年号が令和となって7年目だそうだ。早過ぎる。歳をとる筈だ。
『令和』と年号が改められた時は一時帰国中であった。
「本日、12:00より菅官房長官が新しい年号を発表します」とニュースが伝えていた。2019年4月1日だったと思う。コロナ禍(COVID19)より前だ。
「武本比登志油彩」画像と本文は関係ありません。
一時帰国中の楽しみとしての温泉。その温泉行きのバス、宮交シティ12:35発に乗るために自宅は11:35頃に出発したので、菅官房長官の発表は見ることが出来なかった。
青島自然休養村センター『このはなの湯』に着いて先ず食堂に入り、豚ロースの生姜焼き定食を2つ注文した。食堂には大画面のテレビがある。生姜焼き定食を注文しながら食堂の小母さんに「年号は何となりましたか?」と尋ねた。小母さんは「レイワ」と応えられた。「どんな字ですか」とも聞いた。「ゼロの令に昭和の和です」とのことだった。ほんの先日のことのように思うが、あれから7年である。
平成31年(2019)5月1日から元号が令和となり、平成という一つの時代に終止符が打たれた。天皇ご自身のご希望での生前退位で天皇は上皇となられ、美智子さまは上皇后となられた。
その頃にはもうポルトガルに戻っていた。
平成は31年までであるから、平成の殆どをポルトガルで暮らしたことになる。
海外に居る時には西暦は判るのだが、和暦がなかなか判らなくて、ネットなどでわざわざ調べたりもしていた。
一時帰国中に何かに書き込む時、和暦で書かなければならないことが多くある。いちいち尋ねなければならなかった。
海外に住み始めてからは、丁度、年末年始頃に日本に居なければカレンダーがなかなか手に入らなくて不便をしていた。ポルトガルでは露店市などでも売られてはいるが、お粗末なものが殆どでわざわざ買う気もしなかった。
高校美術部の同級生が人気のイラストレーターをやっていて、繊維企業、電力会社、銀行などのカレンダーに毎年のように使われていて本人からポルトガルまで送ってくれたことも何度かある。
でもそんなカレンダーには勿体なくてメモなどを書き込むことが出来ない。同級生の作品なのだから。
ポルトガルには無料で頂けるカレンダーなどは日本の様には作られていないような気がする。いや、年末頃に中華レストランにでも行けば、もらえることも何回かあった。でも見難い物が多かったし、メモなど書き込むことも出来ない変に凝った物もあった。
それで毎年、手書きのカレンダーを作って使っていた。
昨年、後半に作ったカレンダーは何だか変なのだが暫くは自分でも気が付かなかった。予定を書き込むのに辻褄があわないのだ。よくよく見てみると1週間が6日になっていたのだ。余程慌てて作ったのだ。
そういえば、もう50年以上も昔の話になってしまうが、西岡たかしさんのお宅にたびたびお邪魔していた。西岡たかしさんの仕事場には水彩で描かれた、西岡さんお手製のカレンダーが壁に貼られていて「いいな」と感心していた。今でもその色彩、温かみのある筆使いなどを鮮明に憶えている。
50年以上も経ってそれを真似たわけではないが、僕の場合は仕方なく手書きしたのだ。
昨秋、34年間暮らしたポルトガルから2024年の9月に引き揚げ帰国を果たした。
久しぶりに過ごす日本での年末年始だ。
今年のカレンダーは100均でも買っていたのだが、その他にもたっぷりと手に入った。
寝室にも、パソコンルームにも、食堂にもアトリエにも廊下にも玄関ドアにも貼っている。
今時のカレンダーには親切に西暦と和暦が併記されている。2025年と令和7年の他に昭和100年と平成37年などと併記されているカレンダーも複数あった。
和暦年号は『大化』から『平成』までで247個。『令和』は248個目だそうである。
始まった頃には1~2年。或いは4~5年で目まぐるしく年号が替わっている。江戸時代までは生前退位が普通に行われていたらしい。
何しろ248個であるから、殆どの年号は知らない。
最初は飛鳥時代の『大化』(645~650)。
日本で初めて貨幣が作られた、和銅開珎の『和同』(708~715)。
天正遣欧少年使節団がポルトガル経由でローマ法王謁見に出発したのが天正10年で、『天正』は(1573~1593)。戻って来たのは天正18年であった。
関ヶ原の戦いがあった、『慶長』(1596~1615)。
島原の乱の、『寛永』(1624~1645)。
そして『元禄』(1688~1704)『享保』(1716~1736)『文久』(1861~1864)『元治』(1864~1865)『慶応』(1865~1868)などと続き。
『明治』(1868~1912)、『大正』(1912~1926)。
『昭和』(1926年12月25日~1989年1月7日)。『平成』(1989年1月8日~2019年4月30日)。そして『令和』となる。
日本の元号のうち最長は62年間使われた『昭和』。次いで40年以上続いた『明治』。室町時代に30年以上続いた『応永』、そして『平成』は4番目の長さだそうだ。
僕が未だ小学生の低学年の頃、昭和30年頃の話だが、クラスメートが言っていた言葉を思い出している。
「昭和の次は何となるか知ってるか?『平和』やど。」とそのクラスメートは得意げに話していた。僕たちは「そんな直接的な年号にはならへんやろ」と返していた。
それから70年程の年月が経過したことになる。
実際には昭和の次は『平成』となり、その次は『令和』となった。
やはり『平和』とはならなかったが、平成と令和の一文字ずつを取ると『平和』となるではないか。
小学生低学年の頃、そのクラスメートが言っていたのは当たらずとも遠からず。であるかな?。