驢鞍橋は〈馬の鞍のはしくれ〉の意で、中国に、愚男がこれを亡父の遺骨に間違えた故事があり、誤見・謬見の戒めであり、その意のもとに発言されている。(weblio)
驢鞍橋(ろあんきょう)
江戸時代初期の禅僧鈴木正三の法語類を弟子の恵中が編録したもの。3巻。慶安1 (1648) 年成稿,万治3 (60) 年刊。三河藩の武士として戦場を駆け回った経験から,正三が死によって生きる真実を体得し,煩悩破砕の勇猛心を死の心法に見出し,仁王の機を修すべきはただ死ぬことを仕習うべきであるとし,みずからの仏法を死習い仏法,果報仏法と呼び,坐禅と念仏をも強調している。(コトバンク)
鈴木正三(しょうさん) (1579~1655) 三河武士の出身 六十一歳で無師独悟
驢鞍橋 上
「仏道修行は仏像を手本にしてするがよい。仏像と言っても、初心のものは、如来蔵に狙いをつけても、如来座禅はできまい。如来や不動明王に狙いをつけて、仁王座禅をするがよい。まず仁王は仏法の入り口、不動は仏の始めと考える。
自分は殊勝くさいことも悟りくさいことも知らぬ。二十四時間心で万事に勝つことばかりを考えておる。諸君も、仁王・不動の堅固の気合を受けとめ、それを鍛えて、それを使って悪業、煩悩をほろぼすことだ。
そこで師は眼をすえ、拳をにぎり、歯ぎしりをする形をして、「キッと張りつめて自分を守るときは、ちょっかいを出すもの何もない。結局、この勇猛の気合一つで修行はなるものだ。別にいるものはない。どんな修行もぬけがらになってやっては役に立たぬ。はりきって禅定の気合いを鍛え出すがよい」と言われた。
この気合で心身を攻めほろぼす以外、自分は別に仏法を知らぬ。
一切の煩悩は機の抜けたる処より起こるなり。
強く眼を著け、幕妄想の一句を轡づらと成して、急度(きっと)引詰めて守るべし。刹那も
機を抜かすべからず、となり。
修行と云ふは機を養ひ立つる事なり。
慙愧懺悔の法と云ふは、我が悪しき処をぶつ曝す事なり。
「あんたの胸の中の知識や妄想をすべて打ち捨て、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ととなえることによって道理を尽くし、我を棄て切って虚空とぴったり一つになるのを、馬鹿になって成仏する修行というのである。」
また謡曲などうたうにも、『これは諸国一見の僧にて候』と言えば、ぴたりとそれになりきる気合いである。自分も、舞い扇の使い方は知らないが、曲にまかせてそれに打ち乗り、自由に舞うことはできる。ものに応じて形をとるというのも、無念無心のところをいうのである。
修行と云ふは勇猛の機一つなり。
「命を捨てて死んでいくものは、多く有るとは思えぬ。みな命を惜しみつつ死んでいくものだ。ここは大事なところである。お坊様がた、常に命を捨てていつづけられることだ。」
しかし上手芸を初心のものに教えても無駄だ。初心のものにはまず仁王座禅が格好だ。
次第に鍛えて熟練してくると、謡や拍子などにも合い、万事に調和して、一切の働きが整う。このようにするのが仏教である。
驢鞍橋 下
いざという場合に臨む心である。また殺気をおびてじりじりとつめよるときの心である。この気合がなくては、万事に役に立たぬ。仏道修行というものは、初めから終わりまで、ただこの気合一つで生死を離れることだ。生死をさえ離れれば成仏だ。であるから、この気合一つによって成仏することだ。ほかに必要なものはない。
ただ歯を喰いしばって、死ぬこと一つをきわめるのだ。実際、若い時から八十歳の今まで、このように心得て来ているのみだ。全然仏教ではない。
……、恥知らずの正三であるからこそ命を保ち、今日に生きながらえて、修行もおおかた仕上げたのである。
「およそ修行者たるもの煙草をのんでもよろしくない。」
ある日の食事のおり愕然として言われた。
ある日のこと愕然として言われた。
若者たちに茶のたてかたを教えようと、自ら茶をたてる格好をして言われた。「幕妄想幕妄想とたつべし」となり。
いったい仏道修行の本意は、形や名前のとらわれを離れて自由になるということ一つにある。
ある日の食事のおり、愕然として言われた。「なんともはやしようのないことだ。毎日毎日喰っているのはいったいなんのためだ。食っては娑婆を楽しみ、楽しみしておる。ああ、たわけたことだ。
昔もほんとうに自由を得たのは釈尊お一人だけだろう。そのほかの祖師がた、ことに我が日本の伝教大師、弘法大師など、まだ仏の境界には遙かであろう。
安然として遷化し給ふなり。
*平成二十八年十二月二十九日抜粋終了。