高々と舞い上がった屋根が降って落ちるのが見えました。これも同じ水素爆発と説明されています。
そして3月15日、今度は定期点検中で停止していた4号機の建屋の中で爆発が起こりました。海水も入れていなければ、原子炉内に核燃料もないのに、と思ったら5階に使用済核燃料の貯蔵プールがありました。核燃料は使用後も崩壊熱で何年もの間発熱し続けます。冷却してやらないと、どんどん熱くなり被覆管が破れ、燃料が破損しはじめます。場合によっては再臨界もあるということで、そうなると温度はもっと上がることになります。
ジルカロイという金属製の被覆管が高温となり破損をするときに水素が発生します。その水素が貯まって爆発し、4号機の建屋に8メートル四方の穴を二つ開けました。定期点検中のためにまだ比較的新しい燃料棒が入れられていたことも温度が高くなった理由です。
使用済核燃料といえど継続して冷却をしていないと爆発する。とすると、同じように定期点検で停止中だった5号機、6号機も同じ状況ではないかということです。さらに使用済核燃料貯蔵プールは、1、2、3号機にもあります。地震で電源喪失し冷却できない状況は同じで、ここでも水素が発生し爆発してもおかしくありません。じつは1号機、3号機の建屋の爆発は、これが原因だったのではないでしょうか。
それを証明するかのように、3月16日には3号機からもうもうと白煙が上がりました。使用済核燃料貯蔵プールが沸騰していたのです。4号機でも再び火災が発生しました。
使用済核燃料の再臨界の恐怖
燃料棒は水の中に入れて中性子をあてると核分裂反応がはじまるように設計されています。使用済核燃料貯蔵プールで核分裂反応がはじまらないのは、ホウ素入りの貯蔵ラックに入れられ、一定の間隔を取りながら保管されているからです。ところが最近は使用済核燃料を持って行く場所(六ヶ所村)も受け入れが難しくなり、少しづつ詰めて保管するようになっています。
もし地震時にラックが壊れたりして一ヶ所に固まったりするようなことがあれば再臨界ということもあり得ないとは言えないようです。福島原発の事故を知った海外の原子力専門家の間では、炉心溶融よりもむしろ使用済核燃料の貯蔵プールでの再臨界の方が気にかかっていたようです。
なぜかというと、通常は燃料棒は圧力容器の中にあるものだからです。原子力発電の放射能を防ぐ5重防護(5つの壁)は、核燃料ペレット、被覆管、圧力容器、格納容器、原発建屋を指します。核燃料貯蔵プールにあるということは、このうちの圧力容器と格納容器というもっとも強固なものがない状態ということです。この状態で再臨界ということは、何も遮蔽のない状態で強い中性子線を四方八方に飛ばすことになり、もはや誰も近づけないからです。
野外にある学校のプールが原子炉になったと想像してください。誰がそこに近づけるでしょう。この核分裂を止めるには、遠くからホウ素の塊でも放り込むくらいしかありません。効果のほどはわかりませんが。
東京電力によれば、4号機の使用済核燃料プールがある階には放射線が高すぎて近づけないと言います。また白煙を上げはじめた3号機のプールには、自衛隊のヘリによる注水を行なおうとしましたが、数十メートル上を飛ぶであろうヘリの位置でも放射線が高すぎて作業員の被爆限度に達してしまうため途中で中止したのです。被爆限度とはおそらく50ミリシーベルト。ヘリの上でも数分でその数値に達してしまうとは、もしかして再臨界しているのではという危惧を抱いてしまいます。
第一原発周辺汚染はチェルノブイリ原発なみ
16日午後枝野官房長官は、第一原発周辺の放射線レベルが非常に高くなり、それで最低限の作業員を残して、関係者を60キロ先に避難させたと発表しました。周辺住民は30キロで、なぜ関係者は60キロかという問題はここでは置いておきますが、それほどに周辺の放射線レベルが高くなっているということです。
以下に東電の計測による16日の正門でのガンマ線計測結果を示します。
午後11時00分 正門 4548.0μSv/h
午後11時10分 正門 6960.0μSv/h
午後11時15分 正門 2761.0μSv/h
午後11時20分 正門 3648.0μSv/h
午後11時25分 正門 4976.0μSv/h
午後11時30分 正門 8080.0μSv/h
これをミリシーベルトに直すと、4.5、7.0、2.8、3.6、5.0、8.1となります。
16日夜には、これが恒常的に10ミリシーベルトになっているという情報もありますが、10ミリシーベルトとはどんな強さでしょうか。マスコミに登場する専門家たちは、1回のレントゲンと比べますが、集団検診のそれは0.06ミリシーベルト。X線CTで10から12ミリシーベルトです。
もう一つ忘れてはいけないのは、この10ミリシーベルトは10mSv/hだということ。つまり1時間値です。同じところに24時間いたら240mSv、10日間いたら2400mSvの放射線を浴びるということです。2400mSvはもはや自衛隊のヘリのパイロットが任務を遂行できないという放射線限度を10倍以上超えています。
海水を注入している作業員の被爆限度は250mSvに引き上げられたようです。白血病になってもおかしくないレベルですが、10mSv/hはそこに1日いたら、それとほぼ同じということです。
この数値は今後、どんどん高くなって行くものと思われます。暗澹。
…という気がします。
政治も今後もっと悪くなる気がします。
私達、市民は…
どのようにすれば
脱原子力できると思いますか?
脱原子力は無理なことなのでしょうか?
今回の事故で改めて原子力の脅威を感じ
将来、原子力に頼り続けるなら…
安心安全な食料や水、魚介類を私達は手に出来なくなるのでは?…と不安です。
脱原子力に向けて
私達、一般市民はどうしたら良いか
教えてください
当面は天然ガスや石炭の火力をフル動員になるでしょうが、風力発電や小水力発電、地熱発電は今の原子力分を埋めるに十分なキャパシティがあります。
原子力発電所を作るよりはるかに短期間(1年から2年)で作れることも利点ですし、これによる自然エネルギー産業の雇用拡大という日本経済に与えるメリットも見逃せません。
食べ物はよく選ぶこと。賢い消費者になれば放射能汚染はそんなに怖くはありません、政治家も政党ひとからげではなく、一人一人をよく選ぶ「賢い有権者」になれば、だいぶ良くなるはずです。