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ツノ坊が名古屋で所属している以文会という書道会。
この以文会の本家に当たるのが東京の杉並に本部を構える書宗院と
いう会です。
以文会の理事になると、書宗院にも名を連ねなければなりません。
そんな関係で、もう数年前からツノ坊にも年に一度、銀座で開かれる
書宗院展への出展依頼がありましたが、これまでは「まだ時期尚早」と
お断りしていました。
しかし以文会の将来、そして自身の今後のことも考え、今年、初めて
出展することを決意。
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ツノ坊が会場に行くということなので、私も一緒に銀座の東京銀座画廊・
美術館(銀座メルさの7階)にお供してきました。
さすが東京ですね。書道人口も多く、出展数も名古屋とは大違い。
市場の大きさを実感します。
ツノ坊の東京デビューの話を聞いて、ツノ坊の幼なじみの玲子さんが
猛暑の中、ご主人と一緒にわざわざ横浜から掛け付けてくれましたが、
玲子さんが先に到着した時に記念撮影を済ませてしまいました。
Tさん、ゴメンナサイ。
ツノ坊は時々上京時に会っているのですが、私は二人に会うのは、
もう20年くらい前でしょうか、ご主人が半分仕事のように取り組んで
いる(笑)ハンドボールの全国大会で豊田市に遠征して来た時だったと
思うけど、記憶が定かではありません。でもいずれにしてもそれくらい
前の話です。
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毎年、書初めだけはツノ坊泉庭先生に手ほどきしてもらってはいますが、こういう
レベルになると、さっぱり理解できません。
今回の作品の題材は、このGWに出掛けた高野山の開祖である弘法大師 空海が
同時代を生きた最大の同志でもあり、ライバルでもあった伝教大師 最澄に宛てた書簡
『風信帖』の内の2通目の最後の部分を選んだそうです。
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「弘法も筆の誤り』と言われるほど、弘法大師は日本を代表する書家であり、この
風信帖はその中でも最高位に評価されている作品であり、かつ当時を代表する
高僧である二人の交流を忍ばせるという貴重な文献でもある訳です。
今回の作品を書くに当たっては、実際に高野山を訪ねて、その空気に触れたことは、
泉庭先生にとってとても大きの肥やしになったと思います。
要は、不肖この私めもこの作品の完成に少々なりとも貢献したということです。
" Do you understand it? "
奇遇ですね。ツノ坊が、
「どなたかしら?」
と言っております。
またメールでその親友の方のお名前をお知らせ下さい。