磯輪日記

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愛宕のご利益あれ!

2018年05月24日 22時11分00秒 | オフ・ビジネス

手前には芝の増上寺、その奥には東京タワー。

増上寺では、期間限定で 徳川家の墓所 参拝ができます という看板が掲げられていました。
知っていたら、ちょっと早めに来て、ぜひ見学したかったな〜

後ろ髪を引かれながら、日本印刷産業機械工業会の理事会、総会へ。

増上寺は開山600年で、徳川家の菩提寺という、江戸の歴史そのものです。

それと対比するようにそびえる東京タワー。

江戸の今昔が凝縮されたこのアングル。。。 って思ってシャッターを切ったんですが、
考えてみれてみれば、東京タワーだって 『ALWAYS 三丁目の夕陽』の世界で、完成した
のは1958年だから、ちょうど還暦じゃないですか!

そういう意味では、東京タワーだって もう立派に 東京の歴史の一部ですよね。


理事会、そして総会を終え、帰りは別のルートでと思い、新橋方面へ歩きました。



すると左手に愛宕神社が出てきました。ものすごく急な石段です。
登り口にある鳥居の左手前の看板に 『出世の石段』とあります。
間垣平九郎が馬に乗って駆け上った坂 と英語で説明があります。
でも日本語は無い⁉︎

ここからは、東京からの帰路、気になったので、新幹線車中で調べたことを合わせて
書きます。

江戸時代、増上寺に参った徳川家光が、その帰路、愛宕神社の前を通り掛ったところ、
石段の上にきれいな梅が咲いていたそうな。

そこで家光、

「誰か馬に乗って梅をとって参れ!」

と言われても



斜度37度の急勾配の86段の石段に、配下の者は 皆、尻込みするばかり。

さてそこに名乗りを上げたのが くだんの 間垣平九郎。
見事に石段を駆け上り、キレイに花の咲いた梅のひと枝を家光に献上したとな。

それまで家光はまったく知りもしなかった平九郎でしたが、以来、天下の馬術の名人と
家光の覚えめでたくなりました。

こうしてこの石段は、いつしか 『出世の石段』と呼ばれるようになりましたとさ。


そういう故事は一切知らなかったけど、ただ名前だけに惹かれて、鞄をもって、この
石段を一気に上ると、



本殿脇にはこんなキレイな池があり、鯉が泳いでいました。
まさに 都会のオアシス です。

帰りは、よくよく見てみたら、脇にもうちょっとだけ、なだらかな石段があったので、
注意して、そっちを下りてきました。

これもネットで調べて初めて知ったのですが、

行きは、男坂と言われる正面の石段を休まず一気に上り、
帰りは、脇の女坂をゆっくり下りる

これが愛宕神社の正しい参り方なんだそうです。

これで 私の出世は間違いなしですね。
めでたし、めでたし


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2 コメント

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Unknown ((山))
2018-05-25 09:23:35
今日こそ男坂を下りてみようと、一歩踏み出した瞬間、毎回足がすくみ、下まで手すりをしっかり掴んだままです…
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下りは (磯輪)
2018-05-25 21:21:13
 (山)さん

下りは、男坂でなく女坂でいいんじゃないですか? (笑)
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