竹村英明の「あきらめない!」

人生たくさんの失敗をしてきた私ですが、そこから得た教訓は「あせらず、あわてず、あきらめず」でした。

ワールドカップと三都主

2006年06月24日 | Weblog

日本のサッカー・ワールドカップが終わった。ワールドカップそのものは、まだこれから本番、見るべき試合はこれからだが・・。

敗因は数多くある。もともと一次リーグ突破の力なんてなかった・・というのが大方のマスコミの見方のようになっているが、これは違っている。

これまでの国際試合を見ても、日本は互角に各国と闘えている。ちょっとした精神的な迷い、盛り上がるテンションの不足・・そんなものが微妙に影響する。今回の日本はそういう意味で最強の日本ではなかった。

オーストラリア戦であの1点を守りきっていれば、確実に一次リーグは突破できた。これは多くの人が語っているとおりである。

しかしジーコジャパンは堅い守りよりも反撃されても追加点を取りにいくという姿勢で臨んでいた。あの攻撃力、決定力の不足とこの方針はマッチしていただろうか?攻めて、ボールをとられあわてて守備に戻る・・これほど体力を消耗することはない。30度を越す暑さの中で、あの作戦が正解だったのか?後半の最後の最後で3点を取られて負ける伏線がそこになかったかと思う。

いつものことだが同点にされてからの日本は弱い。攻撃を主体とするチームだからだろうか・・、川口と宮本に頼りすぎているからだろうか?

攻撃が下手だというが、オーストラリア戦でもブラジル戦でも先取点をあげている。日本の攻めをちゃんとやれれば、ロナウジーニョのいるブラジルからでも得点できるのだ。そのことへの自信が、もう一つ足りなかったのではないか?

クロアチア戦の貧攻は確かに目も当てられなかった。攻撃が下手、シュートが打てない・・といわれて、打てない選手までシュートを打った。ゴールを奪う感覚はおそらく天性の感のようなものだ。一朝一夕に身につけられるわけがない。打っても入るわけがないのに、シュートだシュートだの大合唱で、かえって攻撃が荒くなった観があった。

ブラジル戦では最終的には大人と子供だった。これも前半終了間際まで1-0で勝っていながら、守りきれないもろさから一気にテンションが下がった。集中力とか緊張感というものが、どこかに消し飛んだような試合だったといえる。いつの間にか「弱い日本」になっていた。

おそらく選手たちは一次予選がはじまるまで、世界と互角に闘えると自信を持っていたはずである。その自信は間違ってはいなかったと思う。それがオーストリア戦の3失点で揺らぐ。クロアチア戦では闘い方が定まらず、ブラジル戦では前半終了間際の同点でで緊張の糸が切れてしまった。残念ながら、その糸を結びなおす存在がいなかった。

今回のワールドカップは実力を出し切れないまま、不完全燃焼で終わったというのが正しい評価だろう。

もう一つは故障者の続出だ。これは気合とか根性の問題ではない。なにか強化スケジュールやメニューに問題はないのか?

海外組と国内組とのコンビネーションが良いようにも見えなかった。海外組が所属チームに拘束されること、ヨーロッパと日本は時差が大きく、そういうハンディもボディブローのように効いているかもしれない。しかし、国際レベルの力を持っているのは海外組である。その力を引き出すような強化メニューが作られていたのか?

技術力というだけではない多くの課題が見つかったワールドカップであったと思う。今後はジーコジャパンではなくなるのだろうが・・、これらの課題を乗り越えられる指導者が必要だろう。個人的には中田英寿監督も一押ししたい。

最後に、ブラジル戦を終えて、新聞各紙で三都主のことが書かれている。ブラジルから日本に渡り、帰化して日本人として母国ブラジルと戦った日本代表である。某新聞には、日本代表の中で三都主だけが君が代を口ずさんでいる・・と変な評価を受けたりしているが、生まれた国を遠く離れ、異国の地に同化しながら、自分の仕事を全うしようというまじめな性格が感じられる。おそらく歌詞の意味などわからないのだろう。

ジーコもそうだけれど、かつてのラモスやアルシンドなど、たくさんの選手がブラジルから日本にやって来た。まあ、出稼ぎといえばそうなのだが、それによって日本サッカーのレベルが引き上げられたことは間違いない。今では、ブラジル以外の国の選手もたくさん来ている。ヨーロッパサッカーは世界中のスター選手の競演である。そんな時代に、もう一度、「国」という単位に立ち戻って競い合うワールドカップとはいったいなんだろう・・と思う。

日本の国技「相撲」の世界では横綱・大関は外国人というのが当たり前になってきた。最も伝統的な競技でこうなのである。新聞各紙は三都主に好意的に「ごくろうさま」と書いていたが、これが三都主でなく「サントス」であっても、そうだろうか?「帰化」という前時代的な制度に、私自身は違和感を覚える。「三都主」でないとだめ・・という意識が、日本人の魂の中にはあるのだろうか?

スポーツ出稼ぎではなく、外国人労働者として日本に渡ってきたブラジル人も数多い。そういう人たちの子供からはサッカー選手は生まれていないのだろうか?(不勉強にして知らない)

サッカー王国ブラジルでは、貧しさのため子供の遊び道具はサッカーボールだけ・・。それが王国を作る。

日本の貧しい人たちは、子供たちにサッカーボールも買えない・・。まさかそんなことにはなっていないだろうか?

 

 

 

 

 



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